二話~悪魔の天敵?13~
教会の中に辛うじて残っていた椅子や蝋燭立てが吹き飛ばれ、オレももれなく背中を壁に打ちつけた。
「ぐっ……!」
「だから言ったでしょ!」
「そっ、そんなこと言われても……!」
息が詰まる。
黒い風が渦巻く。それは、男の心の闇のようだった。
「くくっ……いいねぇ。追い詰められた時の獲物の顔。たまんねぇ」
「おまえ……」
暗がりでも分かるほど、歪んだ男の顔。危ない奴だとは思っていたが、それ以上かもしれない。
「あなたは、人を殺めることに快楽を感じられているんですね……」
伏せるわけでもなく、ミセリアが言った。蒼い髪が、黒い風と踊っている。
男の目が、怪しく光る。
「なんだ? おまえ?」
フェリーのことは知っていても、ミセリアは知らないらしい。確かに、オレも夢を見なければ、彼女のことを知らなかったと思う。
ミセリアは小さく首を横に振る。
「あなたには、わたしの言葉は届かない」
女神の言葉が、男の憤りを煽った。
「おまえに用はない! 俺が欲しいのは、そこの美しい幸福の悪魔だ!」
「フェリーさんにも、この方にも、もうあなたの風は届きません!」
ミセリアの身体が、さっきのように輝き始めた。
「切り刻んでやる!」
鋭い風の刃が女神の身体を狙う。
「ミセリア、あぶなっ……!」
が、オレの悲鳴は閃光と共に消えた。
「……青い風?」
そう思ったのは、ミセリアの羽根だった。彼女自身の髪の色と同じく深い青いで、オレ達を守るほど大きく広げられていた。
「これが、不幸の女神ミセリアの盾よ」
フェリーは不機嫌そうに、しかしどこか安堵したように言った。
確かに、ミセリアの羽根の中は、こんな状況なのに温かさに包まれているようだった。さすが女神だ。
――が、オレは忘れてはいない『天地史第十三巻』に載っていた、不幸の女神力を。
「マスター、あたしに捕まって」
「おう」
気づけばオレの横に来ていたフェリーの身体にしがみつく。
「わたしがみなさんをお守りし……」
「あとよろしく! ミセリア!」
「えっ? ちょっ……フェリーさぁん! ぎゃあっ! 壁がぁ……!」
広がり過ぎたミセリアの羽根と彼女が展開した守りの風、そして彼女に弾き飛ばされた男の黒い刃が、ぼろぼろの教会にさらなるダメージを与えていた。
オレとテウは、フェリーに捕まり、崩れ始めた壁から飛び出す。赤い翼が、落ちてくる壁や天井の破片を避けていく。
「みなさぁん……! きゃああ!」
下でミセリアの悲鳴が聞こえる。
咄嗟に逃げてしまったことを少し後悔した。
「大丈夫大丈夫、いつものこと」
心配になったオレの内心を察し、フェリーがあっさりと答えた。
少し離れた場所に降り立てば、目の前はもう瓦礫と砂埃でミセリアの姿は見えない。
「ほんとに、だいじょ……」
「もう! フェリーさん、ひどいですよぉ!」
オレの言葉を遮り、青い翼がばさりと鳴る。と同時、ミセリアが天から舞い降りた。その姿はまさに女神。目の前の悲惨さを見ても、美しかった。
「……よ、よかった」
思わず魅入ってしまい、誤魔化すように呟けば、ミセリアが優しく微笑んだ。
「ご心配をおかけして、すみません。これでも、女神ですから」
フェリーはフンッと鼻を鳴らす。
「あんたの近くにいたら、マスターの命がいくらあっても足りないわ」
「えっ……」
やはりまた物騒な存在を、オレは召喚してしまったらしい。
「話はあと。あいつをまずは何とかしないとね」
フェリーの金色の瞳が鋭く光った。オレも、彼女の視線の先を見る。
男が息を切らして、オレ達を睨んでいた。かなり力を使ってしまっているようだ。
「これ以上はやめた方がいい」
「うるせぇ」
男の据わった目が、オレと合う。ふと、何かと重なった。
「……なんでおまえだけ?」
「え?」
男が、オレの左右に視線を振った。
「魔力も戦闘能力も、……この世界への憎しみも、俺の方が増さっているのに……なんでおまえが選ばれる?」
黒い風は、男の本心だ。オレは察した。
魔力とは、簡単に言えば想いだ。想いが強ければ強いほど、精霊と言霊を操る能力値は高くなる。
男の力は、憎しみそのものなのだろう。
「気に食わねぇ……おまえみたいな……」
相手の迫力に、オレは圧倒されそうだった。
が、フェリーは冷たく言い放つ。
「世界はひとつじゃないからよ」
「何?」
「世界は、憎しみだけでは成り立たないからです」
ミセリアが強く言った。
「あたし達を従えたかったら」
「もっと世界を知った方がいいですね」
赤と青の翼が風を起こして、男の黒い刃をすべて吹き飛ばした。
「ぐっ! ぐああああ! ッ……くそぉ!」
男が体勢を立て直そうとすれば、地面までもが揺れた。
「テウ! うぉっ!」
テウが呼びかけたらしい。地の精霊達が暴れ出した。オレも立っているのがやっとだった。
が、フェリーとミセリアは、変わらずそこに佇んでいる。
「これで終わり」
フェリーが、右手を天に翳し――
「!」
不意に、満天の空を一筋の稲光が走る。それはピリピリッと点を裂いたかと思えば、矢のごとくオレ達と男の間に落ちた。
これには、フェリーも目を見開いていた。
「なっ……」
「守ります!」
ミセリアの青い翼が、再びオレ達を包む。抉られた地が、砂埃を立てる。前は全く見えなかったが、こちらにダメージはなかった。テウの仲間も、各々逃げたようだ。
「これで引けと? ふざけるな!」
もくもくと煙のように立ち上る砂の向こうから、男の叫び声が聞こえた。が、オレ達に向けられたものではないようだ。
「俺はまだやれる!」
男の声に応えるように、また天に稲光が走る。雲もない空に閃くそれは、美しくも不思議だった。
フェリーの金色の瞳が剣呑に光っていた。
「ッ……分かった……今日は引いてやる」
渋々だったが、男がまた風を操った。砂埃が黒く渦巻く。
「ダリア・カーチス……必ず、おまえからフェリーキタースを奪ってやるからな!」
「ちょっ……!」
「駄目です! マスターさん!」
挑発に思わず飛び出しそうになったオレを、ミセリアが止めた。
「でもっ……」
「深追いはしない。マスター」
フェリーも強い口調だった。
黒い風が、唸りと土を巻き上げ、空へと飛び立った。
後には抉られた地と疲れ切ったオレと、この世の者ではない赤と青の美しさが残される。
また必ず会う――名も知らない黒い風の男。
オレは、どうしようもない悔しさから奥歯を噛み締めたのだった。




