新しい侍女
それから数日が経った。一日の終わり、夕食後にはサロンにて神琉と二人だけの時間がある。
瑠衣や燕の姿はそこにはなかった。そのため、アンリもここにはいない。本当に二人だけだった。しかし、会話と言えばフィオナが一方的に話しかけているのがほとんどであり、神琉から話を持ち出すことはほぼない。
今日もこの時間が始まったが、内容も当たり障りのないもので、このままでよいのかフィオナが思案しているところだった。
「姫に話がある」
「えっ? わ、私にですか?」
ふいに神琉が口を挟んできたのだ。神琉から話し出すことが意外過ぎて、フィオナは一瞬声が裏返ってしまった。
「……姫に俺の方から侍女を加える。構わないか?」
「私の侍女を、ですか?」
「あぁ。明日から世話をさせるように準備させている」
今までフィオナの側にはアンリしかいなかったが、同じ人間同士ということもあり、今後の相談も含めその空間は貴重なものである。そこに、神琉側の者が加わることに内心の動揺を隠せなかった。
「で、でも……魔族の方は私とは」
「以前も話したと思うが、公爵家が種族で人を判断するのは改める必要がある。そのプライドがあるならば尚更だ」
「……そう、ですか? ですが―――」
主である公爵家の人が命令されていても、根幹にある意識というのはそう簡単に覆すことはできないと思う。だからあえて自分の侍女をさせる必要はないのでは、とフィオナは言う。
「会えば、俺が侍女に加えた理由がわかるだろう」
「どういうことですか?」
「今日伝えることはそれだけだ」
それだけ言うと神琉は立ち上がり、そのままサロンを出ていってしまった。一人残されたフィオナは、ただ茫然とするだけだった。
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コンコン。扉が軽く叩かれる音。そしてガチャリと戸が開かれる。
「失礼いたします。今日からお世話させていただきます、佳南=バーナと申します」
朝一番、アンリに身支度を手伝ってもらいちょうど終わったというところへ、ノックと共に現れたのは一人の女性だった。女性にしては長身ではあるが、フィオナにはとてもスタイルの良い大人の女性に見えた。フィオナは立ち上がって、佳南に向き直る。
「佳南さん、ですね。初めまして。どうぞ宜しくお願いします」
「エルウィン様、どうぞ佳南とお呼びください。敬語も結構です」
「えっ?」
佳南が言った言葉は、以前王宮でアンリに言われた言葉と似ていた。思わずアンリを見てしまうが、アンリは頷くだけだ。フィオナは素直に聞くことにした。
「佳南、ね。わかったわ」
「はい。それとアンリ殿、今後外出されるようなことがあれば私が同行します。アンリ殿は屋敷で待機するようにとのことです」
「……それは公爵様のご意向でしょうか?」
「えぇ。エルウィン様をお守りすることが最優先となりますので、アンリ殿まで手が回りません」
要するに、他の魔族からフィオナを護るため、アンリを同行させないということらしい。外出するようなことは今のところないが、佳南がそのような話をするということはこれからは機会があるのかもしれない。アンリは黙って首肯した。
それにしても、この屋敷で会った使用人たちの中には必ずといっていいほどあった嫌悪を感じさせない態度に、アンリもフィオナも困惑を隠せなかった。神琉に指示されたからなのだろうか。
佳南にどう接すればよいのか、フィオナはその態度を決めかねていた。何も言わずにいることに戸惑いがあったのか、佳南は首を傾げている。
「どうかされました、エルウィン様?」
「……いえ、えっと佳南はその、人間が嫌いではないの?」
あまりに直球すぎるとは思ったが、言葉に出した以上は引くことはできない。佳南はその言葉に驚くよりも腑に落ちたようで、苦笑している。
「佳南?」
「あ、すみません。人間は嫌いではありませんよ。私は……混血児なので」
「混血児?」
「魔族と人間の両親の間に生まれたのが私なのです」
「魔族との混血児……」
「意外ですか?」
「……えぇ。その魔族と人間は仲が悪いと思っていたから」
今までの様子を見るに、魔族と人間が結婚するなど考えられないことだ。だからこそフィオナのことも歓迎されていないはず。だが、現実に佳南の両親は父が魔族で母が人間だという。
「……エルウィン様も若様とご結婚されるのですから、お子様は私と同じ混血児になるのですよ? でも若様とエルウィン様は仲が悪いわけではありませんよね?」
「それは……まだよくわからないわ」
「大丈夫ですよ。あの方は、本当にどうでもよいことは放っておかれる方です。こうして私を侍女として選ぶのですから気にかけてくださっていると思いますよ」
「そうだと嬉しいのだけど……」
話を聞くと、佳南の父と母は今は領地にある神琉の屋敷で働いているらしい。人間である佳南の母が、魔族の貴族の屋敷で、だ。さすがにアンリも驚きを隠せないようで、目を見開いて話を聞いていた。
「若様が良くしてくださっているので、母も父も元気にしています。そうでなければ、私も死んでいたでしょうから」
「佳南……」
「魔族の中にも父のように、人間を好いてくれる人もいるのです。エルウィン様、どうか魔族すべてをお嫌いにならないでください」
「……大丈夫。今はまだ、私にも魔族の中にもいい人がいるってことわかっていると思うから」
「ありがとうございます……」
この屋敷から出て、他の魔族と触れ合うことがあれば、考えは変わるかもしれない。フィオナが感じている魔族とは、まだほんの一部なのだろうから。だけど、今ここで神琉たちに対しては信用できると思っている。それに加えて、混血である人とも出会えた。フィオナにとって佳南の存在は、確かな希望に見えていた。




