第13話
目の前に熊男の巨軀が転がる。
広い校庭のど真ん中、茶色い土の上で仰向けになったまま目を白黒させる。
「…………」
「…………」
賑やかだった校庭が一瞬にして静まりかえった。
プラカードを持った白衣くんも、チラシを持ったバスケ部野郎も、謎かけ大好き落研メガネ君も固まったままだ。僕は男の手を取って投げ飛ばしてしまったのだ。
「いででで…… あ、あんん? て、てめえっ――」
数瞬の後、事態を把握した熊男は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「おい、あの大山を投げ飛ばしたぞ」
「見事な一本背負いです」
「ヤバイよ、これヤバイよ!」
さっきまで周りにひしめき合っていた野郎どもがじりじりと後ずさる。僕とマナの周りに空白地帯が出来上がる。
眉間に皺寄せ、恐ろしい形相で仁王立ちする巨漢の熊男。
でも、こっちだって怒ってる!
傍らに寄り添うマナの気配が僕を後押しする。
「ふんっ、弱いのね。さ、行きましょ、マナ!」
「おい待て、誰が弱いってえ!」
熊男、完全にお怒りモードだ。
実は昔、僕も柔道場に通っていた。一応帯も黒色だ。もうやってないけど。だから油断して隙だらけの相手なら投げ飛ばせても不思議じゃない。けれど今、目の前の熊男は本気モードになっている。しかもヤツは現役柔道部重量級の黒帯。一方の僕は昔取った杵柄。まして今の僕は女の子なのだ。スカート穿いて、リップクリーム塗って、貧乳と言われたって魅惑のBカップなのだ。さっきだって高橋くんから映画に誘われた「ちょっといい女」なのだ。勝負の行方は容易に想像がつく。だから、謝る気にはなれないけどちょっとクールダウンした。ここはマナを連れて早々と立ち去るべきだ。
「わたくしが女だから油断したんですよね。訂正しますわ、ホントは貴方の方が強いです。じゃ、失礼しますね」
「誰が弱いって聞いてんだコラ!」
けれど和解案に乗ってこない熊男。真っ赤な顔しちゃって、高血圧で死ぬよ?
「これ以上やって負けたらあなた、本当にクズよ? ゴミよ? 宇宙デブリンよ!」
「っせえ、このアマア!」
言うが早いか、高血圧熊男が突進してきた。丸太のような太い腕に捕まったらひとたまりもない。体重差、腕力の差は歴然。そんな熊男が真っ直ぐに突進してくる。
「マナどいてっ!」
「うおおおおおおお~っ」
「ちとせ~っ!」
マナの絶叫が聞こえる。
伸びてくる熊男の手を躱すと襟を掴んだ。
そしてヤツのベクトルに逆らわずに引き付けて。
「りゃあ~っ!」
――――
青空を背景に熊男が飛んでいく。まるでスローモーションのように。
ずどおおおおおおお~ん!
僕は熊男を引き倒しながら右足に乗せ、思いっきり投げ飛ばしていた。
我ながら華麗に決まった、巴投げ。
「おおおおお~~っ!」
どよめきと喝采と歓声が沸き起こる。
「うひょお~っ!」
って、歓声?
「おい見たか?」
「見た見た、見えた――」
――って、もしかして!
「ってか、まだ見えてるし!」
「おい、あまりジロジロ見るなよ!」
「だって、あの千歳さまの花園だぞ!」
やばっ、僕って今、スカート!
「きゃあ~っ、見ちゃいやあ~っ!」
女の子らしく叫んでみた。女の子女の子、僕は女の子。可愛い女の子。スカートを押さえながら慌てて立ち上がる。まずい、見られた?
「けど何あれ、体操服?」
「です、黒の短パンです。残念です」
そうだった。周囲の声に思い出した。
神愛の勧めでスカートの下にはちゃんとショーパン穿いてたんだ、助かった!
ふうっ、と一息ついて足下の熊男を一瞥する、みんなのざわめきはまだ続いている。
「つえ~っ!」
「格好いい~っ」
「おい石清水、鼻血出てっぞ!」
「ああっ、なんて凛々しい千歳さま!」
「今晩夢に見そうっす!」
悪夢だ。
「ごちそうさまです。今晩お世話になるです」
悪いこと言わない、アイドルのグラビアにしておけ、落研メガネ君。
「俺も投げられたい――」
背番号1番、お前、ピッチャーだろ?
「いい気になるなよ、この女っ!」
立ち上がり声を荒げたのは柔道部の熊男、忘れてた――
頭から湯気を出しながら熊男、その巨漢がゆっくりゆらりと近づいてくる。今度こそ完全に本気だ。隙がない。
「まだやるの、宇宙デブリン」
「それを言うなら宇宙デブリ」
「黙れ!」
突っ込む落研メガネ君をひと睨みで黙らせた熊男。
「ふんっ、やっぱりゴミね。宇宙ゴミ。宇宙クズ。宇宙うんこ」
やばっ、言っちゃった。普通に組まれたら絶対勝てないだろうに――
肩を怒らせにじり寄ってくる巨漢熊。どうしよう、挑発に乗ってこない。冷静だ。隙がない。でもこっちだって後には引けない。負けるか!
僕は熊男を睨み返す。
「ちとせ……」
マナは僕の横に立ち一緒に熊男に対峙してくれた。くちびるを噛みしめて、震えながらも一緒にいてくれる。
「マナ……」
悔しいよ。
こんなに可愛い女の子を、こんな怯えさせるなんて!
これじゃあ剛勇に永遠に女子はこないよ!
どうして分からないんだ!
って、あれっ?
「千歳?」
頬をほろり何かが伝う。また悪いくせが出た。
「――泣いてるの?」
こんな時に泣くなんて、男のくせに。
だから僕はダメなんだ。
ああ何てカッコ悪い――
「千歳に近寄らないでっ!」
目の前に躍り出て両手をいっぱいに広げるマナ。泣いてる場合じゃない、僕は彼女のためにいるんだ。胸を張れ、睨み合いで負けちゃダメだ。気力で負けちゃダメだ。僕は男だ――
と、
「「「姉小路さん!」」」
ゼッケンイレブンに巨漢のラガーマン、それに落研のメガネくんが僕らを庇うように前に出た。
「やめろ大山!」
「これ以上は許さねえ!」
「うちのうさぎちゃんに手を出すなですっ!」
「誰がうさぎちゃんなのよ!」
突っ込む間にも同士が増えていく。 金属バットを手にした野球部、ラケット振り回すテニス部、穴あき白衣の科学部、そしてセーラー服の漫研までもが――――
「みんな…………」
同士が増える。
「姉小路さんを泣かせるなっ!」
「姉小路さまに手を出すな!」
「姉さまを押し倒すなっ!」
「姉さまのスカート覗くなっ!」
「みんな……」
もう、細かいことはどうでも良くなっていた。
みんなが僕たちの味方になってくれる。熊男に対峙してくれる。張り詰めていた心に温かいものが満ちていく――
こうなったらもう手も足も出まい。
「覚えてろっ!」
悔しそうに捨て台詞を吐くと、熊男は逃げるように去って行った。




