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日雇いの警備員の仕事ははっきり言って退屈だった。
制服、靴と赤い棒みたいのを渡されて、主な仕事は工事現場の交通整理だった。
最初はいくつかの現場を日替わりで回っていたが、やはりこういう仕事は毎日やる人間が少ないのだろう、そのうちにマンション建築の現場に固定になった。
交通費は一応支給された。
面倒くさいので制服のまま電車で広尾まで通勤していた。
周りの人にも現場の人にも珍しがられたが、別にどうでもよかった。大した問題じゃない。
一方でビザのことをいろいろと調べた。
日本人はアメリカに行くのにビザ・ウェーバーがあり、ノービザで三ヶ月滞在できる。
しかし、三ヶ月では心もとなかった。
観光ビザがあれば六ヶ月は滞在できる(どちらにせよ働けば違法だが)。
さらに、うまく行けば最高一年までは延長できるのだ。
よくよく調べてみると、観光ビザで入国すると、永住権を取る時に(たとえ切れていたとしても)ビザの切り替えという形を取れるらしい。ノービザだと面倒なようだ。
いろいろと知識が増えていく。渋谷の本屋にある関係資料は全部目を通した。
こういう時東京は便利だ。
マンションのオーナーには3月一杯で出る旨伝えた。
敷金がいくらかは戻ってくるらしい。
電話の権利を手放したり、処分できるものは処分したり、いろいろとやらなければならないことがあった。
しかし、日本を出る出来るだけギリギリにやらなければならない。それまではここで生活するのだから。
愛美をずっとここに置いておくわけにはいかなかった。知り合いも親戚も居ない東京にこのまま居る理由もなかった。何より、生活費が高すぎる。
「大丈夫よ。待ってる間田舎に居るから。」
それが一番いい。それなら俺も安心だ。
そんな頃、旅行会社の友人から連絡が入った。
3月30日の便を取ってくれたらしい。
一応往復チケットで7万円ということだった。
「ところでビザのことなんだが、三ヶ月まではビザなしだろう?それ以上滞在するスケジュールを組めばビザ申請が出来るのかな。銀行残高はどれくらい用意すればいいの?」
調べてくれるとのことだった。
こういう時、持つものは友達だなと思った。