婚約式
それから大体3時間後。扉がノックされた。
「はい」
佳南が返事をして扉をあけると、そこには神琉が立っていた。礼服、なのだろう。黒を基調とした詰め襟の服に、ところどころ金糸の装飾がされ、左肩から背にかけてはマントが掛かっている。神琉の髪の色と相まって、とても似合っていた。似合いすぎるほどに。フィオナは姿に見惚れるように静止した。
「……綺麗」
「まぁ、フィオナ様ったら」
「……」
呟いたのはフィオナだ。瑠衣は嬉しそうに微笑む。
一方で、そう称された神琉は眉をひそめた。
「男に対しての誉め言葉じゃないだろう……」
「まぁまぁ若君……素直なフィオナ様の感想ですよ。そこはきちんと受け取っていただかないと」
「瑠衣……ったく、フィオナ」
「は、はいっ!」
ボーっとしていた頭だったが、神琉に呼びかけられて思わず姿勢を正した。フィオナも、今は正装だ。レースがそこかしこに使用された白のドレス。長い金色の髪は結い上げられており、項が見えていた。メイクも施してあるため、見た目は深窓の令嬢そのものだ。
「準備は出来たか?」
「はい、大丈夫です」
「そうか。なら、行くぞ」
「えっ?」
そっと手を差し伸べられた。白の手袋をはめた手。この手を取れ、というのだろう。アンリ、瑠衣、佳南をそれぞれ見ても頷くだけだ。勇気を振り絞って、フィオナは神琉の手のひらに自分のそれを重ねる。
「……それでいい」
「は、い」
優しく握りしめられた手に引かれて、フィオナは部屋を出た。神琉の後ろ姿を見ながら、廊下を歩く。どこに向かうのかなど、一切聞かされていないのだ。そのままエントランスを過ぎれば、馬車が用意されていた。手を引かれ、豪華な馬車へとフィオナが先に乗り込むと、神琉も乗り込んだ。
馬車の戸が閉まると、動き始める。
「……」
婚約式。いよいよ、それが始まるのだと思うと、身体が竦む。緊張と不安で、心臓の音が止まらない。神琉にまで聞こえてしまうのではないかというほどに、激しく動いていた。
「儀式は大聖堂で行う」
「っ⁉」
神琉の声に、ビクッと身体を強張らせる。それを知っていて気づかない振りをしているのか、神琉はフィオナを見ることなく続けた。
「出席者は皇王を始めとするお歴々の方々だ。フィオナ、君はただ俺の傍にいればいい。何かをすることはない。だが、一つだけ言っておく」
「何、でしょうか……?」
「……」
そっとフィオナの手を神琉が握った。強い力にフィオナはちらりと視線だけ神琉へと向ける。しかし、神琉はフィオナを見てはいない。じっと、前を見据えていた。
「俺の血を受け入れることが、君が生きる道だ。抗えば俺が君を殺す」
「……っ……」
「ただ受け入れればいい。そうすれば、ご両親にも会わせてやれる」
「え……?」
「心残りがあれば、簡単に諦めはしないだろう?」
道を示してくれているのだろうか。フィオナが儀式を終えて尚も生き延びる方法を。
ただの人間であるフィオナが、本当に魔族の中でも高位貴族である神琉の血を受け入れることが出来るのかはわからない。だが、そうすれば両親に会うことが出来るという。確かに、魅力的な話だ。
どこかで諦めかけていたことを、神琉は知っていたのだろうか。
「ありがとう、ございます。私のような者でも、生き延びることができるのでしょうか?」
「わからん……俺も儀式をするのは初めてだからな」
「そうですか。そうですよね……」
今日という日がフィオナの最後の日になるのか。それとも、生きていられるのか。
馬車が止まるまで、フィオナはじっと神琉の手を握っていた。傍に体温があることが、酷く安心させてくれていたのだ。言葉はないが、大丈夫だと言ってくれている。そんな気がして。フィオナの命運は、この手が持っているのだ。
数分後、馬車が止まった。
再び神琉に手を引かれて馬車を降りると、目の前には大きな扉があった。ここが大聖堂ということだろう。
魔族なのに聖堂というのはおかしい気がするのだが、よく見るとフィオナが知っているような教会とは作りが違った。十字架はなく、代わりに星のような形、六芒星がそこにあった。全体的に青い建物で、建物自体は円形だ。
扉の前に立ち止まる。
「中には既に人がいる。俺たちを待っている状態だ。覚悟はいいか?」
「……」
「フィオナ」
「はい……大丈夫、です」
声が震えた。以前、皇王の前に出た時はエルウィンとしてだった。己を奮い立たせて、必死に取り繕ったのだ。だが、今ここにいるのはフィオナである。それだけなのに、突然裸で前に出されるような心細さを感じてしまう。ぎゅうっと繋いでいる神琉の手を握りしめた。
「行くぞ」
「はいっ」
震える声を必死に抑えて、フィオナは前を見る。だた、神琉と歩いていくだけだ。傍にいるだけでいい。震えないように、ただ歩くことだけを考えて。全身に力を籠めるように、フィオナは足を動かした。
ゆっくりと扉が開くと、神琉が先に歩き出す。フィオナに合わせるようにゆっくりと。
中には赤い絨毯が引いており、両サイドに儀式の立会人となる高位貴族の方々がいた。既にフィオナが偽りの姫だということは伝わっているはずだ。私語は厳禁なのか、言葉を発する者はだれ一人としていなかった。
ゆっくりと祭壇の前に立つ。そこには、皇王その人がいた。
「よく来たな。神琉、そして……フィオナ。双方に、偽りはないか?」
「はい」
「は、い」
皇王の言葉に、一瞬ギクリとしてしまう。もし、ここでエルウィンのまま立っていたとしたら、どうなっていたのかと。ただ皇王の言葉だというのに、偽ることは許されないというような圧力が感じられた。
「ならば宣誓を。神琉=レヴィンフィーア」
「はい」
フィオナから手を離し、神琉が一歩前に出る。
「我、古の誓約により、かの者を我が伴侶に迎える。血の盟約を交わすものとする」
静かな聖堂内に、凛とした神琉の声が響く。言葉を終えると、神琉は懐からナイフを取り出した。
何をするのかを見ていたフィオナだが、次の瞬間息を飲む光景を目にする。神琉が手袋を取り、己の右手にナイフを当てていたのだ。力を入れれば、手から血が流れる。
フィオナは思わず口元に手を当てて、息を飲んだ。そうして、フィオナへと振り返り近づいてくる。
「誓約だ……フィオナ、覚悟はいいな」
「え……かんっ」
血が流れたままの右手を口元に持ってくると、そのまま神琉は血を口に含み、左手をフィオナの頬に添えたかと思うと、そのまま唇を重ねてきた。
神琉の口からフィオナの口へ血が流れてくるのがわかる。鉄のにおいではなく、ほのかな甘さを伴ったものが喉へと流れるのを感じた。飲み込み切れなかった血が、フィオナの口元から流れる。
そっと神琉の口が離れ、溢れた血を舐めとった。一連の動作を眺めていたフィオナだが、次の瞬間身体が悲鳴を上げ、耐えられずに叫ぶ。
「あぁぁぁ!!! 痛っ!! あぁ……あ」
「フィオナ!」
「あぁ……あ……か」
別の生き物がフィオナへ入り込んだようだった。その侵入を阻もうと、嫌だとフィオナは叫ぶ。だが、ふと名を呼ぶ声に我に返る。
『受け入れろ』
生きたいならば、抗うな。そう神琉に言われていた。どうすれば、抗わずにいられるのかがわからなかった。こんなにも苦しいなら、死んでしまった方がマシではないのか。
「かん、るさま……」
「……フィオナ」
「わたし……いき、たい」
気が付けば、そうつぶやいていた。目を見開いた神琉が見える。すると、再び柔らかな感触が唇に触れた。
温かい。そう感じながら、フィオナは意識を失った。
漸くここまできました。
書きたかったシーンに辿り着いて、一安心です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
どうか、これからもよろしくお願いします。




