第4話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「すぐに迎えを寄越します」
彼女の話は本当だった。
彩夏ちゃんはすっごいお金持ちの子女だ。お母さまは大学院から幼稚園まで全国に10以上もの学校を傘下に持つ学校法人マリアナ会のオーナー理事長。高校と幼稚園だけの剛勇とはスケールが違う。神愛が聞き出してこっそりお家に連絡を入れたらすぐに迎えの車を出すという。
しかし。
「あたし帰りませんよ。ぜ~ったい帰りませんよっ!」
大きな赤いカバンから黄色い枕を取り出して徹底抗戦の構えの彩夏ちゃん。
「これさえあればぐっすり眠れるんだからっ!」
「彩夏はお子ちゃまね」
「お子ちゃま言うな~っ!」
神愛にいじられながらも彼女は涙ちょぎらせ訴える。
「わたしだって剛勇に入るんだから、ここに住んでいいでしょっ!」
いや、入るからって勝手に決められても。入試もあるし――
「入試? このわたしが落ちるとでも?」
フフッっと口の端を吊り上げ、彼女は1枚の紙切れを突き付けた。それは全国模試の判定結果。偏差値79、剛勇学園合格判定S。合格判定にSってあったっけ? いや、そもそもこの子、全国順位二桁だ。こりゃどこを受けても合格だ――
「分かったかしらん? じゃあ今日からあたしを泊めるのよ」
「困ったお子ちゃまね」
「千歳さままでお子ちゃま言うな~っ!」
1時間後、寮の前にお迎えの黒いリムジンが到着した。しかし、長い巻き髪の美少女は枕を抱きしめたまま頑と動かない。
「何度言っても同じだから、あたしはここに泊まるんだからっ!」
迎えに来たのは執事だという背広を召したご老体。
「お嬢さま、我が儘を言ってはなりません。お嬢さまは明日のマリアナ学園を背負って立たれるお方なのですぞ」
「そんなのお姉ちゃんひとりで充分でしょ?」
「いえいえ、お嬢さまはマリアナ女子中学の生徒会長として……」
「イヤよ! 小学校でも児童会長、幼稚園の時もお遊戯隊長だったのよ! もうこんな茶番なんてまっぴらごめんだわっ!」
「ささ、帰りますぞ。お母さまも心配しておられますぞ」
彼女には彼女の事情があるみたいだけど、ここはともかくお帰りいただかなきゃ――
「ね、彩夏ちゃん。今日のところはお家に帰りましょ?」
「わたしが居たら迷惑って言うんですかっ?」
「ううん、そうじゃなわ。そうじゃないけど――」
「こんなに可愛い後輩が嫌いとでも?」
「そうね、可愛いわね。そのド派手な髪飾りはちょっと悪趣味だけど」
「悪趣味ですって?」
いけない、余計なことを言っちゃった?
「そうですか、悪趣味ですか、父にもらったこの真っ赤な大輪の巨大な薔薇が悪趣味と」
はい、メチャ悪趣味です、フラメンコ踊り出すかと思いました、とは言えず。
「あ、そう言う意味じゃなくって彩夏ちゃんには飾りなんかなくても十分綺麗かな~、って」
「いま、誤魔化そうとしましたね?」
「ほら、今度来たときはちゃんと彩夏ちゃんのお部屋用意しておくから。お家の許可をもらってから……」
「わかりました。こう見えて彩夏は常識のあるいい子です。じゃあ約束ですよ。許可が貰えたら泊めてくださいね。指切りです」
ぷんすか頬を膨らます彩夏ちゃんと右手の小指を絡ませると、彼女は急に俯いて。
「今日の日はさようならです。また会う日までです。千歳さま、絶対また来ますからね。ささ、じいや、今日は帰ってあげても宜しくてよ!」
こうして黒いリムジンは常識が怪しげなゴージャス娘を乗せて去って行った。
しかし、このときの僕は、自分が犯した重大な失敗に気がついていなかった。
翌日。
週末に行われる吹奏楽部演奏会の応援練習を終えて寮に戻った僕の目に、昨日見た黒いリムジンが飛び込んできた。
「お待ちしてましたお姉さま方っ!」
深紅の服にゴージャスな麻色の巻き髪。ド派手な薔薇の髪飾りは見当たらないけど、それでも常識外に目立つ美少女・秋宮彩夏が駆け寄ってきた。車の横には黒いスーツのご老体。慇懃に頭を下げる。
「お嬢さまをよろしくお願いいたします」
「はっ?」
一足先に帰っていた神愛が耳元で囁く。
「彼女のお母さまがOKだって」
いやいや、そんなに簡単に言われても――
「でも寮に泊まって貰うには学校の許可が……」
「それなら大丈夫でございます。剛勇学園の北丘学園長からもご了解をいただいております故」
「か…… 学園長が?」
「そうよ、仲良くしてあげてね」
「かっ、学園長!」
悠然と寮から出てきた母さん、よそゆきの笑顔で黒いスーツのご老体に挨拶するとみんなを寮へと招き入れた。
彩夏ちゃんの部屋はサリーの隣が準備された。1泊するだけにしてはでっかいスーツケースが部屋の前にドカン。
「じゃあ後は頼んだわよ、千歳」
仕方ない、食堂に集まりみんなで簡単に自己紹介。少しの歓談の後、僕の手に一枚の福沢諭吉を握らせると母さんは颯爽去っていった。この金で歓迎してあげろ、って事だろうけど、今日は夕食も用意されているし、特にすることはないんだけど――
「体験入寮はいつまで?」
「はい、ずっとです!」
「ずっと?」
「高校卒業までずっと」
「あの姉小路さま、ちょっと宜しいでしょうか……」
振り向けば老紳士。僕はみんなを食堂に残して彼とふたり廊下に出た。
「恥ずかしながら姉小路さまを見込んでお願いがございまして――」
彼の名は東宮寺勘一郎、執事として秋宮家一筋に50年仕えているという。
「彩夏お嬢さまは言い出したら聞かないところがございまして、昨晩も帰るなり家を出るの一点張り。奥方さまの前に座り込み、児童虐待だ、人権侵害だ、許してくれなきゃ母さんのBL好きを世間にバラすと、そりゃあもう凄い剣幕で。奥方様も根負けされて渋々ご了承なさったのです。そこで、姉小路さまには何とか彩夏お嬢さまが早々にお家に帰られるよう説得をしていただけないかと――」
そのあと奥方さまは「婦女子の何処が悪い」と酒を飲んで大暴れ、東宮寺さんは取りなすのに大変だったと言う。おでこの絆創膏をさすりながら彼は言葉を続ける。
「お嬢さまは、わたしの事はわたしが決めると仰るのですが――」
麻色の巻き髪に切れ長の瞳、成績優秀で理性的に見える彼女だけどヒステリックになると手が付けられなくなるらしい。それは彼女の雰囲気からも何となくだけど分かる気がした。
それでも。
「分かりました、わたくしに出来ることはやってみます」
目の下にも青黒いあざを作り、満身創痍の東宮寺さんを見ると、僕にはそう答えるしかなかった。




