出会いと別れ
翌朝、フィオナが目覚めたのは王宮内にある一室。
王族が住まう場所とほど近い客室だった。
村とは違う高価な装飾、ふかふかのベット。身に着ける夜着。すべてが現実をフィオナに教えてくれる。
「……夢、じゃないんだ」
重く息を吐き、ベットから降りるとフィオナは窓から外の景色を見つめた。そこからは綺麗な花々に彩られた中庭が見える。野花ではない手入れされた花たち。鮮やかな緑色の木々。
「何で私が……姫様の代わりに」
横暴だ。聞けば魔族に嫁ぎたくない姫と、魔族に渡したくない国王の我儘によって計画されたことだという。発起人はあの宰相のようだが、フィオナにとってはどうでもよい。
魔族に嫁ぐなんてフィオナとて嫌に決まっている。
再びため息が漏れた。そこへ、コンコン、と扉をたたく音が届いた。
「?」
「フィオナ様、起きていらっしゃいますか?」
「は、はい」
「失礼します」
現れたのはフィオナより少し年上の女性だった。洗練された動作でもってフィオナに礼をする。
「おはようございます。これよりフィオナ様……いえ姫様の侍女を務めさせていただきます、アンリ=フィネットと申します」
「じじょ?」
その言葉の意味がわからず、繰り返してしまう。すると、アンリと名乗った女性はにっこりと微笑む。
「はい。姫様の身の回りのお世話、そして礼儀、作法の指導を承っております」
「……姫様って、私は―――」
「存じております。ですが、フィオナ様はシュバルツへエルウィン王女殿下として嫁がれます。そのためこれより『姫様』と呼ばせていただきます……どこで漏れるかわかりませんので」
「……そう、ですか」
話を聞くと、アンリはフィオナと共にシュバルツへ行くらしい。
だが、アンリもシュバルツについてはほとんど知らないと言う。
そもそもこの国では魔族を恐れるあまり、書物にも人とは違う存在として姿かたちも創造で描かれていた。その様は、魔物に近いものだ。
故に、人間の間では知識を持った魔物が魔族であるというのが共通の認識だった。
「アンリさんは怖くないのですか?」
「アンリ、とお呼びください。姫様は主なのですから、言葉遣いも砕けたもので構いません」
「あ、はい……いえ、うん。わかったわ。これでいい?」
「はい。それと怖いかどうかと言われれば、怖いですね」
アンリは怖いとは言っているものの、どこか困ったような表情だった。フィオナは魔族へ恐怖を感じている。だが、アンリからそれはない。安堵しているようにも見えた。
「……それなのに行くの?」
「それが私の仕事です。それに……フィオナ様に比べればどうってことはありません」
「それは……」
「残念ながら、共に行くのは私だけです。ですが、一人ではありません。それだけは忘れないでください」
アンリはフィオナの両手を取って、真剣な表情で告げる。
『一人ではない』。その言葉が今のフィオナにどれだけの力を与えてくれたのか。アンリは知る由もないだろう。
フィオナは暗い気持ちから浮上することができた。
「ありがとう、アンリ。これからよろしくね」
「はい。こちらこそ宜しくお願いいたします」
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2週間後。
最低限の知識と礼儀作法を叩き込まれ、フィオナはいよいよその日を迎えることになった。
人間と魔族の和平。
その調印の席に、フィオナは国王であるヘルムートと共に来ていた。
目の前には、黒いローブを被った集団。顔は誰一人として見えない。だが、その背格好は人間と大差ないように見える。
この人たちがあの恐れられる魔族なのだろうか。それとも纏ったローブを取ったその下に隠れているものこそが本性で、隠しているだけなのか。
フィオナは震えそうになる身体を両手できつく抑えた。
「……確かに、ここに我が帝国シュバルツと人の国との和平を成すものとする。では国王よ」
「わかっている。エルウィン、こちらへこい」
ヘルムートの声にフィオナはきつく抑えていた身体を離す。
目の前を見据えると、ローブの人物とヘルムートの両名がフィオナを見ていた。
エルウィン、そうここで呼ぶのはフィオナのことだ。
ヘルムートは視線で急かしているのがわかる。
「わかって、おります」
後ろのいるアンリに目くばせをすると、安心させるように頷かれた。
「大丈夫です、姫様……私がおります」
「アンリ……よし、行くわ」
フィオナは覚悟を決め、足を踏み出し、スカートの裾をつまみ作法通りに礼を取った。
「お初にお目にかかります。エルウィン=グラコスと申します」
「……第二王女、其方を和平の証として我が帝国に迎えよう」
「はい」
ローブの人物から手が差し出されると、フィオナはその手を取った。
これで後戻りはできない。
手を引かれるまま、フィオナは用意された馬車に乗り込んだ。
「……さようなら、皆」
馬車の行く先は魔族の国。
一度行けばもう戻ってくることはできないだろう。
フィオナはただ黙って涙を流していた。