第7話
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結局、部活巡りは打ち切り、寮に戻った。
「うわ~あっ、綺麗なお庭だわよ~! 食堂も広いわよ~!」
サリーは寮を凄く気に入ってくれたみたい、神愛とも瞬間で打ち解けてハグハグしていたし。一通りの案内を終えると彼女は自分の部屋に入った。荷物は日中に届いていたらしく、今頃段ボール箱の山と格闘中だろう。
サリーの部屋はマナの隣だ。
転校生が来ることを神愛は以前から知っていたらしい。だけど口止めされていたと言う。女子が複数になることを知って、僕が女装をやめたら困るから、だと。まったくひどい母親だ。こんなに美女な息子が信じられないのだろうか。神愛はごめんって素直に謝ったから許すけど。
「今日の晩ご飯は特別にお寿司だよ。出前の豪華なヤツ。6時半になったら食堂に集合ね~っ」
夕食まで1時間、部屋でパソコンの起動画面を見ながら考える。
サリーはアニメ研究部に入るのを楽しみにしていた。だけど剛勇にアニ研はない。ゲーム同好会と漫研を見て回ったけど反応はいまいちだった。寮に戻る途中も時折考え事をしていたし。もしかして剛勇をやめると言い出すんじゃないか。せっかく本物の女子がふたりになったのに。絶対に繋ぎ止めなくちゃ――
パソコンが立ち上がると将棋ソフトをクリックした。コンピュータ相手に一局指しながらさっきの続きを考える。
新たにアニメ研究部を創るって手もある。当然、僕も入ることになる。じゃあマナは? マナも一緒にアニ研に入ってくれるだろうか?
トントン
「神愛? 開いてるわよ」
「あの、ちょっと、いい?」
しかし、入ってきたのは神愛ではなく、僕が今、思っていた人だった。
「どうぞ。何もないけど」
マナに椅子を勧めると、僕はベッドに腰掛けた。
脚は揃えて少し斜めに美しく――
「あれっ、千歳って将棋するんだ?」
「ちょっとだけね、弱いけど」
「金さんと銀さん、桂さんと香さん、それから歩さんがいっぱいで戦うんですよね?」
「いや、人の名前じゃないのよ」
「あたし、将棋は知らなくって。麻雀なら自信あるんだけどな」
冗談めかして笑うマナ。自信あるんだ、麻雀。
やおら彼女は僕に向き直り真剣な顔になる。
「帰り道のサリサリ、凄くがっかりしてたわよね」
「全部学園長が悪いんだわ。アニ研があるなんてウソついて」
「ねえアニ研作らない? サリサリが学校やめないように。あたしも入るから」
「えっ?」
驚いた。それはまさに僕がお願いしようとしていたこと――
「彼女が辞めちゃったら困るでしょ?」
「ええまあ。実はね、わたくしも同じ事を考えていたのよ」
「わあっ、嬉しいな。あのね千歳、あたしには遠慮しないでね、何でも言ってね。あたし、絶対怒らないから。千歳のためなら何だってするから」
椅子を立ち歩み寄ると、彼女の両手が僕の手を握ってくれた。くりっと大きく澄んだその瞳も喜んでくれた。
「でもマナはアニメとか好きじゃないんでしょ?」
「好きよ普通に。ううん、かなり」
柔らな微笑みを振る舞うマナ。だけど本当は、彼女はテニスがしたいんじゃないだろうか。今日、西園寺が言っていた、彼女はかなり強かったって。次期エースと言われていたって。それなのに彼女は自分を押し殺しているんじゃないのか。僕は彼女の我が儘を一度も聞いたことがない――
「どうしたの、千歳? ぼんやりして」
「――マナは、ホントはテニスがしたいんじゃないの?」
「それはもういいって言ったでしょ?」
彼女は横に腰掛けた。ベッドの上、僕の長い髪とマナの栗色の髪が触れ合う。微かに香る優しい匂い、白く細く長い首筋がうねるように艶っぽい。
「あたし、何か新しいことをしたい気分だし」
真っ直ぐに見上げてくるマナの、その小さな桜色の唇が…… って、近いってば近いよ、マナ近いよ! 僕の下半身も何考えてるんだよ! 自制しろよ千歳、お前女だろ! がまんがまん。えっとこう言う時の呪文は…… 羊が一匹、羊が二匹、羊が………… って眠ってどうする~っ
!!
一瞬だった。桜花のような唇が僕の首筋を舐めた。
頬を朱に染めるマナ――
「困ったことがあったら何でもあたしに相談してね」
小指を立てて僕に迫る。
「あたし、どんなことも怒ったりしないから」
「…………」
「やくそく」
「……わかったわ」
指切り。
ああ、なんか流されてる。僕ってば、どんどん流されてる!
「そ、そ、そう言えば、今晩お寿司だったわね。マナ、お寿司は好き?」
「もちろん! 特に玉子」
安上がりな女の子だ。
「千歳は?」
「わたくしはそうね、鉄火巻きかしら」
「どうして?」
「安くてお腹いっぱいになって、しかもマグロでしょ」
あ、貧乏自慢みたい。
「ふふふっ、やっぱり千歳って面白い!」
栗色の髪を僕の肩に寄せるマナ。右腕に優しく体温を感じる。
「千歳は、あたしのこと……」
「……マナのこと?」
「ううん、何でもない」
視線を外して俯く彼女。
しみじみ心が満たされていく。
愛おしいってこんな気持ちなんだろうな。
マナの空間に包まれてずっとこうしていたい――
「……」
「……」
「あらっ、神愛ちゃんの写真?」
しばらくの後。
机の上、銀色の写真立てに気がついたマナはすっくと立った。
「あ、うん。神愛が置けってうるさいのよ」
恥ずかしいから隠していたら、神愛にこっぴどく怒られたのだった。
「って事は、神愛ちゃんの部屋には千歳の写真が?」
「……多分あるわよ」
先週、女装姿を何枚も撮られたのだった。内股でにっこり「ピース」ってサービスしちゃった。出来た写真は気持ち悪いくらい可愛かった――
「わあっ、今度見せて貰おうっと………… って、あれは?」
今度はタンスの方へと向かうマナ。タンスの上、奥まって控えめに見えるペンギンのぬいぐるみと愛らしいテディベア。
「あのテディベア、千歳の? 触ってもいい?」
「あ、ええ。もちろんよ」
背伸びしても届かないマナに、僕はそれを取ってあげる。お座りしている毛がふさふさの可愛らしいクマさん。柔道部の暴力熊とは大違いだ。しかし彼女は不思議そうにそれを見つめる。
「どうかして?」
「あ、ううん、何でもない…… 千歳の誕生日って10月10日なのね」
出産祝いに母の友人から貰ったというそのクマは、水色のエプロンに僕の名前と誕生日が記されている。
「知ってる? 10月10日って、マグロの日なのよ。鉄火巻き大好きな千歳にピッタリねっ」
タイムリーなうんちくを垂れたマナは、テディベアの頭を優しく撫でる。
「これ、プレゼントで貰ったの?」
「ええ、母が友だちに。わたくしの出産祝いですって」
「そうよね。実はね、あたしも持ってるんだ、これと同じテディベア。ただ…… あ、もうすぐ夕食だね。あたしちょっと部屋に戻ってからいくね」
彼女は微かに微笑んで、テディを僕に手渡した。