三話~呪いの書と悪魔と女神の怒り4~
聖職者の男は、リチャード・フリエルと名乗った。
名乗られると少しだけ安心するのは、前回の黒い風の男のことがあるからだ。
リチャードは敵ではないが、彼には何かが見えているようだった。
「聞こえないふりはなしですよ?」
「えっ、と」
「ちなみに、僕は嘘も見抜けます」
「……赤い猫」
オレがどうにか答えると、同時に溜息が聞こえた。フェリーとリチャードのものだった。
「誤魔化し方、下手くそ」
「ありのまま言ってるだろ?」
オレは思わずフェリーに反論してしまった。
「やっぱり。君には、聞こえているのですね」
「あ……」
「ばぁか」
「確かに、見た目は赤い猫だが……本来の姿は、悪魔」
リチャードの言葉に、フェリーの金色の瞳が剣呑に光る。
「悪魔だったらなんだって言うのかしら?」
「おっ、おい……」
「だから、今あたしの言葉に応えない」
「ッ……」
「もう遅いですけど」
「う……」
ずぅんとなるオレに、ミセリアがオロオロしていた。
「あ、あのおふたりとも、あまりマスターさんをいじめないでください」
ミセリアの言葉に、リチャードがすかさず眉を顰める。
「ふたり、ということは」
「あ」
「ばか!」
「ごっ、ごめんなさい!」
「だから、あたしに応えない!」
傍から見たら、確かに可笑しな光景だった必死に頭を下げる相手は、赤い猫。フェリーも文句は言いながら、ミセリアに真っ直ぐ睨みを利かせていた。
と、吹き出す音が聞こえる。
「っ……ふっ、あははははっ……!」
オレとミセリア、珍しくフェリーッも唖然とした。
「すみません、あはっ……あははははっ、苦しいッ」
オレ達の視線を受けながらも、リチャードは目元を拭いながら笑っていた。
厳かな雰囲気だった教会内が、一気に和やかなものへと変わる。
「ごめんね、こんなにも暢気な悪魔使いを見たことがなくて」
「暢気な悪魔使いって……」
「まあ、間違ってないけど」
さすがのフェリーも、リチャードの言葉に戸惑っていた。
が、ミセリアだけは、なぜか満足気に頷いていた。
「そうなんです。マスターさんとフェリーさんは、とても良い関係なんです。わたしもこれから……」
「なんでそういうこと言っちゃうの?」
「えっ? あっ……」
これでは、自分達で自分達の正体を言っているようなものだ。
それにまたリチャードが声を上げて笑う。案外、笑い上戸なのかもしれない。
「こんなに笑ったのは久しぶりです」
「そ、それは良かった」
そう言われても、オレとフェリーは警戒心を解かない。
リチャードには、見えているのだろう。視線は、オレと赤い猫の姿であるフェリーとを行ったり来たりしているのだから――
「まあ、あなた方の関係も気になりますが、あなたが持っている本からとても邪悪な気を感じますね」
やっと自分から興味が逸れたことにホッとはしたが、当初の目的を思い出した。
「これをこちらで引き取ってもらいたいんだけど、いいですか?
オレの申し出に、リチャードは一瞬考え、首を横に振った。
「残念ですが」
「えっ?」
これには、ミセリアも落胆する。
「ど、どうしてです? 困っている人々を助けるのが、教会の……聖職者の役目ではないですか?」
「むしろ、これはあなた方が適任かと」
リチャードの目が、怪しく光った。
「マスター、来る場所間違えたわね」
「……やっぱ?」
臨戦態勢になりかけたフェリーとオレ――
「もぉ~! みなさん、これどうするんですかぁ!」
が、オレ達の横で、ミセリアが『呪いの書』を掲げ、青い翼を勢い良く広げた。書が女神の魔力に反応してか、不気味に輝いた。
「ちょっ……! こんのおバカ女神!」
フェリーが瞬時に真の姿に戻り、オレの前に立ってくれる。オレは慌ててリチャードの腕を引っ張り、フェリーの後ろに避難させる。
『呪いの書』からどす黒い手が無数に生えて始めていた。
「ッ……んだ?」
「あれはね、持ち主の生命力を吸って、存在している本なのよ」
「持ち主の、生命力……?」
「つまりは、今ミセリアの力を吸ってるの」
「それってまずいんじゃ……」
オレの戸惑いに、フェリーは大きく頷いた。
「ったく、とっととここに置いて帰るつもりだったのに。どっかの誰かさんがご託を並べて笑うから、ミセリアまで暴走しちゃったじゃない」
「それは、僕のこと……」
「他に誰がいんのよ?」
すかさず言ったフェリーに、リチャードは黙り込んだ。その顔は青褪めている。
彼に同情はしたが、最初の人選ミスのせいでも、とも思った。が、フェリーがオレのそれを察した。
「もしマスターが持ってたらここまで持たなかっただろうし、あたしだったら誰も止められないでしょ?」
確かにそうだ。
目の前でミセリアの羽根すらも覆い尽くす無数の手に、オレは慄いていた。あれがフェリーだったら、どうなっていたのだろうか。
蒼い羽根が、バタバタと慌ただしく動いている。
「たっ、助けてくださぁい!」
「分かった分かった。今この聖職者さんに押しつけるから」
「じょっ、冗談でしょう⁉」
「あんたの仕事でしょうが? 迷える魂ってのを救ってやんなさいよ」
「無理です! 人に人は救えない!」
その言葉に、オレのトラウマが疼いた。が、それよりも先に、金色の双眸がゆらりと瞬くのが見えた。
と、次の瞬間、リチャードの体が宙に浮く。フェリーが片手で軽々と彼の胸倉を掴んで、持ち上げていた。
「よくもまあ、そんな戯言を」
「ざっ……戯言、では……くっ」
「フェリー! やめろ!」
オレの必死さに、フェリーは渋々リチャードを下ろした。
「マスターの優しさに感謝すんのね」
吐き捨てるフェリーに、リチャードは床にへたり込んで、顔をさらに強張らせた。
フェリーがここまでイライラしているのは、きっとオレのせいだ。
「ミセリア、いつまで遊んでんの? こんな教会のこと、気にしなくていいじゃない」
そして、ミセリアがフェリーの言葉と、オレの心の奥底に応える。
「そう、ですね。もうマスターのことだけを視ることにします」
蠢く手の合間から忙しなく動いていた蒼い羽根が、一瞬見えなくなった。
が、瞬間――
どす黒い手が、青い光に弾かれ消し飛んだ。
『呪いの書』が、空中に放り出される。
「さあ、どっからでもどうぞ」
「わたし達がお相手します」
ミセリアの手から離れた『呪いの書』が、悪魔と女神の挑発に、ドクンッと不気味に脈打った。




