二話~悪魔の天敵?8~
陽が完全に山間に落ち、痩せて赤い月が地を睨む時刻。オレは、やっと脇道にある宿屋のベッドに腰を下ろした。
「ふぅ……どっこらしょ」
思わず出たその言葉に、フェリーが呆れる。
「年寄り臭いわね」
「いいだろ、別に」
「どうせ老いるんだから、若さを楽しみなさいよ」
「この疲れた状況でどう楽しめって言うんだよ?」
「だから早く休めって言ったの。……今さらそんなこと言い合っても仕方ないわね」
フェリーはベッドの中心で伸びをして、丸くなった。
結局あれからこの時間までアルと古書や魔術について語り合っていた。
アルも魔術に興味があるのだ。治療の知識もその延長線上で習得したらしい。だが、オレのように言霊を仕えるわけではない。どんなに古書の内容を暗記しようと、それ通りに術を行おうと、術が発動することはなかったとアルは言った。フェリーから言わせると、アルには魔術を扱える素質そのものがないようだ。オレが魔術を発動できるのは、オレの中に精霊や魔と同調できる核があるからで、人はそれを魂と呼ぶ。オレの魂は、元々その素質を持っていた。
だからといって、魔王になれるというわけではない、と念を押すところは、フェリーの厳しさというかなんというか。
背後からの小さな呼吸音を聞きながら、オレは草臥れた鞄から分厚い古書を取り出す。焼失したと思われていた書。
アルがくれた、『天地史第十三巻』だ。褪せてはいるが状態は良い。オレの手は若干また震えた。
失われたはずの、欲しかった本が今手の中にある。また歓喜と興奮が湧き上がり、恐怖にも似た感情までもオレの心に溢れる。
さっきはアルと語り合っていてゆっくりと読めなかったが、オレは今まさに表紙を開き、一頁目を捲った。
「『天地史第十三巻』……」
オレは、書の表題を呟いた。と、続けて涼やかな声が、書の一頁に書かれた一行を読む。
「かつて、天と地は世界を賭けて争った。互いに数多の犠牲を払い、しかし勝敗は未だ着かぬ、ね」
「え?」
振り返れば、寝息を立てていたはずのフェリーがそのしなやかな身体を起こし、こちらを見ていた。金色の瞳に浮かぶ感情までは読み取れない。が、フェリーがこの一行を読むことに何か意味があるように思えた。
「くだらない」
「くだらないって……」
吐き捨てるように言うフェリーに、オレは少し苛立ちを覚えた。
「これはフェリー達のことでもあるんだろ?」
「確かに、神と魔は……その本で言えば、天と地は多分どこまでも平行線にあるものでしょうね。この世界が丸くない限りは」
「……それは地形的な問題じゃ……」
「おんなじことよ。人の理だと、神は天、魔は地。人は、どこになるのかしらね?」
「また謎かけみたいな」
オレの呆れる声に、フェリーは素知らぬ顔で赤い毛並みを綺麗に舐め始めた。
「何にせよ、知識を入れることは良いことよ。あたし達の犯している過ちを読んで、しっかり勉強なさい」
フェリーはそう言って、また丸くなってしまった。
自分でそういうこと言うか……
フェリーは決して他人事にしない気なのだろう、とオレは思った。そこがフェリーらしい。
『天地史』は全十三巻あり、書の最初に書かれているように、各地に伝わる神と魔の抗争歴史という伝承が描かれている。だが、これは伝説でも伝承でもない。ここにフェリーがいることが証明している。
神と魔は未だに争っているのだろうか。
本の第一章に目を通す。
ある天使についてだった。
「……これって、ただこの天使がドジなだけじゃ……」
『天地史』と硬い表題だが、意外にも人間っぽく描かれていて、面白い章もある。第十三巻の冒頭は、そんな面白い伝奇からだった。
次の頁は、その天使が今眠っているという教会の挿絵だった。
「あれ……これって……」
見たことのある風景のような気がした。
気のせい……?
オレはしばらくその教会の絵から視線を外せなかった。




