アンリの事情
まだ仕事が終わらないという神琉は不在のまま、彩璃と二人で夕食を摂ることになった。和やかな夕食を終えると、フィオナは自室へと戻る。いつものソファに座れば、漸く安心することが出来た。彩璃はとても良い人だったのだが、やはり義理の母ということもあって気づかぬうちに気を張っていたらしい。
「……お疲れさまでした、フィオナ様」
「ううん、アンリと瑠衣さんの方こそ疲れているでしょ? 私は大丈夫だから、もう休んでいいよ」
ずっと一緒にいてくれた二人も疲れている。だからこそ出た言葉だったが、瑠衣からもアンリからも同意は得られなかった。そればかりか、二人は顔を見合わせて何やら小さな声で話をしている。
「……?」
どうしたのだろうか。フィオナはわからず首を傾げるばかりだ。やがて相談が終わったのか、フィオナの方を向いた。
「フィオナ様、アンリから二人で話があるということですので、私はお先に失礼します」
「え、あ……うん」
「では、おやすみなさいませ」
「……お、おやすみなさい」
いつも通りに丁寧にお辞儀をして瑠衣が出て行く。部屋にはアンリと二人きりだ。そうすると朝のやり取りが思い出されてしまう。特別何かがあったわけではない。ただ、中途半端に会話を終えた状態だったので少しだけもやもやするだけで。
「えっと……話って―――」
「フィオナ様」
フィオナから切り出そうとした言葉は、アンリの声に遮られてしまった。いつも以上に固い声色に、フィオナは息を飲む。
「フィオナ様……朝は、申し訳ありませんでした。せっかくのお心を砕いていただいたのに、失礼をしました」
「そんな……アンリが謝ることじゃないわ。私が勝手に言ったことだし、気を悪くさせてしまったなら……私の方こそごめんなさい」
「私のことを気遣っていただいた言葉ということはわかっております。少し驚いてしまって……強く拒絶してしまいました」
あの時、フィオナの言葉を止めるように拒否の言葉を発したことを言っているのだろう。いつもの声ではあったが、フィオナの言葉を止めることなどアンリは今までしたことがなかったので、それほど動揺していたということだ。
「アンリ……」
「面白くはないと思いますが……少しだけ、私のことを聞いていただけますか?」
「……うん、聞かせてほしい。アンリのこと……」
そうしてアンリは、エルウィンの身代わりとしてフィオナの侍女になるまでの間のことをフィオナに話してくれた。庶子ではあるものの、実父は侯爵であること。既に母はなくなっており、家族と呼べる存在はいないということも。
「使用人として育てられましたから、侯爵家の姓を名乗ることもできませんでした。フィネットというのは、母の姓になります」
「そう、だったの。でも、お父さんはいるんでしょ?」
「はい。ただ、道具として魔族の国へ行くことを命令した人ですから、私には父という感情はありません。私には、あの国に戻るべき場所はなく、この身を案じてくれる人もおりませんから」
「アンリ……」
微笑んでいるアンリだが、とても悲し気だった。血の繋がる人はいても、アンリにとってその人は家族ではないという。フィオナとは正反対だ。血の繋がる人はいないが、家族と呼べる人たちがいる。アンリはどういう気持ちでフィオナの傍にいたのだろう。目の奥が熱くなって、涙が零れ落ちそうだった。
思えば、婚約式の直前。血の繋がりがないことで混乱し、取り乱したフィオナを諫めてくれたアンリ。アンリの言葉はフィオナを救ってくれた。朝の発言も含め、これまで知らなかったとはいえ、知らず知らずのうちにアンリを傷つけていたのではないだろうか。そう思うと、涙がこらえきれずに流れてしまった。
「フィオナ様?」
「ごめん、なさい……」
「どうしたのですか?」
「私、アンリを傷つけた……知らなくて、ごめんなさい。簡単に聞いてはいけなかったのに……」
アンリにとって家族とは、亡くなった母親一人。家族に会いに行きたい、なんて軽々しく言ってはいけなかった。フィオナと違い、アンリが会いたい家族はもういない。会いたくとも会えないのだ。俯くフィオナから、次々と雫が落ちて行く。一方のアンリは、フィオナへ近づいてくると膝を付き、その手を取った。
「っ……」
「……ありがとうございます」
「ふぇ?」
「正直なことを申しますと……羨ましくもありましたが、今はもういいのです。私は……いえ、私が一番大切なのはフィオナ様、貴女ですから」
「ア、ンリ?」
「侍女として、フィオナ様のお傍にいること。私には、それが一番大事なことなのです。私のために、泣いてくださる。そんなフィオナ様だから……あの国に、未練はありません。会いたい人はいませんし、私もこの国で生きてくことを決めましたから」
「……アンリ……うん、ありがとう。ありがとう……アンリ」
ハンカチを取り出し、目元を拭ってくれるアンリの手は、とても優しい。余計に涙があふれてくるのを、アンリは苦笑しながらひたすら拭ってくれた。
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