身代わりの姫
朝日がほどよい光を照らし、村中に明るさを届けていた。
ここは人間国、ラークエスの南端にある辺境も辺境にあるリンゲージ村。 陽が空に昇る頃から村人の生活は始まる。
「フィー姉、これもお願いって」
「うん、わかったわ。ありがとね、ナン」
弟から追加の洗濯物を受け取ったフィオナは、手際よく洗濯を始めた。雨が降らない限り毎日続けている日課だ。7人家族の長女であるフィオナは、母と妹で家事を分担していた。洗濯はフィオナの得意分野だ。
「よっし、きれいになったわ」
洗濯物がカラになったところで、フィオナは家に向かう。その途中で弟ナンと兄であるルークが薪を運んでいるのが見えた。そんな様子が微笑ましく、こんな日常がいつまでも続けばいいと思っていた。
この日が最後の日常となることなど、夢にも思わずに……。
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その日の夜。この村に予期せぬ客人が訪れた。
王宮からの遣いだという客人は5人。一人は、この国の宰相だと名乗るキール=カバルケード公爵。それと護衛の騎士の4人だ。
「……何をおっしゃっているのですか?」
「何度も言わせるな。金髪の娘を寄こせと言っている」
「話になりません。帰ってください」
「貴様……これは国王陛下からの勅命だ。拒否することなどできない」
フィオナと兄弟たちは家の奥に隠れて様子を見ていた。家は小さく、どこにいても内容は筒抜けだ。用件を聞いて、フィオナは身を固くする。
この家の中で金髪なのはフィオナだけ。それ以外の兄弟は皆茶髪。それは両親も含めだ。両親からは曾祖母の血筋を引いたのだと言われていたが、それ以外にもフィオナには他の兄弟と似ているところが少ない。その容姿の所為で父が糾弾されている。
フィオナは自分が出ていけばよいと、一歩踏み出そうとする。が、その腕は兄ルークに掴まれてしまう。
「フィー、じっとしてるんだ」
「でも兄さんっ‼」
「父さんに任せるしかない。だからお前は行くな」
「でも……あの人偉い人なんでしょ? 断ったら何かされるかもしれないじゃない⁉」
「それでもっ……それでもお前をいかせるわけにはいかないんだ。耐えてくれフィー」
「兄さん……?」
ルークの手は微かに震えていた。強い力はフィオナを引き留める。このまま隠れていなければいけない。普段は見ることのない真剣なまなざしのルークにフィオナは動揺してしまう。何かあるのかもしれない、と勘繰ってしまう。フィオナに関わる何かが起っていて、それを父も兄も知っているのではと。躊躇いがちにルークを見上げると、兄はただ首を横に振るだけ。もう少し様子をみよう、フィオナは再び客人との会話に耳を澄ませる。
だが、その次の言葉に衝撃を受けた。
「……そこまで言うのならいいのか? もし娘を出さなければ、この村は魔族に滅ぼされるぞ」
「何を言っている……」
「和平交渉に必要なのだ、その娘がな。でなければ和平もならず、戦になるだろう。国もこの辺境まで護ることはできない。そうなれば……わかるな?」
「くっ……」
「えっ……」
「っ卑怯な……」
それはフィオナにも届いた。魔族に滅ぼされる。村がなくなる。国は守ってくれない。気が付けばフィオナは客人の前に出ていた。
「滅ぼされるって……村は、皆は……」
「……ほぅ」
突然でてきたフィオナをカバルケードは品定めをするように見る。金髪は見事で、エルウィンに引けを取らないほどだ。だが、瞳は少し色が薄く見える。それでも満足したのかカバルケードは頷いた。
「……お前が私と来ればそれは回避できる。共に来い」
「私が行けば……? それは本当ですか?」
「あぁ。お前が来なければ、そこに待つのは死だろうがな」
「っ、公爵っ‼」
ルークが飛び出し、フィオナを庇うように前に立った。家族を天秤にかけられて拒否できるわけがない。カバルケードのやり方は卑怯だと、フィオナも感じた。ルークが庇ってくれことは嬉しいが、ここで拒否をすればその言葉が現実になるかもしれない。それだけは嫌だった。
「フィオナ……」
「ありがとう、お父さん。でも私行くね。だって、皆を守りたいから……」
「っ……」
父の拳が赤くなるほど握られていた。反対しているのだろう。それほどに想ってくれている。十分だ。
「理解が早くて助かる。では我々と共に来い」
「……わかりました」
フィオナはカバルケードに続いて家を出ようとした。そこへ声が掛けられる。
「「フィー姉‼」」
「フィー……」
「フィオナ……」
「ナン、リナ、兄さん、お母さん……ごめんね。行ってきます」
フィオナは精一杯の笑みを作り、家族に向けた。これが最後かもしれない、だから笑顔でお別れしたかった。 泣かないように、涙なんか見せないように。これは自分で決めたこと。守る。家族を。そのために。
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フィオナが連れていかれたのは王宮だった。到着するなり、身を清められ今まで来たこともないようなドレスに身を包むこととなった。村とは違った豪華絢爛な装飾に圧倒されつつ、応接室で言われるがまま待っていると壮年の男性と少女が現れた。隣にはカバルケードも一緒だ。
「ほぅ、そちがか……」
「私には劣りますが、まぁまぁじゃないかしら」
「そうですね、これであれば問題ないと思います」
一体何を話しているのかわからないが、フィオナはただ黙っていることしかできない。じっと見られるのは居心地が悪いが、ここが王宮であり連れてきたカバルケードが敬意を払っているところをみると下手なことを言える人物でないのは確かだ。
「其方、名は何という?」
「……フィオナ、です」
「ふむ、声は似ておらんな」
先ほどより交わされている会話は、全て似ているか似ていないか。一体どういうことなのか、何をされるのかフィオナはいい加減説明をしてほしいと思っていた。だが、フィオナを余所に会話は続く。
「声など気にしないでしょう。肝心なのは容姿です」
「そうです、お父様。この娘なら平気ですわ」
「そうか……なら話を進めるとしよう」
「御意に。お任せください」
「それと、最低限の作法と礼儀をぎりぎりまで叩き込め。よいな」
「承知いたしました」
三人で会話をするとフィオナを放置したままカバルケード以外の二人は退室してしまった。これにはさすがにフィオナも茫然とするしかない。
「あの……どういうことですか?」
「……説明していなかったな。2週間後、我が国とシュバルツとで和平が結ばれる。そこで我が国の姫とシュバルツとで婚姻を結ぶことになった」
「姫様が魔族と……」
「そうだ。そしてお前には姫様の代わりにシュバルツへ行ってもらう」
「…………えっ?それはどういう――」
「聞こえなかったか? お前は魔族と婚姻を結んでもらう。姫様の代わりにな。それまでは礼儀と作法を学んでもらい、粗相のないようにしてもらう」
「なっ……‼」
「それと、今日からお前はエルウィン=グラコスと名乗る。わかったな」
「……」
わかるものか。それが正直な気持ちだった。
身代わりとして魔族と婚姻を結べなどと、奇天烈すぎて言葉もでない。和平交渉に偽物を用意してばれたらどうするのか。嫌、バレたら村は魔族に滅ぼされてしまうのか……。
魔族という存在をフィオナは噂でしか知らない。その姿形ですら知らないと言うのに、それではまるで……。
「生贄……」
「察しが良くて助かる。バレればお前の家族もただではすまない」
「くっ……」
家族を盾にされれば逆らうことなどできはしない。フィオナとしてではなく、エルウィン=グラコスとして生きなければいけない。
もうフィオナという存在はいなくなる、フィオナはこの日に死んだのだ。