踏み入れる地
昼食を終えると、公爵家の大きな馬車に乗り込んだ。共に移動するのはアンリ、佳南、瑠衣、燕だ。大きな馬車なので、全員が乗り込むことが出来る広さがあった。最後に神琉が乗り込む。
全員の顔を確認すると、そっと左手を前に出した。何やら言葉を紡いでいるが、フィオナには何と言っているのかわからない。
神琉の言葉が止まると同時にフワリと風が頬を撫でたかと思うと、辺りの風景が一変していた。
「へ……?」
「着いたみたいだな、大丈夫か姫さん?」
「えっと……た、ぶん」
何がどうなったのか全くわからない。本当に一瞬だった。アンリとフィオナ以外は、当然のような顔をしている。この現象を起こした神琉に至っては、既に馬車を降りていた。
「フィオナ、降りてこい」
「ふぇ……は、はい」
先にフィオナが降りなければいけないようだ。降りて待っていた神琉は、手を差し出してくれている。その手を取りながら、ゆっくりと馬車を降りた。
「……ここが」
「あぁ、俺の屋敷だ」
降りた目の前には、大きな屋敷……いや、城と呼んでもいいだろう。それはそれは立派なものがあった。
「ここは、俺が生まれたときに伯父上から譲り受けたものだ。伯父も幼少の頃はここで過ごしたらしい」
「皇王様が……」
「後で案内する。先ずは、皆に紹介するのが先だ」
皆。それは、ここの屋敷で働く人たちのことだ。神琉が戻ることを知らされていたのか、大きな扉の前には沢山の人が並んでいる。
神琉に手を引かれながら、フィオナは彼等の前に立った。
「皆、留守中ご苦労だったな」
「若様、お帰りを一同お待ちしておりました」
「「お帰りなさいませ」」
老齢の執事が挨拶をすると、倣うように他の皆も一斉に頭を下げた。あまりにも統一された動きに、フィオナは驚くばかりだ。皇都の屋敷に居たときは、歓迎されていなかったので極力使用人らと接触をさけていた。こうして、多くの使用人を見るのは初めてだった。
すると、神琉はフィオナの手を引き横に立たせると腰に手を添える。
「紹介する、フィオナ=レヴィンフィーアだ。知っての通り、人間の国から来た。皆、宜しくしてほしい」
「あ……フィオナ、です。宜しくお願いします」
頭を下げて、挨拶をする。名を名乗る時に、少し戸惑ってしまったのは、フィオナの紹介をする際に、神琉がフィオナの姓をレヴィンフィーアとしたからだ。村娘であるフィオナに本来の姓はない。夫婦ならば、神琉の言うとおりレヴィンフィーアと名乗るのが正しいのだろう。だが、そう名乗れるほど今の状況にまだ慣れていなかった。
「こちらこそ、宜しくお願いします、若奥様」
「わ、若奥様って……」
更に聞き慣れない単語に、顔が熱くなる。間違ってはいないが、改めて呼ばれると気恥ずかしい。
「まずは中に入ってくれ」
「は、はい」
再び手を引かれて、フィオナは屋敷の中へと入った。
エントランスは、天井も高く広かった。螺旋階段が奥にあり、そこから2階へ上がるようだ。左手には、サロンや応接室など客人を迎えるやっぱり部屋があり、リビングや厨房などは右手側にあるとのこと。神琉の部屋などは、2階だ。
簡単に口で説明されながら、2階へと上がる。一番奥にあるのが、神琉の部屋だ。
「そして、ここがフィオナの部屋になる」
「は、はい」
部屋へと入れば、皇都の屋敷に比べて広く、装飾なども可愛らしいモノに統一されていた。衣装部屋も備えてあり、そこだけでも随分な広さがある。
「後で、中の衣装は確認するといい。そして、こっちが寝室だ」
寝室には、広い天葢のベッド。簡単なテーブルや椅子などもある。
「ここは俺の部屋とも繋がっている。あそこの先が俺の部屋だ」
「あ……はい」
浴室も寝室から繋がっていて、夫婦が過ごしやすい作りになっているようだ。今日から、ここで過ごすことに緊張しないわけではないが、同時に楽しみという思いもあった。
笑みを浮かべるフィオナを怪訝そうに神琉が見ていた。
「あ、すみません」
「どうした?」
「あ、いえ……少し楽しみだな、と思ってしまって」
「楽しみ?」
驚く神琉だが、フィオナにとってはそれが本心だった。
これまでは、どのようにすればバレずに過ごせるのか気を張っていたが、これからはそうではない。
「必死だったことがなくなって、私は私自身で居てもいいと言われて。未来を望んでもいいのだと思うと、嬉しくて楽しみなんです」
「そうか」
「それに……これからは、もっと神琉様のことを知っていきたい、と思っているんです」
「俺?」
「生きるために話をするのではなくて、その……」
皇都の屋敷で、話をしていた時は別の目的だった。しかし、今は純粋に神琉のことを知りたいと思っている。彼に惹かれているから、もっと知りたいと思うのだ。
「ちゃんと、その……ふ、夫婦になりたい、ですから」
改めて言葉にすると、照れが出てしまう。でも、それがフィオナの本心だ。上目遣いでチラリと神琉を見れば、目を見開いていた。
「神琉、様?」
「予想外だな」
「えっ?」
「どのような理由であれ、俺は君の故郷を攻めた。皇王の命令とは言え、死ぬ可能性もあったことを受け入れたのも。俺が君を殺していた可能性もある。責められても仕方ないことをしているはずだ……結果として、君は生きているし、俺の伴侶と認められたが、簡単に切り離すことはできないだろう?」
確かにその通りだ。流されるままにここまで来た。だが、元より悪かったのは人間の方なので神琉をせめるなどと考えてはいない。むしろ救われたと思っている。村のことも、事情はどうあれ守ってくれたのだと思っているのだ。
それに、例え流されたとしてもフィオナは相手が神琉だからこそ、ここまで来たのだ。それだけは間違いない。
「それでも、今の私が神琉様に惹かれているのは事実ですから」
「……」
フィオナの言葉に神琉は黙った。暫く考え込むように目を伏せると、深く息を吐いた。
「憑き物が落ちたようだな、本当に。それが、フィオナという人間ということ、か」
「えっと……迷惑、でしたか?」
「いや……俺も、案外気に入っている、フィオナ」




