プロローグ
「ここはこれでおしまいですか?」
「そうですね。逃げられていなければここの村人は全員終わったでしょう」
「逃げるってあの一瞬でですか? まとめてやっちゃいましたって」
炎の中に浮かぶ二つの人影がそんな会話を始める。
僕は奴らに破壊され、木片となった自分の家で息を潜めている。
あいつらの正体も、目的も、そしてなにをしたのかも一切わからない。
唯一分かることは、この村に自分以外の生存者はいないであろうということだけだ。先程聞こえた会話がそれをほぼ確定付ける。
自分がどうして生きているのかわからない。両親と夕食を食べていたら、ぱっと窓から強い光が射し込み、気がつけば辺りは火の海だった。
自分の家があった場所は村の入口からは比較的遠くにあるが、自分と一緒にいた両親は既に隣で永遠の眠りについている。距離なんて関係ない。この目で見たわけではないが、きっとそういうものだったのだと今の村の現状が物語っている。
自分が生き残ったのは強運だろう。でも、今はこの強運を怨む。どうせ死ぬなら、どうしてすぐに殺してくれなかったのか。なんで、両親と一緒にそこで眠らせてくれなかったのか。
これから何が起こるのか。あいつらの動向に怯えながら、ただただ自分の凶運を呪うしかなかった。
「それじゃあぱっぱと回収も終わらせますんで」
「そうしてください」
回収。なにを示す言葉なのか僕にはわからない。
いまこの村にある大量の死体を直接集めて回るというのだろうか。だとすると非常にまずい。
思っていたよりも動きがなかったから隠れ通せるかもしれないと淡い希望を抱いていたが、どうやらそんなに甘くないらしい。
助からない。そう思い視線を下げたとき異変に気がつく。両親の体が、僅かながら光を放っていることに。よく見ると両親の体だけではない。炎の明かりで見えづらくはあるが、見渡してみると村のあちこちから微かな光が上がっている。
「……ひっ!」
光を放つ両親の遺体が、一際強い光をぱっと放つと、そこにはなにもなくなっていた。消滅するように両親の遺体はなくなり、そこになにかあったということが薄っすらとわかるくらいの少しのへこみが土に残されているだけだった。
そして不運なことに、遺体が消えたことに驚いた拍子に、自分が隠れていた木片に肩をぶつけてしまった。ぶつかった衝撃により既に大部分を焼かれ脆くなっていた木材は、周りの木片も巻き込みながら大きな音を立てて崩れ落ちた。
あっ、と思ったときには既に遅く。そのまま顔を上げると少し離れたところにいる、二つの視線と自分の視線が重なった。その拍子に自分の中で張り詰めていたものがぷつっと途切れ、その場に座り込むようにして体が崩れ落ちる。
「どうやら、まだいたみたいですよ」
「……みたいですね。すいません」
二人がゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。
逃げなきゃいけない、わかっているのに足はぺたりと座り込んだまま動いてくれない。
自分で本能的に理解していたんだと思う。逃げても無駄なんだと。
そこから動くこともなく、ただ呆然と奴等がこちらにくるのを待った。
奴等は少し遠く、一メートル程離れた所で止まった。
「良いですね、利口な子どもは嫌いではありませんよ」
二人のうちの長身の男がそう言って微笑む。
炎に照らされたその笑みはまるで堕天使のようで、目からは僅かながらも殺気を放ち、綺麗な顔立ちからは想像もつかないような邪悪な笑みを浮かべていた。
「じゃ、潔さに免じてぱぱっと終わらせてやる」
もう一人の背丈が低い男は長身の男の微笑みから一転して、まるで子どものような無邪気な笑みを浮かべる。しかしそこに感じるのは狂喜。こいつらはこっちのことを考えてなどいない。ただ早く僕を殺したいだけだ、そう確信する。それでも自分にはどうにも出来ない。このただの快楽殺人者をどうすることも出来ない。
背の低い男が自分に向けて手をかざす。おそらく魔法だろう。どんな魔法かなど検討もつかない、ただ死ぬという結果だけがすぐ後に待っている。
意味などない、ただほんの少しの反抗心を込めて手をかざす男の目を見つめる。
男は眉を上げ、少し驚いた表情をしたあと、機嫌が悪くなったように口を歪め目を細めた。
「……心は屈してませんってか? むかつくな」
よかった、本当に些細なことだけど一矢は報いれたらしい。力のない僕の精一杯の反抗。それが成功したことに少しの達成感を感じながら、終わりの言葉が告げられるのを待つ。
「それでは、来世でお会いしましょう」
長身の男が一礼したのを合図に、もう一人の手から小さな魔方陣が展開される。
「大地を焦がす種火が一つ、闇夜に浮かぶ灯火が一つ、熱を帯びる陽炎が一つ、集いし三光の炎熱なり――」
魔方陣が赤く輝き始める。それを綺麗だと思える程落ち着いている自分がいる。どこか頭のネジが外れたのか……死を目前にして、驚くほど冷静で、頭の中はスッキリとしている。
「――三点の炎柱」
――だから、目の前の炎が身体を焼く直前に割り込んだ光が、はっきりと目に映っていた。
「些か、調子に乗りすぎでは? 子ども一人に三階級魔法など。爆発で誰かに気づかれでもしたらどうするんです」
「すいません。なんかあの子どもの目が気に入らなくて、つい……」
「……まあいいでしょう。回収したらさっさと帰りますよ」
先ほどの爆発で周囲には土煙と炭が混じったものが大きく舞い上がっており、視界がとても悪くなっている。話す声は聞こえるが奴等の姿まではっきりとは見えない。きっと向こうからも見えていない。いや、そもそも僕が生きていると思っていないだろう。自分も不思議に思うくらいだ。
――目の前に立つ少女が、あの魔法を受け止めたなんて。誰が信じるのだろう?
「ふー、間に合った。ママ、後よろしくー」
「はいはいっと」
目の前に立つ少女をただぼーっと眺めていると、僕の横を誰かが通り過ぎていった。しかし現状をいまいち把握できないため、ただそれを呆然と見送ることしかできない。声の高さ的に女性だが、ローブを着ている上にフードを被っているから顔もよく見えない。
フードをかぶった人は肩をぐるんぐるんと大きく回し、小さく息を吐き出してから、呟いた。
「火槍よ、穿て」
瞬間、その背後から二つの魔方陣が展開され、二つの燃え盛る炎の槍が、未だにやや晴れない土煙の向こうへいるであろう二人の男へと真っ直ぐに飛んでいく。
「――後ろに跳びなさい」
「え?」
ほとんど距離がなかったにも関わらず、長身の男がそう言いながら後ろに跳び回避。しかしもう一人は反応しきれず、声から一瞬遅れて後ろへ跳んだ。
その結果――
「ぎゃああああああ!!!」
片足が地面に残ったままになり、そのまま飛んでいった槍によって右足の膝から下が切断された。それもただの槍ではなく炎の槍。斬ると同時にその部位を焼き、落ちている足から焦げるような黒い煙が上がる。
足を切断された男は激痛により叫び声を上げながら辺りをのたうち回っている。切断面は未だ若干の火がついており、人肉の焦げる不快な臭いが辺りに広がる。
「……三階級魔法短縮詠唱。何者ですか?」
「名乗る義理はないかな。必要もない」
そう言って右手を男に向けてかざすと、今度は言葉を発することなく魔法陣が右掌に展開される。魔法陣から飛び出すのは一つ一つがとてつもない高熱を放つ無数の火球。それが土煙を裂き、一つ残らず長身の男へ向けて飛んでいく。
「詠唱破棄……」
男は正面からくる火球を特に焦る様子も怯える様子もなく、一つ一つをあっさりとかわす。男に衝突しなかった火球は、かなり後方で地面にぶつかり、小規模な爆発を起こした。爆発の衝撃であたりの木材などがこちらに向かって飛んできたが、ある程度の距離まで近づくと弾かれる様にして軌道を逸らす。
おそらくさっき受け止めたように、少女が受け止めているのだろうと思う。
爆発を起こした本人はこちらを気にする様子など一切なく、男の様子をじっくりと研究するように眺めていた。
「ふむふむ。流石に司教ともなるとこのくらいはかわせるか。ただの教徒とは違うね」
「――! 貴女は一体……いえ、ここは一度退かせていただきます。貴女にとても興味がありますが、生憎ながら正面から迎え討つと言うのはあまり得意ではないのですよ」
「ふふ、良いよ。今回は特別に見逃してあげよう」
「それはそれは。ではお言葉に甘えさせていただきましょう」
そう言って男が微笑を浮かべた瞬間。男の体が、足から霧のように霧散していく。
「ああ、そうそう。そこのゴミはご自由にしてもらって結構ですので」
未だ呻き声を上げ、足を抱える男を一瞥し、無表情でそう告げる。
「ゴミね。まあいいけど」
「それでは、またお会いしましょう。少年も、命を大切に……ね。」
こちらにむいてもう一度微笑み一礼すると、男の体は完全にその場から霧散してしまった。なにも痕跡はなく、そこにはただ呻き声をあげ続け、地面に這いつくばる男がぽつんと残された。
フードの人は歩いて這いつくばる男に近づき、頭を鷲掴みにして呟いた。
「ひっ、な、なにを――」
「炎よ、滅せ」
一瞬。本当に一瞬、目が眩むような光が発された。瞬間的にこちらの目が眩む。
数秒後、目の眩みから回復し、もう一度さっきと同じところを見たとき、そこには横たわっていた人間はおらず、人型の塵のようなものが地面に広がっていた。しかし塵は夜風に飛ばされ、そこに人がいたという痕跡はなくなった。
「――さて」
フードの人が今度はこっちに向かって来る。今の光景を目の当たり(正確には見てないが)にしただけに思わずちょっと後ずさる。それを見た少女が苦笑して、僕の隣にしゃがみこむ。
「大丈夫なのに。じゃなかったら助けないっての」
それもそうだ。しかし、あんなことの直後なのだから、混乱しているのも当たり前と言えば当たり前で、どうもまだ現実味が感じられていない。
フードの人がこちらに近づいたと同時に、しゃがみこんでいた少女が立ち上がり、フードの人の背後へと移動する。
……ふわふわと宙に浮いて。
その光景は更なる困惑を呼んだ。理解不能な光景を前に取り敢えず宙に浮かぶ少女を視線で追い続ける。
少女は背後でふらふらと浮き続けている。それを眺めていると、未だ浮かんでいる少女と視線がぶつかる。
「……うぇ?」
「…………え?」
少女は何故か素っ頓狂な声をあげる。あげたいのはこっちなのだけれど。
今度は僕のそばまで飛んできた彼女は、ぐるぐると僕の周りを回り始めた。意図が理解できずにまた困惑していると、フードの人が焦ったような声を出した。
「アリス、もしかして……」
「うん。見えてると思う。流石に偶然ってことはないよ」
「やっぱりそうか……そうかー……」
うーん、と唸り声をあげてフードの人が頭を抱える。
「少年……もしかしなくても上の子見えてる?」
「えーっと、まあ見えてますけど」
質問の意図がよくわからない。人なんだから見えてるのは当たり前だ。それよりもどうやって飛んでいるのかの方がよっぽど疑問なんだけれど。
「流石に放置できないよなあ」
「取り憑かれたりしたら大変だよ?」
「これも運命なのかね……」
なにやら少女と二人で話しこんでいる。一体何の話をしているんだろう。
どうにもできないので取り敢えず待っていると、はあ、とフードの人が溜息をついてこちらに向き直った。
「少年、一緒に来い」
僕にそう言った。
「生きる術を教えてやる。戦う力を教えてやる」
その人は言葉を続ける。
「恐らく、お前はもう平穏には暮らせない。死ぬ方が楽なのかもしれない。それでも生きたいか?」
「…………生きたい」
もう自分以外に失うものはない。家族はいない。故郷もない。ただそれでも死ぬという選択肢は頭に無かった。
この人は言った。力を教えてくれると。
死の間際に芽生えたちっぽけな反抗心。それが深く根付いていく気がした。
もう、なにもできないのは嫌だと思った。
復讐なんて大袈裟なものではない。ただ自分が生きるために、戦う。
怖くないと言ったら嘘になる。それでも弱いままを受け入れるのは嫌だ。
「少年、名前は?」
「キリウ。キリウ=オルクス」
長居は無用だと言わんばかりに、足早に歩く大きな影。
それを追いかけるまだ小さな影。
炎に浮かんでいた、大きな影と小さな影。
それはひっそりと、深い夜の闇に紛れて消えた。