一話~出会い5~
オレ達が住むこの世界には、神と天使と精霊、そして悪魔がいると信じられている。
神と天使は人々を救う者とされ、精霊は自然の中の何らかの魂であり、悪魔は悪い者と畏れられている。しかし、オレは、神や天使が人を救うとは思わない。誰も救わない。救ってくれるなら、どうしてあの時救ってくれなかったのか、と怒りが湧いてくる。だから、信じられない。
だが、存在しているのだ、確かに。
この世界には、人間以外の存在がある。
オレがその存在を信じ、そして力を借りるようになったのは、父親の影響だ。
決して大きな家ではなかったけど、書斎という父親だけの城があった。そこで魔術を研究していた父親の背中は、今でも鮮明に思い出せる。
父さんはよく聞かせてくれた。
人も、世界の理の中で生きている。
すべては水、土、風、火と共にあり、生きている者は時の流れと、このどこかに属している。
自分はどこに属しているのだろうか。純粋にそれを知りたくて、オレも魔術書を手に取った。
それがはじまりで、だが、あの頃とは目的が違う。
『悪魔召喚の書』が、また信じる者を失ったオレを導いた。
魔王になる――第九十九章の頁は、その新しい一歩だった。
空はどこまでも青く澄み渡り、爽やかな風がそよぐ朝だ。
こんな日は、洗濯物がよく乾く。シーツも干したい。掃除したい。
だから、オレは叫んでいた。
「起きろってば!」
「むにゃぁ……もぉ少しぃ……」
「言いながら寝るな!」
「昨日は遅かったんだから……一緒に寝よ、マスター」
例え、女の子(多分女の子)に誘われても、猫の姿だったら全く嬉しくない。
「オレにはやることが山のようにあるんだよ」
「じゃ、あたしは寝る……」
「寝るなぁ!」
オレの大声にも構わず、赤い猫はもぞもぞとシーツの中に沈んでいく。が、オレはそれを引っぺがした。
「シーツが干せないだろ!」
「にゃあぁ……! 悪魔虐待反対!」
赤い毛を逆立てた猫は、一か月前にオレが召喚した悪魔フェリーキタース。オレがフェリーと呼んでいる彼女は、人を堕落させる最も恐ろしい悪魔らしいが、本人が一番だらけていると思う。それを証拠に、常にどこかで眠っているのだ。
「悪魔にだって寝る権利はあるでしょ!」
「封印されてる時、十分寝ただろ?」
フェリーは約六百年、ある魔法陣に封印されていた。オレは、彼女が封じられていた魔法陣が載っている文献を、一年前に偶々手に入れた。それは今もオレの愛読書だ。
フェリーは不機嫌そうに尻尾を揺らしながら、「あれは寝てたわけじゃない」と言った。
「封印されてたからって、眠ってたわけじゃないの」
「でも、最初に出てきた時、よく寝たって……」
「あれはほんとに寝起きだったの! マスターったら、丁度起きた時にこっちに呼び出すんだもん。もうちょっとタイミングってものを考えてほしいわ」
「タイミングって言われても……」
そんなことを考えて、悪魔召喚をする奴なんていない。
フェリーは、ふぅっと息を吐いた。
「封印っていうのは、こっちへ来られないだけ。魔王になりたいのに、そんなことも知らないの?」
「うっ」
それを言われてしまうと痛い。
フェリーを召喚した理由――それは、魔王になるためだ。魔王には、自身も強大な力を持っているが、大抵強力な眷族がいる、というイメージがある。今まで様々な魔術を勉強し、研究してきた。が、悪魔を召喚する術はフェリーがはじめてだった。文献を見付けた時、半信半疑ではあったが、魔法陣を描いていた九十九日間、毎日手が震えたほどだ。
これでオレが求めていた力がまたひとつ手に入る、と。
でも、この赤い猫が、……フェリーが本当に最も恐れられている強い悪魔なのだろうか?
「ちょっとぉ、何? その疑いの目は?」
「いっ、いや、別に」
金色の目を眇めるフェリーから、オレは慌てて視線を逸らした。
「シーツ、干してくる」
「そんなこと、召使いにでもさせればいいじゃない」
「何度言わせるんだ! この家のどこに召使いを雇う金があるんだよ?」
事あるごとに『召使に』『手下は?』は言うフェリーに、オレは口を酸っぱくして反論していた。
「こんな魔王サマなんて見たことなぁい」
「だから、した……」
「下積み中、だっけ?」
「そう。まずは自分で苦労して、民の生活を理解することから始めるんだ」
「うぅん、なぁんかずれてる気もするけど」
「何?」
さっき手洗いした洗濯物を手に振り向くオレに、フェリーは「なんでもない」と肩を竦め、シーツのないベッドの上でまた丸くなった。
「……また寝るのかよ」
呆れたオレだが、小さく寝息を立て始めた彼女を起こさないようにそっとドアを閉めながら、外に出た。