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「お前、まだあそこに住んでるのか?」
「あそこって、そこのさくらホテルに住んでますけど。」
「お前、うちに来るか?」
「はい?」
「うち、今三人でシェアして住んでんだよ。一部屋余ってるんだけど、お前、仕事続くみたいだしよ。」
「下宿とかそういうことですか?」
「いやいや、シェアって言ってな、皆で家賃を出し合って住むんだよ。家を共同で借りてるだけだ。共同生活でも何でもないし、お互いに干渉もしない。」
「はあ。」
「っていうか、いちいちリトル東京でお前をピックアップするの、面倒くせえんだよ。うちからなら直接行けるだろうが。」
「家賃ってどれくらいですか?」
「350ドルでいい。電気代とかはその中から出すから。」
「350ドル・・・安いっすね。でも、ちょっと考えていいですか。」
「うるせえ。つべこべ言わずに住め。」
「ヤマさん、昨日の話なんですけど。」
「おう、いつ来る?」
「いや、それなんですけどね、実は俺、日本に女置いてきてて、必ず呼ぶって約束してるんですよ。どうなるか分かんないから一緒には来なかったけど。で、実際来てみたら思ってたより何とかなりそうなんで、金が出来たら近いうちに呼ぼうと思ってるんです。そしたらアパートとか借りるつもりなんで、せっかくヤマさんのとこに引っ越しても何ヵ月かで出ることになっちゃうと思うんですよね。」
「馬鹿、お前、すぐ呼べばいいじゃねえか。それならメインベッドルーム空けてやるからよ。二人で住め。うちは男ばっかりだけど、その部屋なら風呂もトイレも別に付いてるから問題ねえだろう。」
どうしても俺を引き込みたいらしい。だが、俺にとっても悪い話ではない。
家賃は安くなるし、部屋は今よりは広くなるだろう。正直なところ知らない他人との共同生活は面倒くさいような気もするが、どうせ家に帰っても寝るだけだし。
「わかりました。じゃあ、ホテルの部屋代今月一杯まで払ってるんで、月末近くに移ります。」
「おう、じゃあ、27日の木曜日にするか。俺と休み合わせとくからよ。」
先週愛美に電話した時のことを思い出す。
田舎に帰ってしばらくは大人しくしていたらしが、ただ妹の家に居候というわけにもいかないので、街で皿洗いをしていると言っていた。
あの愛美が皿洗い・・・。
そこまでは考えてなかった。
聡明で頭が良く、人当たりもいい愛美がそこまで身を落としていたとは。
愛美曰く、どうせ長い期間じゃないからちゃんと就職してもかえって迷惑をかけるから、だそうだ。
家賃はかからないからと、週2〜3回だけ働いているらしい。
自分のことばかりで、愛美の後の生活まで考えなかった。考えが浅かった。
それを思ったら、また違った苦労をかけるだろうが、一日も早く呼んでやった方がいい。
そう思っていた矢先だった。
27日が来た。
「なんだ、お前、荷物こんだけか。」
ヤマさんが車で迎えに来てくれた。
「来た時のままですから。」
俺の荷物は来た時のバックパック一つで十分収まっていた。
ヤマさんの家はロサンゼルスのダウンタウンからフリーウェイで15分くらい東に行ったところにあった。意外と店やマーケットも多く、道路も広い。ちょっとした地方都市といった感じだ。
それにしてもどうしてロサンゼルスは横に横にと広がった街なんだろう。
ちょっと買い物するにも、これではかなり歩かなければならないだろう。俺も早く車を買わなければ。
構造的にはタウンハウスと言って三軒が繋がっているのだが、中に入ってみて驚いた。
リビングが滅茶苦茶広くて天井が高い。中二階のようなところがあり、そこにキッチンとダイニングエリア、バスルームがある。階段で二階に上がると二つの部屋とバスルーム、その他に俺が住むメインベッドルームがあった。
今まで住んでいたところが住んでいたところだけに、逆に広すぎて不安になったくらいだ。
他の二人の住人は居なかった。一人は会社員なのだが滅多に帰ってこないし、もう一人は寿司職人で昼から夜中まで仕事、その後遊びに行ってから帰って来て朝方寝るから、ヤマさん自身も滅多に会わないらしい。それはそれで俺にとっては気楽かもしれない。
俺の部屋もとても広かった。端の方にヤマさんが貸してくれたベッドがあった。スプリングはふにゃふにゃだ。クイーンサイズだが、この部屋では小さく見える。
言っていた通り部屋の中に洗面所とバスルームがあった。ウォークインクローゼットまであった。
さすがに掃除をしてあるようには見えなかったが、それほど汚れてもいない。簡単に片付けて掃除をしたらすぐ住める状態になった。
一応荷物を開いたが、タンスも何もあるわけではない。服はクローゼットにかけられるものはかけて、その他の下着などはそのまま床に並べた。ちょっと広すぎるかなと思った。荷物がないので殺風景だ。
夕方になってヤマさんにスーパーマーケットに連れて行かれた。
マーケットは初めてではないが、やはり大きい。見たことがないフルーツや野菜も沢山置いてある。
しかし、何より驚いたのはヤマさんの買い物の仕方だ。
大きなショッピングカートに食料品が山積みになっていく。
誰がこんなに食うんだ?ヤマさんは独り者だし、大体普段は店で食べてるじゃないか。
「いいんだよ。うちにはいろんな奴が来るんだから。」
そういう理由で特に根拠もなく適当に買っているようだ。まったくヤマさんらしい。
その日の夕食はヤマさんが作ってくれた。言っていた通り何人か客も来ていたから、賑やかな夕食になった。俺も手伝わされたが、店の物以外作ったことがない。切り物とかの準備だけで、殆どヤマさん一人で作った。普通コックは家では料理しないと言うが、この人は料理するのが好きらしい。
お客のお土産でケーキをもらったので食後のデザートにした。コーヒーは俺が入れる。料理は出来なくてもコーヒーだけは日本に居る頃からずっと入れてきたからちょっとは自信がある。少しは格好がつくだろう。
食事が終わってくつろぎながらしばらく皆で話をした後、、お客も皆帰っていった。
洗い物や片づけを終えてリビングに戻ると、ヤマさんがおもむろに電話を持ってきた。
「おい、電話しろ。」
「どこに?」
「お前の女のところに決まってんじゃねぇか。」
「ああ、引っ越す話はしましたから。じゃあ、住所と電話番号だけでも教えておこうかな。」
「馬鹿、何言ってんだ。アメリカに来いって電話するんだよ。」
ちょっと待て。それはいくらなんでも早いんじゃないのか。ここでちょっと落ち着いて、様子を見てから呼ぼうと思ってるんだから。早く呼びたいのはやまやまだが、まだ何の準備もできていない。
いや、ちょっと待ては俺の方だ。
考えてみたら、何の準備をすると言うんだ?この後何か状況が変わるのか?いずれにしてもいつかここに住むなら、今と何が違うんだ?
大体、日本を引き上げてアメリカに渡って来た俺にとって、それ以上に決断が必要なことなんてあるのか?何とか仕事も見つかった、とりあえず今すぐ強制送還になりそうな気配もない、多分ヤマさんにも騙されてない。ないのは金とビザだけで、それ以外は問題ないんじゃないのか。
「向こうも呼んでくれるの待ってるんだろ?早く呼んでやれ。」
そうか、ヤマさん、結構考えてくれたんだ。とんでもなくデタラメなオヤジだが、いいところあるじゃないか。急と言えば急だけど、ヤマさんの言う通りだ。
うん、そうだ、そうしよう。愛美も喜ぶに違いない。
嬉しさがこみ上げてきた。また愛美と暮らせる。今すぐ電話して愛美を呼ぼう。こんなに早く愛美を呼べるとは!
俺は受話器を手に取った。