第9話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
千歳が寮を出ました。
サングラス良し、マスク良し、ウィッグ良し!
予定通り尾行を開始します。
千歳は今日のデートのこと、寮のみんなに打ち明けました。
サリサリにも神愛ちゃんにも。
あの時、三崎さんと一緒にいたのは千歳だけじゃありません。少し離れていたけれど、あたしもサリサリも神愛ちゃんもいたんです。だからみんなに白状したんだとか。もしかしたらあの場にいた他の人にも火の粉が降りかかるかも知れないからって。分かります。でも、なんだかつまんない――
よく晴れた土曜の午後、千歳は大阪方面への電車に乗りました。同じ車両の隅っこにひっそりあたしは佇みます。こんなことしてホントにいいの? 最初はチクリ心が痛みましたけど、今はこの先何が起きるのか、妙なドキドキ感をちょっと楽しんでるあたしがいます。
もしもこれが、今から千歳とサリサリがふたりでお買い物デートだったら、あたしの気持ちは台風直撃みたいに大荒れだったでしょう。だけど相手が西園寺くんだとジェラシーを感じないこの不思議。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
眩い光の窓の向こうに商店街が通り過ぎていきます。女子高生の笑い声、誰かのイヤホンから漏れるシャリシャリという高い音、千歳はぼんやりと車内広告を眺めています。ああ、横顔に見惚れてしまう。あたしが知るいちばん綺麗な人・千歳。どんな女優も、どんなモデルも千歳には敵いません。だから今でも困惑しています、あたしが掴んだ千歳の秘密は正解なのか? その美しい外見からは今でも信じられないのです、千歳が……だなんて――
真っ白なブラウスにキュロットのスカート、細い脚にはベージュのパンプスを履いて。ちょっとラフでもフェミニンな出で立ちはキリッとお高い千歳に優しさをプラスさせるナイスコーディネート。多分あれ、神愛ちゃんお勧めのコーデだと思いますけど、水色の髪飾りはあたしのお勧め。ちょっと嬉しい。
昨日の夜、あたしは千歳にデートのアドバイスをしました。
夜9時過ぎだったかな、なぁ子に会おうと階段を降りると、食堂から灯りが洩れていました。覗くとカップラーメンを啜る後ろ姿。
「千歳?」
あたしの声にビクンとした千歳、焦りながら言い訳を始めました。今日は体育があってお腹空いたでしょ、とか、わたくし貧乏だから時々この味が恋しくなるのよ、とか、カップ麺は少しのびた方が美味しいわよね、とか。あたしは何にも責めてないのにあたふたしちゃって、まったく可愛いんだから、千歳。
ちょっと嬉しくなって彼女の前に座りました。あたしが持ってたキャットフードの袋を見て「マナもおやつ?」だって。千歳ってばホントに食べることが大好きですね。
ヌードルを啜る千歳に明日のデートの行き先を聞くと、事もなく「全部西園寺くんに任せてる」だって。一応は女の子だから慎み深く、な~んて言うんだけど、どこに行きたいかくらいハッキリ言ってあげる方が優しさだと思うんですけど。まあ、相手は西園寺くん、千歳を強請ってきたんですから少しくらい痛い目に遭えばいいかな――
電車を乗り換え着いた先は大阪ミナミの中心地、難波。趣味が悪いド派手な看板が連なって、たくさんの人でごった返しています。まさに『ここが大阪でっせ、儲かりまっか?』ってな世界。土曜の午後、活気溢れるアーケードのど真ん中に聳え立つ有名百貨店入り口が待ち合わせ場所、って聞いたんだけど……
(千歳違うって! そっちじゃない!)
昨日あたしが描いてあげた地図を見ながら地下から地上に出た千歳、けれども目と鼻の先にある待ち合わせ場所を無視してズンズン反対方向に進んでいきます。ああもう、考えられない方向音痴。だけど今のあたしはサングラスにマスクの変装女。黒髪ボブの地味目なウィッグで絶対バレない自信はありますが、声を掛けるわけにはいきません。しかし千歳は辺りをキョロキョロ見回しながら首を傾げてズンズン反対へ反対へと突き進んでいきます――
ああもう!
やがて大きな通りに出ると、さすがの千歳も道を間違えていることに気がついたのでしょう。考えた挙げ句にスマホを取り出しました。
ピロピロン!
「どうしたの千歳? 待ち合わせ場所はわかった?」
千歳はあたしに電話を掛けてくれました。
「それがその、迷わず駅までは辿り着いたのだけど、そこから分からなくなっちゃって――」
はいはい見てました大ボケの一部始終。
「待ち合わせ場所はデパートの入り口でしょ?」
「そうなのよ、でもおかしいの。ないの、デパートが……」
目の前にあったでしょうが!
「お店、消えちゃったのかしら、異次元に」
「消えませんっ!」
「じゃあ、どうしてないの?」
反対に歩いたからですっ! と叫びかける声帯をぐっと押さえ込みます。
「地上に出てから反対の向きに進んだのかもよ?」
「そんなはずはないのだけれど――」
そうなんです!
「あのね千歳、そう言うときは元いた場所に戻るというのが定石よ」
なるほどね、と呟くと同時にくるり回れ右をした千歳、早足で元来た道を戻り始めます。
「そうそう、そっちそっち」
「こっちでいいのね?」
「そう、そのまま真っ直ぐ」
「マナったら、まるで見てるみたい」
そりゃ見てますから――
とは言えません。
「千歳のことなら何でもお見通しなのよ」
「ホントに? じゃあ、次の十字路はどっちに行けばいいのかしら」
「真っ直ぐに決まってますっ!」
ああもう、真っ直ぐ歩いたら真っ直ぐ戻るだけでしょうに!
「あれっ、凄いわね、マナの言うとおりだわ。あっちで西園寺くんが手を振ってる」
これでやっと一安心。背後にあたしがいることに気がついていないみたいだし、
通話を終了した千歳はシャキンと背筋を伸ばして、高嶺のご令嬢モードに突入です。
嬉しそうに千歳に駆け寄り腕を組もうとする西園寺くん。彼の手をするりと躱して、さっさと歩き出す千歳。
「汚らわしい手で触れないで!」
言ってる言ってる。
さすがはあたしの大好きな千歳だわ!