二話~悪魔の天敵?7~
ガラーナの隣町であるシーフは、地方都市に繋がる公道が繋がっているから、この辺りでも栄えている所だ。田舎ではなかなかお目にかかれない品も入ってきやすく、オレも魔術書を探しに、定期的に訪れている。
朝一でガラーナを発てば、昼過ぎには着けるのだが、道中に思わぬ事件があり、到着はいつもよりも遅く、陽は南から少し傾いていた。
治癒の術はかけていても、歩き通しだとやはり身体、特に足が痛み始めていたし、腹は空いているからすぐに宿屋を取ろうと思っていたが、オレの足は条件反射で馴染みの店へと向いていた。
「またあそこ行くの?」
フェリーが渋々ついて来る。
「休もうよぉ」
「嫌ならそこで待ってろよ」
最近のオレは、オレが何をしようと彼女は文句を言いたいのだと分かったから、ムキになって反論することを諦めた。すると、フェリーは「マスター、最近つめたぁい」とまた文句を垂れながらも、結局「ハイハイ」と答えるオレに従う。恒例行事だった。
足首の痛みを堪えながら、メイン通りの慣れない人混みをどうにか掻き分け、なぜかじろじろとこちらを見る多くの視線を無視して細い脇道に入れば、その店はある。
木彫りの本の看板を掲げる古書堂カフカ。オレの行きつけの店だ。
「こんにちは、アルさん」
「いらっしゃい。あぁあ、君か」
時代を想わせるほど軋むドアと同じくらい、掠れ気味だが良く通る声音が、オレを迎えた。店主であるアルベルト・ガリヴァーだ。オレを含め、馴染み客はアルと呼んでいた。彫りの深い顔をいつも気難しそうにしている彼は、樹木のような身体を丸め、整然と立ち並ぶ本棚の奥に潜んでいる。客が来れば一応はこちらを向くが、その後はまた棚の奥に潜み、自ら読書を楽しんでいる寡黙な男だった。
が、今日は少し驚いた様子でオレを見ていた。
「派手に喧嘩でもしたのか?」
「えっ……あ」
アルに言われ、自分の身体を見たオレは、なぜ街中でもじろじろと見られていたのか、やっと理由が分かった。ボロボロになった上着に、所々血が滲んでいる。肌や髪には砂がついたままだ。
「待っていなさい。今、濡れ布巾と傷薬を持ってこよう」
「す、すみません……アルさん」
アルが奥へと引っ込むと、足元から溜息が聞こえた。
「だから休もうって言ったの」
「ちゃんと言ってくれよ」
治癒の術の効果が切れ、身体の痛みは復活し始めていたが、恰好のことは気にしていなかった自分に反省だ。
「マスター、少しはオシャレにも気を使った方がいいわ。てか、今はオシャレ以前の問題ね」
「うっ……」
さすがにこれにはオレも反論できなかった。が、オレの表情は素直だったらしい。いや、内心を読まれたようだ。オレの甘さにフェリーがムッとする。
「マスター、いい? 上に立つ者は、それなりの恰好っていうものが……」
「ダリア、こっちに来なさい」
「あっ、はい……!」
アルの呼びかけに心からホッとするオレの横で、フェリーが「むむぅ……」と不服そうな声を出した、と言っても、彼女の声はオレにだけ聞こえている。
カウンターの奥で手当てを受けたオレは、一先ずホッとした。アルの手当ては的確だった。黙々と傷を拭き、包帯を巻いてくれるアルの横顔が、ふと誰かに重なって見えて、オレは目を逸らす。また引いていく身体の痛みとは反対に、心の中が痛い気がした。そんなオレに少しだけ視線を向けたアルだったが、それだけだった。普段から寡黙な男なのだ。
だが、掘り出し物があれば別で、途端に饒舌になるのだった。
「そうだ、君の欲しがっていた例のが入って来たぞ」
今日は珍しくその日らしく、彫りの深い顔がにまりと、多分アルと面識のない人が見たら恐ろしい微笑みを浮かべた。
「マジですか!」
見慣れているオレは目を輝かせて喰いつくと、アルは気難しそうな顔をさらに凶悪な表情にした。これが彼なりの満面の笑みで、慣れればこちらも心が弾むから不思議だ。
手招きするアルに駆け寄ろうとすれば、背後から溜息が聞こえる。もちろん、それはオレだけにしか聞こえない。
「またぁ?」
「ちょっとだけ」
「何が『ちょっと』よ」
小声で返すオレに、フェリーは渋い顔だ。こうなると長くなることを彼女は知っている。テウも分かっているから、すでにこの場にいない。
フェリーは呆れたといった風に店の隅へ歩く。そこには、アルが用意してくれている籠がある。案外アルは猫好きらしく、はじめてフェリーを連れていった日、掘り出し物がなかったにも関わらず、凶悪の満面な笑みを見せ、その籠まで用意したのだった。フェリーもそれが気に入ったらしく、毎回その中にすとんと入ってそのまま丸くなる。そして、長くなるオレ達の話をそこで眠って待つのが定番だった。
「終わったら起こして」
そんな彼女に、オレは小さく「分かった」と答えた。
「どうした? 見たくないのか?」
「みっ……見たいです!」
オレがワクワクしながら近寄れば、アルはまたあの凶悪な、しかし少年の笑みでそれをカウンターの上に置いた。決して小さくないアルの手でさえ掴むのがやっとの、分厚い本だった。重みからの風圧で、周りに積まれていた本が若干揺れた。オレも、その本の存在感に圧倒されるような気分だった。
「君は本当に運が良い」
アルは、窪んで大きい目を細めて言った。装丁を撫でる長年古本を愛でてきた指先と掠れ声に、歓喜が含まれているのが分かる。古本屋の主は、オレよりも嬉しさを噛み締めているようだった。節くれ立った指の合間から、題名が見え隠れする。
オレは注意深くそれを読み取った。
「『天地史第十三巻』……焼失していなかったんだ」
オレの声も少し掠れ、震えていた。これで二度目だ。
一度目は、『悪魔召喚の書』を目にした時だった。
フェリーや他の悪魔の召喚術を記した『悪魔召喚の書』も、はじめてここカフカで目にした。その時、はじめて歓喜と興奮、困惑の渦に呑まれる自分を経験した。その後が今なわけだが、フェリーが傍にいるという事実以外は、何も変わっていない気がする。
オレの内面は、魔王になれるだけの力をきちんと積み重ねているのだろうか。時々不安になる。
そんなオレの不安を、目の前にある書はひと時吹き飛ばした。
「この地に降り立った悪魔だけではなく、天使についてもこれで分かる。それも、今まで謎に包まれていた天使達についてもな」
アルはそう言って、『天地史第十三巻』をオレの方へと押しやった。
「え……?」
「探していたのだろう?」
「そ、そうですけど、アルさんもずっと……」
「もう読み終えた。内容はすでにここだ」
アルは自分の米神をとんとんと指で突いた。アルの記憶力は、優れているというのを通り越して、恐いほどだ。一度読んだ書の内容はすべて憶えてしまう。
だが、それでもオレはなかなか受け取れなかった。この書物に見合うお金も、売れる本も、知識も、何も持っていない。それに、今回だけではないのだ。
「前にも言っただろう? 本当に持つべき者が持つ。書物とはそういう物だ」
それは前にも聞いた台詞で、アルは至極当然といった顔だ。
『悪魔召喚の書』をオレにくれたのは他でもない。この古書堂カフカの店主アルベルト・ガリヴァーだった。
「この本も、恐らく君を待っていたのだろう。つい先日、ここに来た旅人が置いていったのだ」
「置いて?」
「ああ、私がいくら買い取ると言っても聞かず、ただ置いていった。追いかけたのだがな……」
アルは、店のドアに視線を向けた。まるで、置いて行った旅人の背中をまだそこに見ているかのようだった。
オレもドアを見る。そこは今、偏屈な店主さながら、客を拒んでいるみたいに閉じている。つくづく客商売に向いていない人物と店だと思った。
でも、先日は旅人の方がアルの申し出を拒んだのだろう。オレも、その旅人の残像をそこに見ようとした。
――と、古書の香りがふわりと一瞬揺れた。
「ちょっと厄介なことになりそうね」
「え?」
気付けば、フェリーが『天地史第十三巻』の横にしなやかな身体を座らせ、不機嫌そうに尻尾の先を揺らしていた。金色の瞳も剣呑に煌めいている。彼女が古書に興味を持つなど珍しい。
だが、オレには何が厄介なことなのか分からない。
どうした? と、心の中で尋ねても、だが彼女は金色の瞳を『天地史第十三巻』の表紙に落としたままだった。
何か良からぬことが起こる。それだけは確かだった。




