第9話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
彩夏ちゃんの突然の訪問の翌日。
昼食を平らげた僕は学園長室へと向かった。
目的は勿論、彩夏ちゃん入寮の件だ。
「空いてるから入りなさい」
ノックをすると北丘理事長、と言うか母さんの鷹揚な声がする。
「いらっしゃい千歳、いつ見ても凄い美人ね」
「うっ…… それは、母に似たのかも知れませんね」
「あらまあ、あなたも言うようになったわね。ま、確かに母さんも美人だけど」
いけしゃあしゃあと自分を持ち上げるバカ母。確かに母さんは顔立ちも整っているし実際の歳より若く見える。美人学園長との呼び名も高い。でも、自分で言っちゃ台無しだ。
「性格だけは似てませんけどね」
「いいえ、似てきたかも、よ」
楽しそうに笑った母は手にしていたカロリーバランス栄養食を机に置くと「で、何」と問いかける。
「昨日、秋宮彩夏さんが寮に来ました」
「早いわね、女の子なんだから少しは焦らさなきゃ」
「……寮生はみんな、彼女の入寮を認めました」
「あらあら、あっさり認知しちゃったの?」
「認知って、何の話ですか?」
「彩夏ちゃんが千歳のハーレムに入る話」
「違いますっ!」
「もう~短気なんだから~。早いと嫌われるわよ」
からかわれてるのは分かるけど、腹が立つから睨みつけると、にやりと笑った学園長、「分かってるわと」言い置いて。
「全員了承した、ってことね。じゃあ、マリアナの理事長に伝えておきましょう。ところで千歳、あなた生徒会の副会長になったみたいだけど、来年もやるつもり?」
元はと言えば母さんの無茶振りが原因でしょうが!
……と叫びたい気持ちを抑える。澄まし顔の母を見て「ああ、やるよ」とぶっきらぼうに返してやった。
「あなたの使命は3月までなのよ。それとも女子勧誘に失敗しそうだから来年もやるの?」
「違うよ。遊里さんを裏切るなんてダメだろ」
「あら、彼女とデキちゃったの? 何ヶ月?」
「何言ってるんだよ?」
「男なら責任は取らなきゃ」
「ちっ、違うって! そんなんじゃなくって――」
「違うの? じゃ女の子として? それもいいわね。母さん百合は大好きよ」
「違~うっ!」
「あらあら、真っ赤な顔をして」
「うっ……」
「遊里さんモテるんでしょ? それをあっさり落としちゃうなんて、千歳も進歩したものね」
「だからそんなんじゃないってば!」
「キスはもうしたの?」
「あ~も~!」
全くこの母は、元はと言えば全部母さんの所為なのに!
その悪の張本人はニヤニヤ笑いながらカロリー栄養食をかぷりと頬張る。まったく腹が立つ。でも口じゃ適わない…… じゃ帰ります、と背中を向けると、口にものを入れたままの籠もった声がした。
「はのねひとへ――」
無視してドアを開ける。
「ふんかさひは、んぐんぐ――」
「じゃあ失礼しましたあ~」
「ゴクン―― ちょっと待ちなはひっ!」
認識可能な日本語が発せられたので仕方なく振り返る。
「この前の模試では女子の志願者がぐっと増えてるわ」
「そりゃ良かったですね」
「今年の文化祭は派手に宣伝するから、気を緩めないこと」
全く人使いが荒い。そのくせ僕の小遣いは一向に増える気配がないのだ。ったく、ギブアンドテイクという言葉を知っているのだろうか。僕は軽く会釈をすると学園長室をあとにした。
文化祭、派手に宣伝するって女子の志願者を来場させようってことだよな。そう言えば僕らの出し物、あのふざけた劇の初めての顔合わせが今日の放課後だ。
劇の脚本を巡ってはちょっとした紆余屈曲があった。王子さまならぬ百合姫さま役の僕がシンデレラやその姉、街中の若い女たちとキスをしまくるというトンデモなストーリーに生徒会顧問から待ったが掛かっただの。そりゃそうだろう、健全なる高校生の文化祭で、不健全な百合ラブストーリーをやるだけでもいかがなものかと思うのに、見境のないキスシーン乱発なんて教育上宜しくないことこの上ない。しかしどこで小耳に挟んだのか、そんな顧問先生の常識的な指摘に「生徒の好きにやらせなさい」と学園長が言い放ったという。自分のシナリオを守られた文芸部の長門部長は学園長のシンパになった。学園長は素晴らしい、美人でカッコイイ、アラフォーバンザ~イ! と喜びを爆発させた。自分が考えたストーリーを曲げずに通してくれのだから、彼が喜ぶのは当然と言えば当然だけど、うちの母ちゃん、40はかなり昔に過ぎてる。
教室へと向かって歩いていると、職員室の前に黒山の人だかり。みんなは一様に壁を向いて何かを見ている。
(あぁ、運動会の時の写真販売か)
写真屋さんが撮った写真がこれでもかと壁に駆られてサービス版1枚50円で売られていた。
「あっ、姉さま!」
声の主はお調子者の吉野くん。
彼は注文用紙を片手に壁の写真を指差す。
「凄い人気だよ、姉さまの写真。特にこれ、ミリオンセラー」
見ると創作ダンスで思いっきり足を蹴り上げている僕の全身写真だった。ミリオンは無理としても爆発的に売れそうだ。これがマナの写真だったら僕でも買うよ―― しかしプロって凄い、シャッターチャンスを逃さず実に良く撮れている。衣装の中にも短パン穿いてるから構わないけど、一体何に使うつもりだみんな――
「勿論僕も注文しま~す」
こうもハッキリ言われたら笑って見過ごすしかない。
「宮崎くんは何を買うの?」
隣で笑っているアニオタの宮崎くんに声を掛けた。
「あ、俺は見てるだけ。リアルには興味ないから」
確かに、彼の手に注文用紙はなかった。
吉野くんと宮崎くん、それに野島くんは仲がいい。いつも3人一緒に行動している。見ると予想通り野島くんの姿もそこにあった。彼は確かマナ派だったはず――
「あ、決して遊里さんの写真を漁ってるわけじゃないですからっ!」
と言いつつ、慌てて注文用紙を隠す野島くん。
「ちなみにこれも大人気」
おどけた吉野くんの指差す先はマナの走る姿。借り物競走のゴール手前だろう、体操着姿で走るマナの躍動感溢れる肢体が眩しい笑顔と共に綺麗にバッチリ写っていた。
(あ、欲しい!)
流れる髪、美しい眼差し、スラリと華麗な脚線美、一瞬を見事に捕らえた完璧な写真。全力で走る写真なんてブレてたり、怖い顔をしていることも多いけど、この写真はピントも表情もバッチリで、思わず胸がときめいた。
しかし、買えないよね。
こいつらに知られたら、すぐにマナの耳に入るだろうし――
「ね、いい写真だろ? 野島のヤツ、特大の4つ切りで注文してやんの」
「言うな吉野っ! 姉さん、このことは……」
「分かってるわ。マナには黙っておいてあげる」
マナの写真はほとんど持ってない。あるのは三崎さんの雑誌に写った小さな写真くらい。
ああ、欲しい欲しい欲しい――
4つ切りを注文したい衝動を抑え込み、僕は涙を飲んでその場を離れた。