死霊使いが戦うために
朝の出来事から少しの間休みを挟んだ後、準備から戻ってきたイリス指導の下、ついに本格的な修行を始めることになった。
休みの間にキリウがどんな準備をしていたのかというのをイリスに尋ねたのだが、慌てるなとキリウの頭をぐしゃぐしゃと乱暴になでるだけで、詳しいことは教えてくれなかった。
始める直前、イリスはどこか遠く、方向的に言えば森の奥のほうをじっと眺めている様子で、一つの方向をじっと眺めた後、また別の方向を向いてじっと眺めるという行動を三回程繰り返した。
何かを確認するような行動だったが、その光景を不思議そうに眺めるキリウはまだその行動の意味がわかっていない。もっともすぐにわかることになるのだが。
「それじゃ始めようかね」
そう言ってイリスが立ち上がる、それと同時にまた遠くの何かを見る。
「師匠、さっきから森のほう眺めてますけど何かあるんですか?」
「ん、まあそうだな。 キリウ、お前はもうこいつらは見えてるよな?」
「はい、見えてます」
イリスがこいつらと呼ぶのは、二人の周囲ををあっちへこっちへと飛び交う青い球体たち、死者の魂達のことだろう。それらをぴっと人差し指で差し、キリウに問いかける。
「ここではそこら中に飛んでいるが、本来ならこんなに飛んでいることはまずない」
「そうなんですか?」
意外、という表情をキリウが浮かべる。
死というものはわりと身近な存在だ。いつどんな場所で、どんな理由で死ぬなんて、誰にもわからない。
魔法や剣術などといった、争いが生み出されそうな種だっていくらでもある。
病などで死んでしまう可能性もある。
それほどまでに、簡単に死んでしまう人間だから、キリウはその事実が意外に感じた。
「ああ、もっと少ない。町の中なんてまずいないさ、あいつらがいるからな」
「……ああ、なるほど」
あいつら。イリスがそう呼ぶ相手だが、すぐに教会の連中のことだと察しがつくだろう。
キリウもすぐにピンときた様子で、納得したように頷いていた。
裏でなにをやっていようと、表向きは聖職者なのだから、除霊やそういった類のことに秀でていてもなんら不思議ではない。大きな町や、王都といった教会が置いてある土地に死霊はまず存在しないだろう。
「それらをふまえた上で問題を一つ出そう。死霊使いが一番戦い易い場所は何処でしょうか?」
「墓地ですかね」
イリスの問に対して、キリウはそう即答した。
「うーん、それも正解っちゃあ正解だ。ただそれは条件付だ」
「死霊使いにそれ以上適した場所ないと思うんですけど」
「まあそれも。正解は、今お前が立ってる場所だ」
「はい?」
そう言ってイリスは、今自分たちが立っている真下の地面に向かって指を刺す。
キリウはイリスの言うことがいまいち理解できず、なんとも言えない表情を浮かべる。
「戦場だよ」
幼さの中にどこか哀しさを帯びた声が、二人の耳に届く。
いつの間にそこにいたのか。キリウが後ろを振り向くと、そこにはアリスが立っていた。
そういえばさっきから姿が見えていなかったと、キリウは今更にながら気づく。
それ以上特にキリウに声をかけることもなく、そのまま横を抜けて、いつものようにふわふわと浮かんでイリスの元へと飛んでいく。
「誘導してきたよ」
「そうか、お疲れさん」
そう一言だけ報告すると、アリスの身体は風に吹かれ霧散し、消えた。
労いの言葉の後、イリスがぼそりとなにかを呟いたが、吹きぬけた風に掻き消され、誰の耳に届くこともなかった。
しかし、ついさっき話をしていた時とはまるで様子が違うことは、誰の目から見ても明らかであり、すぐ近くにいた少年がそれに気づかないはずが無かった。
どうかしたんですか、と声をかけることは簡単だ。だが、果たしてそれを気軽に聞いていいものなのか。そんな考えがキリウの中を巡る。
「ま、そういうわけで、戦いの跡には必然的にたくさんの死霊が生まれるんだ。あ、教会の奴等に回収された場合は例外な」
言葉を挟む前にイリスが話を再開した。
先のことをなかったことのように明るく振舞って会話を切り出した。
見たところ無理をしているようでもないため、キリウも深く追求することはなく、大人しく話に集中することにする。
朝食の時のアリスの表情や今のことだって、気にならないと言ったら嘘になる。
でも、いつか向こうから話してくれる日まで自分からは尋ねないようにしよう。心の中で一人、キリウは静かにそう決意する。
「戦場跡だったり何かが滅んだ場所なんてそうそう見つかるもんじゃない。というかぱっと見てもわからん」
「つまり今からするのはそういう場所を見つける修行だと」
「そういうこと。ちょっとでも有利なほうが良いだろう? そもそも死霊がいないと戦えないしな」
そこで話を切り上げ、森のほうへと向かっていく。
そこでまた森の奥を眺める。おそらく最終確認のようなものだろう。誘導した、と言っていたのも、なにか準備の一環を終えたということだと思う。
眺めた後うんうんと嬉しそうに頷いたイリスがキリウに話しかける。
「いいか、キリウ。ここから少し離れたところに立てた目印に、アリスが霊を誘導しておいてくれた。正確なものでなくていいから大体の距離と魂の数を感じ取ってみろ」
「できる前提で言われても困るんですが……」
「平気平気、多分出来るから。あ、目印は三つあって、近い場所から徐々に遠くなるように置いてるから」
いいからやってみなと背中を押され、やり方も教えてもらえず、その場で立ち尽くすキリウ。
己の師匠の適当さに頭を抱えたい気分であったが、取り敢えず一息ついて呼吸を整えた。
正直やけくそ気味だが、ひとまずなにかを感じ取ろうと意識を集中してみる。
そのまま目を閉じ視界を塞ぎ、真っ暗な世界に自分を引き込む。当然なにも見えていない。
風に吹かれ、ざあざあと揺れる木々のさざめきが辺りに響く。
そのさざめきすらも徐々にキリウの意識からは遠ざかり、次第に視覚でも聴覚でもない、別の感覚が研ぎ澄まされていく。
感覚としては触角が近い。ほとんどの厚みのない、とても薄い膜のようなものが全身を覆っているような感覚がキリウを包む。
その膜は自分の意思で広げることが出来た。その薄い膜を少しずつ大きく、遠くまで広げていく。
ゆっくり、ゆっくりと広げていき、三メートル程広げた頃、ほとんど衝撃もなく、なにかが膜に触れた。拡がった膜は抵抗することなくそれを飲み込んだ。
飲み込むと、入り込んだそれの形が鮮明に伝わってきた。膜の中をゆっくりと漂っているそれは小さな球体だった。
もう一つ、また一つと丸い何かが膜に触れ、次々と飲み込まれていく。
丸く、宙を漂うという性質を見て、これが魂なのだとキリウが気づくのに、時間はかからなかった。
しかし、感覚的にこの膜はまだイリスの言っていた目印にまで達していないことをキリウは感じ取っていた。恐らく辺りを飛んでいた魂達だろう。
そこで一度集中が切れたようで、膜が急激に収縮しキリウの身体の大きさまで縮まると、キリウは長い間水の中に潜っていたかのように「ぷはあ!」と声を出して大きく息を吸い込み意識を覚醒させた。
暗く染まっていた視界に色が戻り、耳にも先ほどと同じ木々のさざめきがまた届くようなった。
時間は恐らくそれほど経っていない。身体も動かしていない。
それなのに、キリウの身体には疲労感がどっと押し寄せてきていた。
「おかえり。その様子だと成功したんじゃないか?」
すぐ近くの岩に腰掛けていたイリスがそう声をかけ、キリウに歩み寄る。
「多分できてたんですけど、届きませんでした。まだまだですね」
声を聞いて気が抜けたのか、軽く笑いながらその場にどさっと腰を落とす。
「はっはっは。因みにその技術を私が身につけるには一週間かかったぞ」
「は?」
師匠の発言に思わず 変な声をあげてしまうキリウ。
その様子を見て、イリスはまた大きな声を出して笑った。
「お前は見たこともない技術を、届かなかったとはいえ一回で成功させたんだ。自信を持て」
そう言ってイリスはキリウの頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
キリウは真っ直ぐな褒め言葉にどういう反応をしていいかわからず、何も言い返せず、赤く染まった顔を俯いて隠すことしかできなかった。