朝の出来事
「見えなかったのは多分、アリスを取り憑かせていたからかもしれないな」
キリウは起床後、暫く呆然とした時間を過ごした後、昨日と同様に朝食を作っていたイリスとその周りで悪戯して邪魔をしているようにしか見えないアリスに、魂が見えるようになっていることを伝えた。
本当に寝て起きたら見えるようになっていたというあまりにも旨すぎる話に、イリスも最初は「こいつも悪戯か」とでも言わんばかりの態度で適当な返事を返していた。結局キリウがどこにどんな魂がいるのかというのを正確に言い当てたため、信じてもらえたのだが、何故急に見えるようになったのかという原因を考えることになった。
「えー、私のせい?」
「アリスが取り憑いたことでなにか影響があるんですか?」
「特に害はないんだけどね。アリスは霊力が高いって話をしただろ? そこそこ長い時間憑かせてたからな、お前の霊力も多少高まってしまったわけだ」
「霊力が高いと見えなくなってしまうんですか?」
「まあそうだな、自身の霊力を抑えれば普通に見えるが。ただお前はまだ上手く操作できないからな、極端に霊力の高いものしか見えなくなってしまったんだろう」
「なるほど、そう言われれば納得がいきますね」
思えば、昨日の訓練の時も一定の霊力を下回った段階で突然見えなくなっていた。アリスのような霊ならともかく、そこいらにいるような魂の霊力では見ることが出来なかったというのも納得がいく。
「ま、何はともあれ見えるようになったんだ。素直に喜んでおきな」
「そうします」
じゃあ早速修行を――と言いかけたキリウだが、それを見越していた様子のイリスがずいっと何かを差し出す。差し出されるまま受け取ってみると、昨日も食べた赤い木の実だった。
キリウとしてはそのまま修行に移ってしまっても良かったのだが、イリスから朝食はちゃんと取るようにとかなり念を押されて言われてしまったため、しぶしぶ朝食を取ることになった。
イリスは準備があるからと先に一人森の中に消え、どこかへ行ってしまった。
朝食の一つである謎の野草を食べているキリウの横では、監視役としてイリスが置いていったアリスが座っている。そして幽霊であるはずの彼女も何故かキリウと一緒に野草を齧っている。
幽霊であるアリスに空腹と言う概念が存在するのか、そもそも普通に咀嚼しているが、何故ものに触れるのか、以前キリウの身体ををすり抜けてきたのだから間違いなく実体はないはずなのだ。
取り敢えず食べ進めてはいるキリウだが、隣にいる幽霊少女が気になっていまいち味が伝わってこない。
「ねえねえ。さっきからこっちをちらちら見てるけど、なにかよう?」
単純に気になったのだろう。汚れや穢れを一切感じさせない純粋な瞳でアリスがキリウに問いかける。
吸い込まれそうなその瞳から思わずキリウは目を逸らす。
そんな様子を見て、アリスはより一層不思議そうな顔を浮かべて、キリウの顔を覗き込む。
いくら視線を変えても追ってくるため、答えるしかないと観念したキリウが、控えめに思っていたことを伝える。
「幽霊なのに、飯食べるんだなって思って」
「そういうことね」
あっけらかんと、特に気にしてる様子も無くアリスは話し続ける。
「『実体化』っていうらしいよ。霊に実像を持たせて物に触れるようにしたり、普通の人に見えるようにしたりできるんだって」
「へえ、こんなこともできるんだ」
「それでも、食事とか、本当はいらないんだけどね」
ふと、アリスの顔を見ると、話し方はいつも見るアリスそのままだったが、表情はいつもの無邪気なものとは違う、どこか哀しそうな笑みを浮かべていた。
その哀しい笑みには一体どういう意味が込められているのだろうか。
自分と違う世界にいる彼女には、生きている自分はどういう風に見えているのだろうか。
幼い少女がするものとは思えないその表情に、思わずキリウもかける言葉を失う。
迂闊に踏み込んではいけない、そう感じさせるなにかがあった。
「……そういえば、他にも気になってたことがあるんだけど」
それを見て少々、いや、かなり露骨ではあったが、キリウが話を逸らそうと試みる。
ぎこちない会話の切り出し方に色々と察したのか、アリスもそれ以上この話を続けず、「どんどん聞いて!」といつもの調子を取り戻したように元気に振舞った。
それを見て内心少しほっとしたキリウ。他にも気になることがあったのは事実なのだが。
キリウが質問して、アリスが答えるという光景が、朝食を食べる間しばらく続くことになった。
「幽霊になっても魔法って使えるものなの?」
いくつか質問し、朝食もあらかた食べ終えた後、キリウがこんな質問をした。
それは幽霊の存在、というよりはアリスの存在を聞いてから、キリウが疑問に思っていたことだ。
村でキリウを守ったものは、見えはしなかったが恐らく魔法だ。キリウの記憶に残っている場所と発言を思い出す限りイリスではなくアリスが助けてくれたのだと思うのだが、こればかりは本人に聞かないとわからないことだ。
「それはなかなか難しい質問ですねー」
質問されるのが嬉しいのか、まるで偉い人のような口調を使うアリス。
なんて言ったらいいかなーとすぐ素に戻ったのだが、どうにも説明が難しい様子だ。
「使えるんだけど、場合によるって感じなの」
「というと?」
「いくつか条件があります」
そこからアリスは一から順序立てて、キリウにわかりやすく説明した。
見た目も中身も幼い少女だと思っていたが、先のことといい、説明といい、実はかなり成熟していうのではないだろうか。そんなことをキリウに思わせる。
まず魔法を使う前提として、適正というものが必要になる。
イリスが使っていた炎の魔法なら火の適正。水の魔法を使うなら水の適正と、適正を持っていなければ魔法は使うことができない。適正に関しては完全に生まれ持つ物であり、後から適正に目覚めると言うことはまずない。
その次に魔力というものが必要になる。
魔法を使うには魔力を消費するのだが、魔力が足りていない場合は魔法を使うことが出来ない。
当然大きければ大きいほど使える回数も多くなるし、強力な魔法も使うことが出来るだろう。
「ここがちょっとめんどくさいの。幽霊は死ぬ前の適正は引き継いでるんだけど、魔力はこれっぽっちも持ってないの」
「え? それって意味ないんじゃ」
「だから条件付なの。近いうちにママから同じような話を聞くと思うんだけど――」
その時、二人の近くの茂みががさがさと音を立てて揺れた。
アリスはすぐさま話を切り上げて、「後ろに隠れて」とキリウに目配せを送った。
自分より小さな少女に守られるのを自分でも情けないと感じているが、今の自分ではなにも出来ないこともキリウは理解している。悔しそうに唇をぎゅっと結びながら、素早くアリスの後ろに隠れる。
「おお、ようやく着いたか」
しかし、茂みのほうから聞こえてきたのはもう聞きなれた声。
そして茂みを掻き分け出てきたのは、もう見慣れた赤いローブにフードを被った少し身長の高めな姉御肌な女性。要するに、キリウの師匠であり、アリスの母であるイリスだった。
「いやー遅くなってごめんごめん。ちょっと迷っちゃってさ」
「……まあ、だよね」
「うん、なんかちょっと格好つけちゃって恥ずかしい」
たははと笑うイリスを尻目に心の中でがっくりとなる二人。
こんな場所にいる人間など冷静に考えればまずいないだろう。
しかし、イリス本人が進んで行った方向と真逆のほうから物音が聞こえたため少し用心深くなってしまったのだ。
「お? その様子を見ると多少は仲良くなれたのかな?」
「……そう、ですね」
「……うん!」
傍から見れば幼い少女の後ろに少年が隠れているという構図(まあアリスは常人には見えないのだが)
実に締まりの無く、格好の悪い光景なのだが、どこか微笑ましくも見える。
この朝の出来事は、短い時間ではあったが、確かに幽霊の少女と少年の絆を育んだだろう。