第一章7 『魔術実践』
約束の時間。
十分前から庭に出て待っていると、デルタは時間通りに現れた。
「よお、買い物は満足にできたか?」
開口一番、耳が痛い言葉だ。
「実は寝坊してしまってロクなものを買えていません」
苦笑しながら言うと、デルタは呆れた顔で言った。
「なんだそりゃ、てーことは勉強もしてないのか」
「いえ、魔術は基本だけ読み込んでおきました。他は手を付けていませんけど」
「あの眼鏡は役に立っただろ。壊すなよ?あれたぶん目玉飛び出るくれえ高いから」
だろうな。
「気を付けておきます。今日は詠唱を覚えるだけで精一杯でした」
どうやらこの体は物覚えが良いらしい。詠唱を暗記するのは時間がかかると思えたが、予想のほかすぐにソラで言えるようになった。これも魔力のおかげか。
「詠唱……?」
少し自慢げだった俺だが、デルタは反対に眉根を寄せて顎に指を添えた。
「おい、グレン。もう魔術は使ってみたのか?」
「まだです。明日、安全に使える迷宮で試そうかと」
なんだろう、少し様子がおかしい。もしかして俺は変な事でも言ったか?
俺としては威力を間違えて大惨事になる借金フラグを回避してみせただけなのだが。
頭を捻っていると、デルタが唐突に剣を抜いた。
「ちょ、ちょっと。どうしたんですか?」
いきなりの剣呑な雰囲気を割るように、俺の腰の抜けた声が通る。
まさか、本当に罠だったのか?
よりにもよってこんな人気のある場所で?
逃げるか、叫び声をあげるか。迷っているひまはない、この世界の剣士は『闘気』を操る。俺で常人離れをした動きができるんだ。ギルドマスターともなれば、いつの間にか俺の首が落ちてる……なんてことにもなりかねない。
嫌な想像をして、逡巡する。すると、楽観した様子でデルタが口を開いた。
「グレン、俺に魔術を撃ってきてみてくれ。そうだな、できれば火がいい」
何を言っているのかわからず、一瞬思考が停止した。
「……それは、試し打ちをしてみろということですか?」
「そうだが、なんか変なこと言ったか?」
思わずその場にへたり込みそうになった。
変なことは言ってないけど、いろいろ言葉が足りないよ。
「できれば、そういうことは剣を抜く前に言ってほしいです」
「ム……たしかに、そうだな。すまなかった」
この人、賢い人かと思っていたが、案外脳筋なのかもしれない。
しかし試し打ちか、まいったな。
「俺はまだ詠唱を覚えただけなんで、できるかどうかもわからないんですが」
暴発して人殺しとか嫌だぞ俺。そんなマヌケな事件で犯罪者になってたまるか。
「かまわねえ、できなければ、それはそれで当たり前なんだ」
「はあ……?」
なにか今の会話、つながってなかったような気がする。
初めてだからできないのが当たり前という意味か?
だが本には魔力さえあれば詠唱をすれば誰でも魔術は発動できると書いてあった。そりゃ、コツとかもいるかもしれんが。
俺に余りある魔力があるのはギルドで確認済み。デルタもそれを目の前で見ていたはずだ。
「あのー、本当に危ないかもしれないんですよ?」
遠慮気味にそう言う。デルタは既にやる気満々だが、俺は調整もできないものを人に使いたくはない。
「気にすんな。っていうか、あんま舐めてもらっちゃ困る。俺はこれでもいっぱしの剣士なんだぜ」
いや、いっぱしの剣士とか言われてもな。
なんだろう、かませの匂いがするのは俺だけなのだろうか。怪我をさせて責任を負うのも嫌だし、良くしてくれた人に撃つのも忍びない。
でも相手はやる気満々だ。
「じゃ、じゃあいきますね」
「おう」
間髪なく入れられる返事。
……もう、いいか。
なんかもう考えるのが面倒くさくなってきた。本人が撃てって言ってるんだから、撃てばいいじゃん。どうなってもボクちやないっ。
詠唱は覚えている。
魔術の発動プロセスは、詠唱しながら魔力を練り上げること。
両手をデルタに向ける。まるでそこから、俺の血液が射出するような気持ちで、熱い鉛を押し上げていく。心臓をポンプ代わりにして、鼓動のたび、それを高密度にするつもりで圧縮する。
間違わないよう、丁寧に一言ずつ唱えた。
「器が火で満たされる。掻き混ぜる火は炎となりて、冷たき地面に零れ落ちん――『ファイヤーボール』」
手のひらにGがかかったような感覚。言い終えると、俺の顔の三倍はあろうかという火球が勢いよく飛び出した。
「あぶね――」
十メートルもあった距離は、一秒もたたないうちに削られた。俺が言えたのは、それだけ。火球は存在意義の通りにデルタを焼き焦がそうと灼熱を炸裂させようとして、
「……は?」
デルタはいつのまにか剣を振り終わっていた。俺の成長した動体視力でも全く見えず、それと共に火球も消え去っていた。
魔術を斬ったのだ。
嘘だろ、火って斬れるの?
「すげえな、コリャ」
いやいやいやいや、凄いのはあなたですよと言いたい。
旦那、ちょっと私と一緒にテレビに出ましょう。なあに、ギャラはきちんと私が管理しておきますから、へへ。
「まさか本当に詠唱を使えるとはな……」
おお、そうだ。デルタの万国ビックリショーにあっけを取られていたが、俺もなんだかんだで一発目で魔術を成功させた。見事に『魔術師』の資格をゲットしたというわけだ。これで就職に有利になれるよ、やったね。
「すごいですね、魔術が斬れるもんだと思いませんでした」
「これくらいなら中級の剣士ならだれでもできるさ。それよりスゲエのはお前の方だ」
「俺ですか?」
デルタは神妙に頷く。
「詠唱ってのはな、今じゃ人族で使える奴がほとんどいない古代の技術なんだよ」
「そうなんですか?それじゃあ、他の魔術師はどうやって魔術を使ってるんです」
「みんな無詠唱」
「そっちの方が良いと思いますけど……」
いまいち凄さがわからんな。無詠唱の方が戦闘で実力を発揮できると思うが。
「無詠唱だと威力が落ちるんだよ。だから避けられるかさっきみたいに消されて間合いを詰められてやられる。あんなでかいヴォルクを出した奴見たのはお前で二人目だ」
「一人目は?」
「俺のパーティーだった魔術師。あのメガネ作ったり魔力を溜める玉作ったりしてるヤツだ。バケモンみたいに強え」
比較対象がはっきりしてないからこれもわかりづらいな。まあ強い人なら褒められてるに違いない。
「あ、そうだ。でも本には詠唱が当然だって書かれてましたけど」
「どんだけ古い本読んでたんだよ……」
常識を知らないって怖い、みたいな目で見られた。知らないものは仕方ないじゃないか。
「人族が詠唱を使えなくなったのは四百年前って言われてる。使えるのは精霊と契約した精霊魔術師と、固有魔術を持った奴だけだ」
「なんで四百年前なんです?」
「一説では三勇者の一人が大樹を斬っちまったから、そのせいで人族が精霊に嫌われたかららしいが……。詳しくは知らん」
「はた迷惑な勇者もいたもんですね」
大樹が何かは知らんが、そうとう大事なものだったんだろう。いつの世だって、先人たちは知恵もくれるけど禍根も残してくれるもんだ。
「まあ歴史上最大の裏切り者って言われてるくらいだしな。その辺の資料もあるから興味があるなら読んどけば勉強になると思うぜ」
「助かります」
話が逸れたな。
「俺は無詠唱の方が使いたいんですけど、どうにかできますかね?」
「聞く魔術師が聞いたら張り倒されそうな一言だな」
俺は実利で動くタイプなんでね。威力は下がっても、詠唱が無いというアドバンテージは大きい。
「詠唱ができるってことは、精霊との親和性が高いってことだ。なら無詠唱もできるんじゃねえのか?俺は魔術はからっきしだから何とも言えん」
「そうですか……ありがとうございます」
明日迷宮で試してみるか。魔術が使えるのはわかったんだ。ならもうそれからは大したことが無いように思える。
炎の龍とか出せちゃうんだろうか。うっは、興奮してきた。
一人心の中ではしゃいでいると、デルタが心なしか気まずそうに言った。
「な、なあ、グレンは魔術師になるのか?」
「そういうわけでもないですね、剣も使うつもりです。魔法と剣、平均的に鍛えていこうかと」
目指せ魔法剣士。ぶっちゃけMP切れで魔物の群れの中で孤立するとかが怖いだけなんだけどね。物理で相手を殴るのは基本だよ。
その返答は満足のいくものだったらしく、顔を輝かせた。
「そうか!やっぱり男ならわかってくれると思ってた!男なら剣術を学ばなきゃな!」
「……はい、そうですね?」
なんか二人の間に温度差がある。
今日はなんだかデルタの調子がおかしいな。
「あの、けっきょく今日は何の話だったんですか?」
まどろっこしいのは嫌いなので、単刀直入に聞いてみることにした。
「ん、実はな、グレンさえ良ければだが、剣を教えようと思ってな」
「ほう、剣術をですか」
まあ薄々予想はついていた。この人、何かと理由を付けて俺に優しくしてくれるからな。
「正直に言うぞ、俺はお前ほどの才能をあるやつを俺以外に初めて見た!」
なんだか若干棒読みなのが気になる。練習したのか。
てゆーか、俺以外て。ずいぶん自信家だな。
「お前なら鍛えれば必ず一人前の剣士になれる。だが、我流でへんなクセをつければ、それだけ遠回りになる。俺はお前が一人前になる手助けをしたい」
「手助け、ですか」
「そうだ」
フム、願ってもない申し出だ。何か悪巧みがないのなら、今すぐにでもオーケーしたい。
「あの、一つ聞きたいんですが、なぜここまで俺に優しくしてくれるんですか?」
「……ううん、そうだな」
デルタは数秒言葉を選んでから言った。
「俺は才能がある奴が、不当な扱いを受けるのがいやなんだ。だからお前みたいな原石が転がってるのを見ると、老婆心に磨きたくなる。これじゃだめか」
「……こういうのって、月謝とか払った方がいいです?」
「おお、ここまできてすげえ地味な質問だな。これは俺が無理やりしようとしてることだから、金なんか要らん」
金は大事な問題だよ。最近の若い子は、そういう所には敏感なんだ。
「あと、教えてもらう側があれこれ注文をつけるのは失礼だと思うんですが、俺はいずれこの街を出ます。そのとき、剣術が中途半端な状態で師事してもらうのを投げ出してしまうかもしれません。それでもいいんですか?」
これは昨日から考えていたことだ。
せっかく来た異世界。こんなにすぐにひとつの街に根を張るつもりはない。
もっと世界中を旅して、色んな景色が見たい。
剣術がそれの足かせになってしまうのなら、非常にもったいないがこの話は断るとしよう。
「ああ、それでもいい」
いいのかよ!
甘い蜜だけ吸わせてもらってトンズラこいてもいいですか?って公言したようなもんだぞ。
頬をヒクつかせながら答える。
「そ、それならぜひお願いします」
うーん、あまりにも俺の都合の良いように事が運びすぎてこわくなる。
本当になんだこれ、これが噂の主人公補正とやらなのか。そりゃこんだけ周りの人間に助けられたら強くなれるわ。ヌルゲーもいいところだ。
ふと、神の発想と言わんばかりのナイスアイディアが頭に浮かんだ。
もしかして、ここはゲームの中で、デルタはその中のモブキャラ……NPCではなかろうか。初めの村の村長さん的役割を持つキャラだと思えば、今までの親切にも幾分か説明がつく。
そんな近未来の実験台に選ばれるようなラノベっぽい生活してないんだがな。俺はどこにでもいる普通の高校生だい!
「……ということは」
これは強制イベントということになる……のか?
「何か言ったか?」
「いえ、なにも」
今までのデルタの行動を思い返す。
文字の読めない俺に親切を働き、所持品なしのところ初期武器を与えてくれた。
さらには会って一日目の人間に邸宅の訪問許可をくれて、とんでもない効果の魔道具の貸し出しと、剣術の師事を申し出た。見返りは何もいらないという。
パーフェクトだ。こんなの野球にたとえたらサヨナラ逆転満塁場外初球ホームランみたいなもんだよ。
はっきり言おう、こんな人間いるわけがない。
政府に連れられて仮想現実の人体実験の被験者に選ばれた。もしくは世界レベルの陰謀に巻き込まれた。
こんなとき、ゲーム脳というのは実に様々な妄想に頭を膨らませてくれる。
俺には『こんなことに巻き込みやがって、家に帰せ!』なんていう憤慨はこれっぽっちもなかった。だってそうだろ?生きていくのに困らないだけの力はあるし、周りもみんな俺に優しい。聞けば詠唱だってレアスキルだ。文句なんて、あるわけがない。
こういう状況に適応した振りをして、調子に乗って犬死にするモブみたいな過ちは犯さない。できるだけ他人の好感度を上げて、上手く小狡く生きてやる。
こうして俺は、自らが主人公だという自覚を得た。
他人はただのプログラムで組まれたモブキャラ。俺はそれらを利用する主人公なんて……間違っていて、調子に乗っていて、先走って真っ先に死ぬ中二病みたいな、馬鹿みたいな自覚を。
それまでの人生があまりに平凡すぎて、何も特別なんてなかった反動から、これくらいの幸せが当たり前なのだと思ってしまった。