第5話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
寮に帰るとスリッパを鳴らして妹の神愛が現れた。
「お帰り、愛しのお姉ちゃん! どうだった?」
僕が靴を履き替えていると、勝手にカバンを取って食堂に向かう。
「どうだったって、何が?」
「お姉ちゃんがお兄ちゃんだってバレなかったか」
「バレてたら今頃ボコボコに殴り殺されてるよ」
どうして公立中学生の神愛が寮にいるのか?
それは神愛が希望したからだ。
2ヶ月前、僕が寮に入ると決まった日、神愛は母に掛け合った――――
「お姉ちゃんが寮に入るんなら神愛も入るね!」
おい、お姉ちゃんって言うな―― と言うツッコミも忘れるくらいに驚いた。それは母も同じだったようで。
「え、どうして? 神愛はここにいればいいのよ? このお家でぬくぬくと3食デザート夜食付きを堪能していればいいのよ」
「ダメだよ、心配だよ。お姉ちゃんはお兄ちゃんなんだよ。女の子のこと何にも知らないんだよ。だから神愛が一緒にいなきゃ。神愛がちゃんとサポートしなきゃ。神愛がお兄ちゃんを、一人前のお姉ちゃんに育ててあげなきゃ!」
優しげな瞳がキラリ光った。
血は争えない、母と同じ目だ。僕の不幸を楽しむ好奇の目だ。
「そうだ、最新の女装用胸パッドを買いに行こうよ! Bカップでいいかな? オーダーメイドもあるよ!」
僕の胸の辺りをしげしげと観察した神愛は母に買い物代を催促する。母は軽くプラチナ色のカードを渡すと、いくらでも使いなさい、と言って背中を押した―― って、ちょっと待ってよ、Bカップってどれくらい大きいの? それとも小さいの?
「表情作りも大切だよ。これから毎日特訓だよ。プロのレッスンも探してみるよ。神愛が最高に魅力的なお姉ちゃんにしてあげるから」
そういや神愛は可愛い女の子が大好物だと公言して憚らない百合因子だった。
「何もそこまでしなくても、周りは男ばっかりだからバレたって怖くないし」
「何言ってるの? バレたら死ぬよ、ボコボコだよ。よく考えてみようよ、剛勇の方が女子校より怖いから」
「どうして? 「な~んだ、男だったか」、で済むだろ?」
僕の疑問に神愛は「チッチッ」と指を振る。
「お兄ちゃん甘いね、大甘だね、ようかんの練乳掛けより甘いね。ぜ~ったいタダじゃ済まないよ! だってお兄ちゃんすっごい美人だもん、絶対モテるって。み~んなお兄ちゃんラブになるよ。学園のマドンナ決定だよ。毎日が告白の嵐だよ、毎日が貢ぎ物の嵐だよ。ティファニーのフルコースだよ。それなのに、実はわたし、男でした~、な~んてバレたらどうなると思う? お兄ちゃんに惚れて恋して貢いだ男たちは毎朝毎晩お兄ちゃんのあられもない姿を夢想してハアハアしてたんだよ! 彼らの恋心は無残に踏みにじられるんだよ! 騙されたって知った彼らの怒りは凄まじいと思うよ? 可愛さ余って憎さ100倍、パンチ力も100倍、キック力は100万倍だよ。お兄ちゃんきっと生きて帰れないと思うよ」
何だか背筋が寒くなる。
「そんなに僕がモテるわけないだろ?」
「じゃあ証明して見せよっか?」
僕は神愛の部屋に連れて行かれた。目を閉じて鏡の前に座ること15分。入念に化粧をされて、髪の毛をいじられて。
「はいできました、目を開けていいよ」
恐る恐る瞳を開ける。
鏡に僕じゃない僕が映る。
「どう?」
「って、これが、僕?」
さらり揺れた黒髪にはさりげなく白い花飾。きつめのシャドーが入った切れ長の瞳に情熱的にも思える真っ赤なくちびるはいくら何でもやり過ぎの気もするけど。
――ヤバイ、自分に惚れた。
「ね、めっちゃ美人でしょ? 神愛も想像以上だよ! 思わず惚れちゃうよっ!」
「こらっ、抱きつくな神愛!」
「だって綺麗だもん。性格だって優しいもん。お姉ちゃん大好きっ!」
――――
あの時の神愛の予言は見事に的中した。
授業初日、帰り道だけで3人からコクられた。
「へへっ、ってことは、やっぱりお姉ちゃん、いっぱい求愛されたんだねっ!」
「勘弁してくれ、笑い事じゃないんだから!」
食堂の電気を付けながら、僕の苦労も知らないで神愛は明るくコロコロ笑う。
「まあ紅茶入れたげるから、ゆっくり話を聞かせてよ」
1階の食堂はゆったりと50席を誇る。飲料の自動販売機もあるし給湯や電子レンジも使えて便利。1階はその他も大浴場や娯楽室など共有スペースの場だ。ちなみに寮生の部屋は2階と3階。10畳程度のフローリングにバストイレ付き。空調も完備していて、なかなかに快適だ。
神愛は給湯コーナーからマグをふたつ持ってくる。中にはお湯に浸ったティーバッグ。
ふたりは長テーブルに向かい合って座った。
「で、もうひとりの女の人はどうだった? 可愛い? お姉ちゃんの好み?」
「なっ、何言ってんだ。そう言う目じゃ見てないよ」
「でもお姉ちゃんったら、顔真っ赤だよ?」
「あ、いやそれはその……」
神愛から視線を背けてコホンとひとつ咳払い。
「いい友だちになれそうだよ」
「そうだよね。仲良しにならなくちゃだもんね。だったら寮に連れておいでよ」
女の子同士、部屋の見せ合いっこは当然だよ、と神愛はサラリ曰う。そう言えば今日の別れ際、マナは「あたしも女子寮に入ろっかなっ?」って言ってたけど、あれは「だから部屋を見に行ってもいい?」って意味だったのかな?
でも。
でも、そんなことしたら僕が男だってバレないだろうか。あまりに近づきすぎるのもまずい気がする。そんな事を考えていると神愛が小皿を突き出して。
「ここって学校から近いしさ、神愛にも紹介してよ。あ、ティーバッグはここに入れてね」
「でも部屋とか見られたらバレないかな?」
「大丈夫だよ、そのために神愛がいるんじゃない? ちゃんとお兄ちゃんのお部屋を可愛くしておいたから。すっごい乙女チックになったよ!」
「可愛く? 乙女チック? ってどういうこと?」
「じゃあ紅茶飲んだらお姉ちゃんお部屋に行こうか。てへへへっ」
イヤな予感しかしなかった。
神愛の不敵な笑いから10分後。
自分の部屋に一歩踏み入った僕はその場に立ち尽くした。
(僕の部屋が……)
ベッドの布団がピンク一色に替わっている。
タンスの上、水色のエプロンを掛けたテディベアの横に、可愛いピンクのペンギンが増えている。
カレンダーが豪華列車から、うさぎのキャラクターものに替わっている。
本棚にあった僕の本が消えて、少女コミックスや少女小説が並んでいる。
机の上、指しっぱなしの将棋盤に並んで銀のフォトスタンドが立っている――
「おい神愛! 僕の本はどうした?」
「全部神愛が預かりました。だってさ、異世界ハーレム小説とかバトル系コミックスとかって男の子向けでしょ? パソコン改造マニュアルやアニメのビジュアルブックも没収ね。男かなって怪しまれるから」
まあ確かにそうだけど、そのくせ「お兄ちゃんラブなライトノベル」だけはそのまま残ってるのはなぜなんだ。
「じゃあこの写真は?」
机の上、カメラ目線の神愛がVサインをして笑っている。
「世界一可愛い妹の写真だよ!」
「いや、だからなんで?」
「癒やされるでしょ?」
写真と同じポーズを取ってキッパリ言い切る神愛。
「でも僕はここで姉小路を名乗ってるんだよ。神愛は北丘だろ。ここに神愛の写真があるのは不自然だよ」
『姉小路』は母の旧姓だ。僕の本名は北丘千歳。でも学校では姉小路千歳と名乗ることにした。万が一、僕の旧友が来ても気付かれないように。
「あれっ、知らないの? 神愛も姉小路を名乗って寮に入ったんだよ! お姉ちゃんの妹として来年剛勇に入る予定ってことでね! だからお部屋に愛する妹の写真があっても大丈夫だよっ!」
ドヤ顔で平坦な胸を張る神愛。
「それにさ、誰が見ても神愛とお姉ちゃんは姉妹にしか見えないよ?」
確かに、鏡を見る度そう思う。神愛の方が柔和で可愛らしい感じだけど、基本そっくりだ。
「仲良くしようね、お姉ちゃん!」
「仲良くって何だ?」
「手を繋いだり抱き合ったりキスしたりそれから…… って、やだお姉ちゃんったら!」
おかしい、神愛は我が家で一番の常識人だったはずなのに。こいつ、いつから頭がおかしいブラコンになったんだ?
しかし、その疑問を彼女は一蹴する。
「神愛はブラコンじゃないよ。百合だよ。だってお姉ちゃんってすっごく綺麗だもん。惚れちゃったんだもん。てへへっ。ねえ、いいでしょ、お姉さま~っ!」
ああもう、こいつの人生、駄目な気がする。
僕の人生も終わったみたいだけど。
「こらっ神愛、抱きつくなよ!」
「逃げないでっ。お兄ちゃんはお姉ちゃんなんだから、これくらい当たり前だよ。学校でもボロを出さないように女の子とのスキンシップには慣れなきゃダメだよ。だから神愛が手伝ってあげるんだよっ!」
ベッドに逃げた僕に飛びついてきた神愛から、ふわりと石けんの匂いがした。




