死霊術
一人の少年の運命を大きく変えた激動の夜が明け、新たな始まりを告げる朝を迎えた。
薄っすらと差し込む日差しと鳥の囀り、そして空腹の身体に響く香ばしい匂いが少年の目を覚まさせる。
目を覚ました少年、キリウは昨日の疲れからかまだ少し重い身体をゆっくりと起こし、目を擦りながら周囲を見渡した。
「お、起きたか」
すぐ傍にあった切り株に腰掛けていた女性が、身体を起こしたキリウを見てそう声をかけた。
彼女は焚き木で何かを焼いているようで、香ばしい匂いはそこから発せられている。
「おはようございます、師匠」
「うむ、おはよう」
師匠と呼ばれた彼女の名はイリス。師匠と呼んではいるがまだ具体的に何か指導したわけではないため、厳密にはまだ師匠ではないと思うのだが、わざわざ名前を呼ぶより呼びやすいことと、師匠と呼ばれたイリスの声が心なしかと嬉しそうなため、キリウがわざわざそれを口に出すことはない。遅いか早いかの違いだろうと、これ以上は考えないことにする。
イリスは朝食を捕りに行っていたようで、香ばしい匂いの正体はそこらにいた獣の肉を焼いていた匂いだった。どうやら食べ物に関する知識が豊富らしく、獣肉の他にこの周辺で集めた野草や木の実なども集めてあり、量だけ見るとかなり豪華な朝食が出来上がっていた。
「ほれ。起きたなら食べな」
切り株をテーブルに見立て、その上に用意された朝食の前にキリウは言われるままに座り込んだ。しかし見た目美味しそうではあるが、元は野生の木の実や野草。あまり見慣れない食べ物に対して、キリウは多少の抵抗を感じざるをえなかった。
結局空腹に抗いきれず、取り敢えず一口と赤く丸々とした果実を齧ってみたのだが、それが今まで食べたどの木の実よりも甘く、美味しかった。あっという間に木の実を一つ平らげると、もう一つ、また一つと、先ほどまで感じていた抵抗など無かったかのように次々と手が伸びていった。
一度手が動き出してからはまったく手が止まることはなく、キリウは凄まじい速さで食事を終えた。
「ご馳走様でした」
「ほいほい。良い食べっぷりだったよ」
先に食事を終えていたのか、食事している最中ずっとキリウの姿眺めていたイリスはそう言って茶化すように笑った。師となる人物の目も気にしないで、がつがつと食事に夢中になっていたと思うと、キリウは自分の子供っぽい行動に少し顔を赤く染めた。
「――さて、キリウ」
食事を終え、一段落ついた頃。イリスがキリウに話しかけた。
昨日の夜と同じ、どこか緊張した空気が流れるのを感じて、キリウも真剣にイリスに向き直る。
「少し場所を変える。そこでお前に、生きる術を教えようと思う」
キリウが口を挟むことはない。静かな決意を表しているかのようなキリウの蒼い瞳が、じっとイリスを正面から捉え、イリスの一言一言にただ耳を傾ける。
「くどい様だが、もう一度だけ聞く。止めてもいいんだぞ」
「……行きます」
「……そうか。じゃあ着いてきな」
それ以上言うことはなく、イリスは立ち上がり、そして森へ向かって歩き出した。
キリウも黙ってそれを後ろから追いかけた。
◇ ◇ ◇
「――着いたよ」
森の中をしばらく進み、開けた場所に出た。
しかし昨日の様な小屋のある小さな空間といったものではなく、ぱっと見渡した限り
場所に出た。しかし、確かに何も無いのだが、ちょっとした違和感をキリウは感じていた。今まで歩いて来た森の中と違い、焼けたように土が黒く、乾いている。よく見ると、おそらくは木であったであろうものの幹と思わしきものが黒く焼け焦げ地面に突き刺さっている。
キリウが最初に感じていたものは違和感ではなく、既視感と言った方が正しい。
黒く焦げた地面に木片。なにもない広々とした空間。この場所はキリウの村が襲われたときの様子に酷似しているのだ。
キリウの目の前にはそんな焦土と化した大地が、ずっと先まで広がっていた。
「師匠、ここは?」
「ん。まあそれは後でいい」
師匠がそういうならと、キリウはそれ以上追及しない。
「取り敢えずは座学だ。そこに座りな」
「はい」
キリウは言われるがままにイリスが指差した地面に座り込む。
「さて、口で説明するより見たほうが早いだろう。アリス出ておいで」
『はーい!』
どこからともなく、幼い少女のようなあどけなさを感じさせる声がキリウの耳に届く。
キリウは突然の声に思わず周囲を見渡すも、先ほどみた殺風景な景色が広がっているだけで、自分とイリスの他には誰もいない。
「こっちこっち」
そんな言葉と共に後ろから肩をちょんちょんとつつかれる。
キリウはその声のした方向に振り向くが、そこには誰もいない。
「こっちこっち」
次は下から声が聞こえた。
――……下から?
自分は今地面に座っている状態であり、そして地面も坂道などではなく平らだ。
不思議な現象に些か奇妙さを感じながらもキリウはまた声のした方向へと視線を向ける。
「やっほー」
「うわあ!」
視線を向けると、そこにはキリウの腹部から顔を半分覗かせている少女の姿がそこにはあった。
あまり大きくは感情を出さないキリウだが、自分の身体を貫通して少女が顔を出しているという光景には、流石に驚きを隠せなかったようだ。
イリスはそんな二人の様子を見ながら、なんともいえない視線を向けぽりぽりと頬をかいていた。
「あー……その、なんだ、それがアリス。私の娘だ」
「……心臓に悪い子ですね」
「悪戯好きな娘なもので。許してやってくれ」
「あはははは。許してくれたまえー」
アリスと呼ばれた少女は、キリウが村で見た少女で間違いなかった。
腰元まである長く美しい銀髪。見つめると吸い込まれるような紫の瞳。変に着飾ることのない白のワンピース。
村で出会ったときは余裕がなかったため気が付かなかったが、この少女は幼くもとても綺麗な風貌をしていた。少女の今の様子に、唯一気になる点があるとすれば、相変わらず宙に浮いていることだろうか。
浮いているのを含め、少女の登場の衝撃によって聞くのを忘れていたことをキリウはイリスに問いかける。
「その子、今までどこにいたんですか? ついて来ていたにしても存在を感じなさ過ぎたというか」
「ある意味『憑いて』来てたんだけど……まあ単刀直入に言おう。アリスは幽霊なんだよ」
キリウは一瞬なに言ってんだこの人というような不信感に溢れた視線を向けたが、なにかを思い出したようにはっとした後、「そうなんですか」と納得した顔を浮かべた。。
「私が言うのもなんだけど、随分と受け入れるのが早かったね」
「現に透けてましたし、今も浮いてますし。よくよく考えたら、もっと凄い体験してるので幽霊くらいいるかなー、と」
「こっちとしては、話が早くて助かるから良いんだけどね」
アリスは、村から出た時安全のためにイリスがキリウに取り憑かせていたらしく、キリウには見えていなかったが、ずっと共に行動していたのだという。
ふよふよとイリスの周りを漂うアリス。呑気にあくびをしている姿はぱっと見、ただの少女(の幽霊)にしか見えない彼女だが、村で魔法からキリウを守ったのも彼女であり、見た目とは裏腹に、何か大きな力を秘めているのだろう。
「それで、師匠。その子が――」
「アリスでいいよー」
アリスがそう言ってキリウの言葉を遮る。師匠の娘をいきなり呼び捨てにするのもどうかと思うのだが、イリスが特に何かを言ってくる様子もないため、キリウはそのまま言葉を続ける。
「――アリスがどう関係してくるんですか?」
「んー……キリウ、これ、何か見えるか?」
イリスは右手を上げて、掌に何かを乗せているような素振りを取る。本当になにかあるかどうかはわからないが、少なくとも今はキリウには見えていない。
「いえ、何も見えないです」
「そうか、じゃあこっちはどうだ」
次に左手を上げる。その掌には薄っすらとだが、淡く青白い光を放つ球体のようなものが浮いていた。
「青白い……球、ですか?」
「そうか、もうこのくらいなら見えるのか」
「早いねー、元々才能あったのかもよ?」
なにかを確認した様子のイリスが手を下ろすと、青白い光を放つ球もすぐに消えてしまった。
「今お前に見せたものは、簡単に言ってしまえば魂さ」
「魂って、人間の?」
「人間とは限らない。生きるものにはみんな魂が宿っているからな」
「私だって人の形をしてるってだけで、魂には変わりないからね?」
「要するに、お前には今幽霊の元を見てもらっていたんだ。そして、幽霊ってのは普通の人間はまず見ることは出来ない」
キリウはアリスを見るまで、幽霊なんて見たことはなかった。いや、そもそも昨日の経験をしなければアリスのことすら見ることは出来なかった。
「私が教えるものは、魔法のように生まれついて持っている物でも、剣術のように鍛錬をして身につけるようなものでもない。きっかけを得ないと、入口に立つことさえ出来ない。お前は偶然、そのきっかけを得たんだ」
イリスはそこまで言うと、不意に立ち上がって、焦土の中心に向かって歩き出した。キリウもそれを追いかける。中心地には一分と経たずに着いた。
「ここはな、お前の村に行く前に教会の奴等を倒した場所なんだ。回収される前だったけど、生きている奴は一人もいなかった」
「……そうなんですか」
「ただ、魂はまだここに生きてるんだ。――逃げるなよ」
「えっ?」
キリウの返答を待たずに、イリスはそう言って、左手を地面の上に乗せた。
手を地面に乗せる、ただそれだけのことなのに、キリウは全身に悪寒が走り、今まで感じたことのない言いようのない恐怖に駆られた。
しかしそれも一瞬のこと、悪寒も恐怖もすぐに止み、それ以降特に変化は起こらない。
痺れを切らしてキリウがイリスに話しかけようとしたとき、突如、目の前の地面が盛り上がった。
盛り上がった地面から、勢い良く、人の手のようなものが突き出てくる。
それと同時に漂鼻の曲がるような腐臭、キリウは思わず鼻を手で覆い、顔をしかめる。
「師匠、これは一体何なんですか……?」
「動かしたのさ、死んだ人間を」
目の前の地面に限らず、周辺の地面が次々と盛り上がり、次第に恨みのこもった呻き声のようなものまで響き始める。呻き声は次第に大きくなり、大きくなるにつれ腐臭も強くなっていく。
そしてついに、盛り上がった地面から手の持ち主が飛び出してくる。
その姿を見て、キリウは思わず息を呑む。
人の形をした人ではない何か、恐らくそれが一番相応しい言葉なのではないだろうか。
全身の至る箇所を腐敗させ、獣のように涎を垂れ流すその光景は人と呼べるものではなかった。
「これがお前に与える力の正体さ」
イリスは茶化すように笑うこともなく、後悔するように嘆くこともなく、ただ淡々と目の前にあるものをみつめて言葉を紡いだ。
「死霊術。死神に媚を売り、死者の安らぎの奪い冒涜する呪いの力さ」