二話~悪魔の天敵?6~
目の前がチカチカとした。腰が倒れた衝撃で痺れている。
「マスター! 何してんの? 立って!」
「あっ、ああ……ッ」
吹っ飛んだ拍子に、足首も痛めたようだ。
「もう! だから気付けてって言ったのに!」
「だったら、オレが気付くように言ってくれ!」
風が渦巻き、唸っている。風の精霊が、真っ黒に染まっている姿が見えるようだった。
テウがオレを必死に励ましてくれていた。
「テウ、オレはいいから戻ってろ。巻き込んじまう」
だが、テウはイヤイヤと言うように首を横に振った。
「マスター! 術者を探すのよ!」
フェリーが叫んだ。
オレは痛む足を引き摺り、立ち上がる。周りには黒い風が何重にもなり、獣のように牙を剥き唸っている。
この術者は、完全に人を傷付ける意思を持って、術を使っている。
許せなかった。オレの言霊が強ければ、風を味方につけることもできる。しかし。
「風かぁ……」
オレは渋い顔で取り巻く風を見た。
「苦手とか言ってらんないわよ」
オレの心を見透かして、フェリーがぴしゃりと言う。
「術者は必ずどこかで見てる。風に惑わされないで」
「そんなこと言われても……わっ!」
風の刃が頬を掠めていく。小さな赤い飛沫が舞う。テウがオレの肩で振り落とされないように必死になっている。荒くなる呼吸と速くなる鼓動に、唸る風が鼓膜の奥で血潮となる。どれが外の音なのか分からない。
「マスター!」
すべてを掻き消すフェリーの叱咤が聞こえた。
「落ち着いて。大丈夫。できるわ」
それから優しい声音がオレを包み込んだ。ごちゃごちゃになっていた音が、解けていくようだった。
逃げ惑っていたオレは、その場に静かに佇んだ。まだ風の刃が唸りを上げている。でも、そうしなければいけない。息を整える。
「風の精よ、我が声を聞け。世界の流れに戻りたまえ」
徐々にだが、オレの呼吸と黒い風が穏やかになっていく。
僅かな時しかない。自由を司る風の精は、オレは苦手だ。抑えられている間に、探さなければならない、術者を。
戦ぐ街道の緑に、木々の陰に素早く目を走らせる。と、かさりと不自然に揺れた枝。
「あそこだ!」
オレは駆けようとしたが、足の痛み一瞬怯んでしまった。フェリーが先にその場に走り寄る。
「チッ……逃げられたか」
オレも足首の痛みを誤魔化しながら追いついた。
「猫の鼻で何か掴めないのか?」
「あたしは猫じゃないし、それをするのは犬でしょ? まあ、……ほんとに上手いこと逃げたとしか悔しいけど言えないわ」
フェリーでも何も感じられず、手がかりになるようなものを探したが何もない。テウに精霊の仲間達にも尋ねてもらったが、皆口を噤むと言う。
「精霊をねじ伏せるほどの力の持ち主ね」
それでも、確かに誰かがいた気配は残っている。気配だけというのが、余計に不気味だった。まるで、ゴーストのようだ。
「一体誰が……」
「全力で逃げる?」
「え?」
「憲兵のボーヤに約束したじゃない?」
フェリーの挑むような問いと金色の瞳に、オレの中の闘争心が疼いた。逃げて堪るか。
「魔王になるなら、このくらいの試練が必要さ」
オレの答えに満足したのか、小馬鹿にしているのか、フェリーは小さくふっと笑った。
「まずは、足首に治癒の術をかけたら?」
「あ、ああ」
フェリーに言われた通り、自身の回復力を促す術をかける。治癒術は、よく完全に治す術と間違えられるが、実はそんな便利な術はこの世にないのだ。人間が扱える術とは、すべて自然の法則や摂理に沿って成り立っている。精霊の力を借り、自らの気や血の流れを知り、術を発動させているから、小さな傷でない限り、痛みを和らげることはできても、完治させることはできない。
オレは、オレの中の気の流れを捻挫した足首に集中させた。少しずつそこを治癒させようと自身の本能が動き出すのを感じる。痛みが徐々に和らいでいく。
「……うん、これならなんとか街まで歩けそう」
「そう、よかった」
フェリーは大欠伸をしながら答えた。オレの怪我の具合など、まるで興味がないようだ。
「なんだよ……」
小声で言ってみても、彼女は知らんふり。
オレにも、彼女の心が読めればいいのに……
さっきまでの緊張感ゼロで、毛並みを綺麗に舐める赤い猫に、オレは少しだけもどかしさを感じたのだった。




