襲撃者
依然目を開けることなく眠り続けているキリウの横で、イリスは一人眠ることなく月だけが辺りを照らす夜の中周囲の警戒を続ける。
キリウが倒れてから二日、呼吸はゆっくりと安定し、顔色は以前のような健康的な肌色に戻ったが未だ目を覚ます兆候は見られず、死体なのではないかと錯覚してしまうような静かさで眠り続けている。
イリスはキリウが倒れてから一度も食事と睡眠をとることなく、ただじっとキリウの隣に座り込み、いつ何が起きてもいい様に常に神経を研ぎ澄ましていた。
私が見張りをするからせめて少しでも睡眠をとるようにとアリスが諭したが、自分がやるの一点張りでまるで聞く耳を持たず、その場から梃子でも動かなかった。
イリスの探知範囲はキリウのおよそ十倍程。
同じ轍を踏まないためにもイリスは常時探知状態にして近場の霊たちの動向を探っていた。意識のない弱りきった人間など悪霊の格好の獲物になってしまうため、どちらにしろ警戒するにこしたことはなかったのだが。
しかし、霊探知では人間や獣といった生きているものを探知することは出来ない。そこでイリスは古典的ではあるがアリスに自分が視認できる範囲から少し離れた所に、簡易的に作った鳴子のようなものを比較的見つかりづらい草むらの中や木の陰に設置させた。
もし鳴子に引っかかったのが獣であるなら音を聞いて驚いて逃げ出す可能性が高いのだが、人間だとしたらどうだろうか。既にこの周辺にあった村は粗方教会に消され、荒地と森以外は大した物はなにもない。村を頼りにした旅人という線もなくはないかも知れないが、可能性としては低いだろう。
――カランカラン。
時々吹き抜ける風、木のさざめき、自然の音以外何の音の無かった闇の中に人工的に作られた音が鳴り響く。イリス手製の鳴子の音だ。
今日まで何回か悪霊を見つけてはすぐさま追い返していたが、この鳴子がなったのは初めてのことで、今までとは違った緊張感がイリスの中に走り、早々に探知を止め、周囲の警戒にのみ意識を向ける。
微かにではあるが茂みの揺れるような、がさがさという音が聞こえてくる。ほとんど音が無いため集中すれば少し離れた場所の音も割と聞き取ることが出来るからだ。
しかし一度茂みを揺らす音が聞こえてきた後は息を潜めたようにまるで音がしなくなった。
この時点でイリスには、恐らく鳴子を鳴らしたのは人間なのだろうと大体察しがついていた。獣が逃げ出そうとした、というのも一瞬考えたが、その割には音が随分と少なく小さい。
設置されている鳴子に違和感を持った人間が周囲を警戒している、もしくは音を出さないようにゆっくりと接近してきている、そのどちらかだろう。
そうイリスが思った矢先、案の定イリスの正面から茂みを揺らすようながさがさと音を立て始めた。森の中には月光があまり差し込んでいないため暗く、茂みを揺らしている人物を目視することはできないが、イリスの身体は月光に照らされており、ぱっと見ればすぐにわかってしまう。
わざわざ至近距離まで近づかずに音を立てたのは、動く気配のないイリスを見たのに加え、既に攻撃の射程圏内であるためだろう。それにイリスの座る位置までは一番近い茂みからでも五メートルは程あり、どちらにしろ姿を確認されてしまうからだろう。
馬鹿正直なのか自信の表れなのかはわからないが、鳴子を鳴らした本人だと思われる人影は本当に真正面からなんの小細工の気配も感じさせず森の中から姿を現した。ローブを着たその人物はフードを深く被っており顔を見ることは出来ないが、二メートルを越すと思える高身長であり、肩幅や体つきから見ても男だと察せられる。
「探したぜ。お前がここいらで暴れてるっていう背教者だな?」
ドスの効いた低く逞しい声でそう言った。声からしてもう男で間違いないだろう。
イリスは男の問いかけに答えない。ただ鬱陶しそうに頭をかきながら男の顔を眺める。イリスの表情も、フードに隠されておりその真意を汲み取ることはできない。
頭をかいた以外に何の反応も示さないイリスに耐え切れなくなったのか、男はローブを引き裂くように脱ぎ捨てその姿を晒し静寂の続く中一人高らかに叫んだ。
「俺の名前はアーノルド! 教会では助祭の位を授かっている!」
筋骨隆々、アーノルドと名乗ったその男はその一言に尽きる姿形をしていた。
普通の人間とは思えないほど膨れ上がった筋肉の一つ一つは丸太のような太さと大きさを持っており、元々の薄黒い肌が相まってさながら一本の大木のようにその場に佇んでいた。
「教会の命により、お前を消しにきた! いざ尋常にしょ――」
依然一人大きな声で話し続けていたアーノルドの巨体は、突如発せられた赤い光によって後方へと吹っ飛ばされた。敵の目の前で馬鹿みたいに喋り続けようとするアーノルドに向けて、イリスが容赦無く魔法を放ったからだ。
アーノルドの身体はイリスの放った豪火を無防備な状態で受けたことで黒く焼け焦げ、まるで炭のようになっていた。これで静かになっただろうと、イリスは一息ついてキリウの様子を伺おうとしたのだが、目の端にゆっくりと起き上がるアーノルドの姿を捉え、またそちらへ振り向く。
見ると焼け焦げていたはずのアーノルドの身体はみるみる内に治癒されていき、あっという間に完治してしまった。
「これしきの炎など! 俺の再生能力の方が優秀だ!」
だいぶ手加減していたとはいえ、自分の一撃を無防備で貰って生きていることにイリスは素直に感嘆していた。と、同時に。自慢の炎があの程度の相手に馬鹿にされたことに少々腹を立てた。
弟子が師匠に似たのか師匠が弟子に似ているのか、大概イリスも単純だった。
「私、今むしゃくしゃしてるんだ。悪いけど手加減できないよ」
自分に対するイライラも加算され、アーノルドは可哀想なことにイリスの八つ当たりの対象とされた。
アーノルドは戦えることが嬉しそうに、にやついた笑みを浮かびながらイリスへ向けて突っ込んできた。 巨体の割にかなり速度が出ており、そのまま自分の身体を武器代わりに体当たりをするつもりなのだろう。見た目の通り、近接攻撃が攻撃の主体のようだ。
イリスはアーノルドの様子を見る片手間にアリスにキリウの避難をさせ、自分の戦い易い状況を作り上げていた。先ほど手加減したのは、あまり大きな魔法だとキリウを巻き込んでしまうかもしれないという意味もあったのだ。
速度を上げ続けるアーノルドが目前まで迫り、あと少しでその身体が空高く跳ね上げられるだろうという瞬間、イリスは左手を平行に横へと向け先ほどと同じような赤い光を放った。
その光にアーノルドの目も眩み、一瞬ではあったが前が見えなくなった。ただイリスがいる場所はもう目と鼻の先。アーノルドは視覚を失った状態でそのまま速度を緩めることなく突進し、そのまま先ほどイリスが立っていた場所の後方にあった木へと激突した。
体当たりを受けた木は為すすべなく薙ぎ倒されたが、イリスを吹き飛ばしたという手応えをアーノルドは感じていなかった。
ようやく視覚が元に戻り前方を見渡すが、イリスの姿はどこにも見えない。慌てて振り返り後方も見渡してみるが、やはり姿を確認することができない。
アーノルドはイリスの姿を完全に見失ってしまっていた。
(まさか、目を眩ませてそのまま逃げたか!?)
アーノルドの思考にそんな考えが浮かぶ。
視覚を奪われていたということで浮かぶ様々な想像が行動を鈍くし、動きを止めてしまったアーノルドには自身の頭上へと飛び上がっていたイリスの気配を察知することができなかった。
飛び上がっていたイリスはそのまま逆立ちする体勢を取り、片手でアーノルドの頭を鷲掴みにした。
当然、掴まれたアーノルドもすぐにそのことに気づくが、戦いにおいてこの隙は致命的過ぎた。
「――炎掌撃」
ぼそりとイリスが呟くと、再び赤い光がアーノルドの頭を掴むイリスの掌から放たれる。
またしても瞬間的なものだが、その一瞬の間にアーノルドがその場にいたという痕跡は全て消え去り、大きく抉れた地面と倒れた木だけが戦いの証としてその場に残った。
アーノルドと名乗った男の証は塵ほども残らなかった。
アーノルドを消し去った炎掌撃という魔法。
イリスの手から時折放たれていた赤い光の正体がこの魔法だ。
掌に集中させた炎を爆発的な勢いで出すことで、まるでその一帯を消滅させているかのような破壊力を生み出している。
この魔法は二階級程度の魔法であり発動は簡単なのだが、いかんせん威力調節が難しい上に消費する魔力が馬鹿にならないため使うものはほとんどいない。
攻撃する以外でも使い道があるようだが、イリスはそれを人に語ろうとはしない。
「あーちょっと威力強すぎたかな。だいぶ地面消しちゃったよ」
戦う前までの暗くひんやりとした空気はどこへやら。のんびりとした口調で独り言を話すスッキリしたような顔を浮かべるイリスがそこにはいた。
よくよく考えればキリウが修行している間もほとんど見ていただけだったのだ、暇というなの鬱憤が多少溜まっていても不思議ではない。キリウが倒れたのを含め結構なストレスがあったのだろう、今の戦いはそれらを発散するのにちょうど良かったのかもしれない。
「んー、もうすぐ夜明けかな」
気がつけば月も沈み、遠い空にうっすらと赤い光が見え始めていた。
「そろそろあいつも目を覚ますだろう」
目を覚ましたキリウの心が挫けてしまっていても、それは仕方がないことだろうと精神的に落ち着いた今、そう自分の心を整理する。
もし、まだ戦えると言ったその時は。
「精々、可愛がってやろうじゃないか」
イリスは一人不敵に笑い、眠るキリウと共に自分の帰りを待つアリスの下へと急いだ。




