一話~出会い9‐②~
「諦められたら困るのよね」
「え?」
気付いたら、地を見降ろしていた。
「あ、あれ? 死んだ? オレ」
「勝手に死なないでよ。まあ、あたしが落としたら死ぬけどね」
「えっ、……」
頭上の声は、聞き慣れたものだった。
「フェリー……?」
「こんなに素晴らしい姿をした悪魔は他にいないでしょ? マスター」
そう言われても、オレの格好は酷かった。小脇に抱えられた荷物の如く、精一杯首を持ち上げても、たわわな胸が見えるだけだった。
「ちょっとマスター、どこ見てんのよ」
「だっ、だって……! 丁度そこに胸が……!」
「えっち」
「えっ……てか高ッ! 恐ッ!」
「暴れないで! 落としちゃうでしょ!」
「落とさないでぇ……!」
ばさりと風を裂く音がして、オレはやっと地に足を着けた。
やっとホッとし、改めて彼女を――悪魔フェリーキタースを見る。
「これが、フェリーの……」
「そっ。どう?」
美しかった。この世の女性では、絶対に敵わない美だと思った。白い肌に、長い手足。腰まである艶やかな髪は、風に靡く度、赤く燃える炎のようだ。金色の瞳が前だけを真っ直ぐ射抜いている。悪魔のイメージは黒い衣装だったが、彼女は純白の衣に身を包み、まるで天使のようだった。
しかし、炎の髪と同じ真っ赤な翼がフェリーを悪魔だということを物語っている。
「マスター、この子にお礼を言うのね」
「この子?」
ぴょこんとフェリーの肩に現れたのは、さっきの地の精だった。
「この子が報せてくれなかったら、マスターは今頃」
フェリーは肩を竦めた。オレは今になってようやくゾッとした。そして、助かったことに心から安堵した。
「ありがとう、地の精」
ぴょこんぴょこんと地の精が跳ね、オレの肩へと移った。地の精の顔をはじめてまじまじと見たが、子どものようでおじさんみたいな、不思議な顔立ちだった。
彼なのか、彼女なのか、地の精はオレの肩にずっと居座っている。
「おっ、おい、もう戻っていいぞ?」
「あらら、懐かれたわね」
「精霊って懐くのか?」
「さあ? あたしみたいに、マスターと相性が良いだけかも」
ふと気付いた。身体と心の痛みがなくなっている。
「マスターが彼らの声をちゃんと聴いたから、満足したみたいね」
「そうなのか?」
「悪霊っていうのは、ここに未練がある者達のこと。それを果たせば勝手にいなくなるのよ。あの人達は、誰かに声を聴いてほしかったのね」
フェリーは天を仰いだ。その表情は、慈愛に満ちているように見えた。悪魔だが、彼女はきっとそれだけに留まらない存在に思えた。
が、次の瞬間、彼女の表情は一変し、妖艶なものとなる。
「さぁて、と。本当の悪者さんを退治しましょうか?」
フェリーはやはり悪魔だった。美しい薔薇には、棘があるという。彼女はまさにそれだろう。
ネクロマンサーは何が起こったのか分からず、唖然としていたが、不意に自分へ敵意を向けられ、我に返ったようだった。
「女……まさか……」
「あたし、女って名前じゃないけど。元王族にしては、礼儀ってものがなってないわね」
「ぐッ……」
「それに、あなたに声が聴こえるの?」
「声だと?」
「駄目ね、不合格。その本、返して。それは悪魔のマスターになれる者のみが手にできる物よ」
「なっ……だっ、黙れ!」
ネクロマンサーが顔を歪め、喚いた。
「フェリーの声が聞こえるのか?」
フェリーは肩を竦めて、「この姿ならね」と答える。
「でも、あたしが聴くのは、あなたの言霊だけよ、マスター」
思わずドキッとした。
肩の上で、地の精もコクコクと頷いていた。
「この子もだって」
「ありがとう」
嬉しそうな地の精に、オレも頬を緩めた。
しかし、和んでいる場合ではなかった。
「どうせ低級悪魔だろう。おまえに用はない!」
ネクロマンサーが迷わず『悪魔召喚の書』の頁を開く。どのページかは見えなかった。
「数多の世界よ、我の声に応じ、今此処に途を繋げ」
地面に魔法陣が浮かび上がる。
「この日が来るのを待ち侘びていたぞ……」
フードの下で、男の口の端が歪んだ。オレは驚愕していた。
フェリーを召喚する時、オレは九十九日かけて魔法陣を描いた。それはオレの力が足りないせいで、魔術を操る身として未熟だからだった。
が、ネクロマンサーは言霊だけで魔法陣を描いた。
「あぁら、結構腕の立つ魔術師でもあったのね」
「感心してる場合か!」
「安心して。どいつが現れても、あたしが叩きのめしてあげる」
「その後、オレが召喚し難いだろうが!」
肌がピリピリとした。フェリーを召喚した時と同じだ。
肩の上で、地の精が怯えている。獣でも風ではない何かが唸っている。耳鳴りがした。よろけるオレを、フェリーが片手で支えた。
どんな悪魔が現れても、フェリーとなら――
オレは足を踏ん張った。
ネクロマンサーの口が、赤い三日月のように開く。




