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その後一ヵ月程は何事もなく店で働いていた。
そろそろ5月も終わろうかという頃、事件があった。俺がアメリカに来てから、仕事が決まったことを除けば唯一のドラマチックな事件と言っていい。
ランチタイムも終わって、皆一息ついた時だった。突然何人もの制服を着た係官が店に入ってきた。
「移民局の者だ。しばらく誰もこの店から出ないように!」
噂には聞いていたが、俗に言う「手入れ」だ。そうそう来るものではないと聞いていたが、まさかもうこの店に来るとは。
休憩していた何人かのメキシコ人が裏口から走って出て行った。
俺はキッチンに居たので出られない。
ああ、俺のアメリカの夢もここまでか。覚悟はしていたが、こんなに早いとは。「強制送還」という言葉が頭を駆け巡る。
いつの間にか表口も裏口も係官で固められている。
店の責任者として親方のヤマさんが係官と話をしているが、ヤマさんは10年以上アメリカにいるくせに英語が殆ど話せない。ウェイトレスの一人が通訳として一緒に話している。
お客も足止めされて、戸惑っている。
ヤマさんが話している間に他の係官がキッチンに入ってきてメキシコ人一人一人に順番に質問している。キッチンの入り口と店の入り口を二重に固められているので、これでは逃げ出せない。
皆カタコトの英語とスペイン語で話しているが、ポケットから何かを出して係官に見せている。あれは?グリーンカードか?奴ら、永住権を持っていたのか?
やがて一人だけメキシコ人が係官に両脇を固められて連れられていった。奴はグリーンカードを持っていなかったらしい。
メキシコ人全部を調べ終わって、さあ、次は俺の番だ。
さあ、最後の時だ、と覚悟した。
・・・係官は俺の横を素通りしていった。
あれ?どうしたんだ?俺だけ後から調べられるのか?ドキドキした。捕まえるならさっさと捕まえてくれ。生殺しみたいなのはごめんだ。
結局最後まで俺は調べられず、係官の責任者みたいなのが紙を一枚ヤマさんに渡して帰って行った。不法移民を働かせていたということで、罰金を払わなければならないらしい。
「ヤマさん、俺、何でか知らないけど移民局に調べられなかった。助かったよ。」
まだドキドキしていた。
「バーカ、あいつらは日本人は捕まえないんだよ。ビザ持ってる奴とか税金払ってる奴が殆どだからな。ま、メキシコ人狩りみたいなもんだ。どうせあいつら強制送還されても明日には戻ってくるのにな。」
「でもよかったね。グリーンカード持ってる奴ばっかりで。」
「あんなもん偽物に決まってんじゃねぇか。あいつらの住んでる辺りに行けば売ってるんだよ。」
そういうもんなのか。
でも助かった。寿命が5年くらい縮んだような気がする。ギリギリで俺の夢は先へとつながった。
この調子なら捕まらずに行けそうな気がする。働いてる瞬間を押さえられない限り、一応観光ビザは持ってるので六ヵ月間は不法滞在にはならない。