三話~呪いの書と悪魔と女神の怒り5~
さっきまで神々しかった教会が、呪いに沈む。
息苦しい。胸に痛みが走り、吐き気がする。
苦しい。悔しい。悲しく、虚しい。そして、呑まれた数々の命が、生者を妬み、手を伸ばす。溺れた人間が、他者にしがみつくように。
が、目の前の存在は違う。
「悪いけど、あたし達、生きていく者じゃないの」
「終わりのない存在。そして、始まりもない」
フェリーとミセリアが、静かに言った。
「でもね、ここにいるどうしようもないマスターは違うのよね」
「彼を守るために、あなた方には、然るべき場所へと還っていただきます」
赤い魔力が、蠢く手を薙ぎ払った。青い波動も、哀れな想いを退ける。
ミセリアが悲しげな表情を浮かべる。
「どうして変わらないのでしょうね」
いつの時代も、人は人を傷つけて、自分を優位に立たせて、生きようとする。
「変われるのにさ。羨ましいくらい」
不変と永久の楔。悪魔と女神に科せられた終わりのない哀しみ。
オレは、彼女達という存在と繋がることで、それを知った。
でも、やっぱり――それでも人は、気づけないのだろうと思う。終わりがあるから、恐ろしいのだろう。誰かを蹴落としてまで、幸せになりたいと願う。
「幸せだった時を忘れるくせに」
フェリーの言葉がオレの記憶に刺さる。
生きたかった、幸せになりたかった亡者達が、悪魔と女神に僅かな光を求めていた。が、それは敵わない。永遠に交わることにない存在同士なのだ。
オレもそれは分かっている。
「……分かってる」
オレは、横で蹲り震えるリチャードを抱き起そうとした。
リチャードは、目を見開いてオレを見た。
オレ達に伸びてきた呪いを、フェリーが防いでくれる。弾かれた呪いが、悲鳴のような音を立てた。ふっと見覚えのある顔が浮かんで消えた。この『呪いの書』をカフカに持ってきた男だった。どうやらあの後、呪いに呑まれてしまったようだ。
「分かってるよ……フェリー、ミセリア」
「分かってない」
「忘れることが、生きていくことですから」
ぞぞぞと伸びた呪いが、天井を舐め、床を這う。
その中で、小さな呪いの手が、何かを求めていた。
『まんま……まんま』
音が言葉として聞こえた。
フェリーとミセリアに真っ直ぐ伸びる、小さな手。
「でも、消えないのよね」
「人は、どんなに辛いことでも憶えていますものね」
「ほんと、面倒な存在」
「そこが、強さ」
悪魔と女神が交互に言葉を紡ぐ。
『まんま』
小さな手の周りを、青い疾風が通り過ぎていく。
「ミセリア……! やめっ……」
オレが思わず止めようとすれば、薄い金色の瞳が微笑んだ。
「大丈夫です、マスターさん」
そうだ。オレの心は、ふたりに通ずる。
「ったくもう」
小さな呪いの手は、母親を求めて、空を彷徨っていた。それに、視線を合わせるようにフェリーが屈む。彼女の整った指先が、そっと小さな呪いに触れた。
「ママの温もりを、覚えていてあげたのね。えらいわ」
フェリーの手に包まれた幼い死者が、ゆっくりと白く輝く。
これで、呪いが解ける――オレが安堵していると、教会の中が再び揺れた。
「なっ、なんだ⁉」
「チッ、余計なことを……!」
神々しい波動ではあるが、呪いをすべて吹き飛ばしていく。救われない死者が、苦しそうな悲鳴を上げて、消えていった。
フェリーが握った小さな手も、消し飛んだ。
「あ……」
微かに声を上げたフェリーの手が、虚空を強く掴む。
オレは、弾かれたように教会の奥を見た。そこには、何人もの聖職者と、そのトップであろう初老の男が、鼻息荒く立っていた。
「リチャード! 何をしている?」
呼ばれた当人は、びくりと肩を震わせた。
「カドフェル様……」
リチャードの反応に気分を害したのか、カドフェルはさらに顔を険しくする。
「汚らわしい者どもが! この教会から……いやっ、この街、そしてこの世界から出ていけ!」
「なっ……! そこまでいっ……!」
荒々しい魔力が突如吹き荒れ、オレは腕で顔を覆った。踏ん張りながら、その中央に佇む者を見る。
「フェ、……フェリー……?」
フェリーの背――美しい翼が、血のように赤く、脈打っていた。




