目覚め
(あれ……私、どうしたんだっけ……?)
周りには何もなかった。真っ白な場所にフィオナは立っている。誰もいない。人も建物さえもない場所。ここは一体どこなのだろうか。どうしてここにフィオナはいるのだろうか。
(えっと……確か……あっ)
思い出した途端に、フィオナは顔を真っ赤に染めた。そっと、自分の唇を指でなぞる。キスをした。神琉と。儀式とはいえ、初めてだった。
(あぁ~~~、もう……って……あれは、儀式で……深い意味はなくて……)
首をぶんぶん横に振る。
思い返しても、唇に残る感触しか覚えていない。その後は、喉を通る甘いものを飲みこんで、苦しくなって、そこからの記憶がなかった。
(……甘かった……あれが、神琉様の血で……それで、私は死んでしまったの、かな……)
苦しかった。痛かった。けど、最後にもう一度重ねられた唇はとても優しかった。温かい力がフィオナを包んでくれるようで。
(そっか……私、死んじゃったのか……)
どうせなら、ちゃんと顔を見て起きたかった。少しだけ後悔をしながらも、フィオナは頬を叩いた。
(……しっかりしないと。でも……死んだのなら、ここにいる私は……)
状況が理解できないフィオナは、もう一度辺りを見回した。よく見れば温かく、小さな光がフィオナの周りを飛んでいることに気づく。
それに誘われるように、光の先へとフィオナは手を伸ばした。
(……光、ついてこいっていうの?)
立ち上がって、光に触れる。刹那、フィオナは目映いほどの輝きに目を開けていられなくなった。
(まぶしっ!)
光が止むのを待って、フィオナは目を開ける。すると、そこは以前にも見たことのある天井だった。何か手に温もりを感じる。手を動かすと、誰かに手を握られているようだ。
「あ……」
「起きたか?」
「神、琉様……? わ、たしは……あれ、生きて?」
「そうだ。生きている……巡りは悪くない、か。気分はどうだ?」
問われて己の状態を確認してから、身体を起こす。眠っていたせいか少し疲れてはいるものの、問題はなさそうだった。
生きている。その言葉だけで、嬉しさが込み上げてきた。死んだと思っていたが、そうではなかった。生きて、ここに。神琉の側にいるのだ。そう実感すると、自然と笑みが浮かぶ。
「大丈夫みたいです」
「そうか……なら、いい」
神琉は立ち上がる。繋がれていた手がそっと離れていった。何故だか寂しいと感じて、思わず神琉の服の袖を掴んでしまう。
「……どうした?」
「ふぇ? あ、ご、ごめんなさいっ……その」
動きを止めた神琉に、フィオナは掴んでいた服から手を離す。見なくても自分の顔が真っ赤になっていることがわかった。
ただ、何となく寂しさを感じただけで、それだけなのだが側にいてほしいと、フィオナは思ってしまったのだ。じっと、見つめる神琉の視線がどうしようもなく恥ずかしくて、フィオナはあわあわと話題を探す。
「あの、えっと……ここは、その」
「俺の部屋だ」
「そ、そうですよね。えっと、私」
「あれから3日。そろそろ目覚める頃だとは思っていた……目覚めたのなら良いだろう。佳南を呼んでくる。少し待っていろ」
「え? あの」
去り際にそっと頬に触れると、神琉は部屋を出ていった。
扉が閉まる音で、我に返る。
「っ~~~……」
恥ずかしさでいっぱいにになり、フィオナは膝を抱える。触れられると、儀式の時の事を思い出してしまう。意識せずにはいられない。一方の神琉は全く気にしていないようだったので、フィオナだけが意識している状態だ。
「落ち着かないと……せっかく、こうして生きていられるんだから……」
何度か深呼吸をして、落ち着かせる。
息を吸って吐く。この間まで、死ぬだろうと考えていたのが嘘のようだ。ここにきて、婚約式のことを聞いてから、どこかで諦めていた。それがなくなったのだ。
エルウィンとして生きるのではなく、フィオナとして生きていける。ここに来たときからは、考えられないことだった。
コンコン。
「失礼します」
「あ、佳南……アンリも」
「フィオナ様っ!」
扉が開くと佳南、そしてアンリが入ってきた。フィオナの姿を見て、ベッドに座るフィオナに抱き着いてくる。
「待っていました。フィオナ様がお目覚めになるのを……大丈夫だと言われましたが、不安でたまりませんでした」
「アンリ……ありがとう。心配かけて、ごめんなさい。私も……私もね、こうして生きていることが夢みたいで、でもとても嬉しい」
「フィオナ様……私も、嬉しいです。本当にご無事で、何よりです」
目に涙を溜めながら、アンリは微笑む。フィオナも笑顔を返した。
「本当に、おめでとうございます、フィオナ様」
「佳南、ありがとう」
佳南にも笑みを返すフィオナ。
婚約式の前には色々とあったが、佳南も瑠衣も変わらずに接してくれている。それが、とても嬉しかった。
寝ていた影響の疲れ以外は、体調に問題なかったフィオナは、湯網を済ませて、着替えを済ませると再び神琉の寝室へと戻ってきた。
「……あの」
「今日のお食事はお祝いですから、豪華なものになりますよ」
「えっと、佳南、どうして私は……神琉様の所にいるの? 部屋に戻らないと」
まだ自室だと危険だというのだろうか。そうだとしても、いつまでも神琉の寝室にいるのは落ち着かない。
だが、問われた佳南は、目を見開いて驚いていた。
「えっ、私変なことは言ってない、と思うのだけど」
「……もしかして、フィオナ様はご存知ないのですか?」
「?」
「フィオナ様……魔族の皆さんは、人間の国とは仕来たりが違うみたいです。その、結婚式というのはない、そうですよ」
結婚式がない。それが一体どういうことなのだろう。アンリの言うことが理解できない。フィオナの様子から、通じていないことに気がついたのだろう。佳南はフィオナの前に立つと、真面目な顔をして告げる。
「我々は、婚約式を経て初めて夫婦となることを許されます。後に、婚約期間と呼ばれる伴侶となる相手の家で学ぶ時間があり、それを経て社交界では正式に夫婦であると公表することになるのです。これが披露宴です。ですから、婚約式を終えた時点でフィオナ様と神琉様は夫婦ということになるのです」
「……え?」
「夫婦なのですから、寝室を共にするのは当然でございます。尤も、フィオナ様はお目覚めになられるまで時間がかかりましたので、初夜がいつになるかは神琉様次第でごさいますが」
「え、ふうふ……初夜……え、えぇぇ!?」
フィオナの叫びが響いた。




