第一章6 『魔術について』
「ううん、あと五分」
異世界生活二日目は、知らない天井で目を覚ました。
清々しい気分だ。宿はちとボロいが、雰囲気はある。古い木造特有の優しい木の匂いが鼻腔をくすぐる。
一日目とは違い、二日目は余裕があるな。
金ができたというのも大きい。やはり人は金だ。金があればなんでもできるからな。
そして、今日はその金を使って、生活用品を整える。
正直この世界に制服なんて使い所がなさすぎていらない。とっとと売り払って金にしてやろう。
一応異世界の最先端技術で編まれた化学繊維の服だし、そこそこ高く売れるはずだ。
動きやすい普段着を買って、それから装備を見に行こう。命を懸けて戦いに行くのに『普段着』と『ボロい靴』とかアホか。
防御力は何より大事だ。死んだらそこで終わりだからな。
よし、そうと決まれば起きよう。この布団の殺人的な温かさから脱出して、気だるげな体を動かして、着替えて、ウキウキショッピングに出かけなければ。
こう見えても俺の将来の夢は主夫だ。可愛くて優しい嫁さんを捕まえてヒモ生活をするのが夢だ。なのでお買い物くらいは完璧にこなしてみせよう。節約してやる!節約してやる!
「あと、マジで五分だけ。ムニャ」
そうさ、俺は昨日十分すぎるほどに働いた。汗水垂らして命がけで金を稼いできたのだ。この体には休息が必要だ。適度な休みは逆に生産性を高めるのさ。
我ながらもっともな理由を見つけたものだ。眠気まなこに感心しながら、俺は布団を握りしめた。もうここには鬱陶しく起こしにくる妹なんていない。自由、ユートピア、そんな言葉が浮かんでくる。なんてことだ、理想郷はここにあったのか。
大丈夫、大丈夫さ。
寝るにしても、あと十分だけ。十分もしたらすぐに起きて、主夫道を極めるための買い物に行くんだ。
それに、今日は街を散策してどのような街なのかも見なければいけない。装備も見て店を回らなければならないから、寝過ごしたらシャレにならない。
時間は有限、そのことを俺は身を以て知っている。地球ではなにもやってこなかった結果が若干コミュ障気味の帰宅部少年だ。俺は日々成長しているのだ。だからあと三十分だけ寝かせてください。
「……ZZZ」
夢の中では、俺はアルプスの山でブランコをしていた。代わってとせがむ羊飼いを無視して、ただただ気持ち良さを感じてブランコをこいでいた。
「――ハッ!」
気づくと、夕方終わりを知らせる鐘の音で目を覚ました。つまりは十九時。すでに一日の四分の三以上が経過している。
五度寝くらいしてからの記憶がない。なんてこった、俺は記憶喪失なのか。
おいおいまてまて、寝過ごしたらシャレにならんのだって。大金持ってショッピンルルルンだったのに。俺に主夫は無理だというのか。まるまる二十時間くらい寝てるじゃねえかよ。馬鹿か、おれ。
夜にはデルタとの約束も控えている。夜っていうか、あと二時間後くらいだが。そっちには絶対遅刻できない。
やっちまった。
とんでもない寝坊助さんだ。俺に主夫は無理だというのか、そんな馬鹿な。
ポリポリと頭を掻いて、現実逃避。
もうこのままギリギリまで寝てやろうかと思ったが、さすがにそれは止めておいた。夢の二十四時間超え睡眠を達成してしまったらいろいろと人間の尊厳的にマズい気がする。
こうなりゃ早めにデルタ邸に行って、魔法のことだけでも予習しとこう。
洗面台で顔を洗う。もちろんこんな安宿に水道なんてないので、備え付けのバケツに入れられた水を使う。微妙にぬるいから気持ち悪い。
高い宿だと魔石で作った道具で水を引いているらしい。いつかそんな宿にも泊まってみたいもんだね。ブルジョアになりてえ。
だが、安宿といっても馬鹿にはできない。飯には肉もけっこう使われていて美味いのだ。味はちょっと薄いがな。
昨日はなにも食ってなかったこともあって、量が多かったのも良かった。
丸一日眠っていたので、もう腹が減っているがな。
しかし、料金が安けりゃその分サービスも低い。店員の態度は普通だが、宿泊についているご飯が夜しかないのだ。朝にも注文はできるが、その場合は別途料金がいる。
洗って乾かしておいたカッターシャツを着て、その上に制服を着る。
露店で軽いものを適当に食うか。起きたてだからあんまりヘビーなものは食べたくない。
……と思って宿を出ようとしたら
「おい、今日の分の宿泊費を払ってくれ」
と言われた。
「呼んでも起きなかったから、もう一泊するもんだと思ってた」
「ああ、それはすいません」
内心ふざけんな!起こさなきゃ『起こした』って言わないんだよ!とちゃんと起こしてくれなかった母親へのグチのようなものをこぼしたが、口には出さなかった。
うん、これは俺が悪い。
もったいなかったので、料金を払ったあと宿で無料の夜飯を食べた。思わぬ出費だった。
外へ出ると、夜の涼しい空気が体をなでた。外はもう昨日と変わらず冒険者の酒盛りによってお祭り騒ぎだ。寝る前と寝た後の光景が変わらんもんだから、本当に寝ていたのかと思ってしまう。そんなバカな……俺は本当に世界をお置き去りにしたというのか……?
詰まらない冗談はさておき、もう露店の半分は閉まり、空いているのはジャンクフードの店だけだった。杖とか剣とか眺めるのが楽しみだっただけにがっかりだ。
興行団なのか、大通りではサーカス団っぽい連中たちが曲芸をしていた。火の玉を操ってお手玉をしたり、口から炎を出したりしている。あれは、火の魔術だろうか。
獣人は人間に比べて身のこなしが非常にいい。大きな玉を三つ積み上げた上で逆立ちとか、凄すぎるだろ。
火が鮮やかに舞い、人々の歓声によってまた人が集まっていく。この場だけ、夜が削り取られたようだった。
本当に、異世界に来てしまったのだなあと思う。
もしかしたら出来すぎた夢なんじゃないかと思っていたが、もうさすがに疑う余地はあるまい。ここは異世界だ。
いや、まだ信じ切ったわけではないが、ここからは『俺は異世界に来た』という前提で行動を起こす。もう中途半端な考えではない。
よし、行くか。
魔法の勉強だ。三十歳に先駆けて、本物の魔法使いになってやるぜ。
「ん?」
その場から離れようとすると、チョイチョイと袖を引っ張られた。後ろを振り向くと、あんれまあ可愛らしい女の子がニパーっと笑っている。
だめだぜ、嬢ちゃん。俺を口説くのならもう一回り年を取ってから出直しな……。
「見物料、ちょうだい!」
俺も罪な男だぜ、とかなんとか思っていると、少女は帽子をひっくり返して金を請求してきた。どうやら彼女はサーカスの一員のようだった。
「ああ、ちょっと待ってね」
よく考えるまでもなく、ただ通りすがって見ただけなのに見物料を取られるのは詐欺に等しいが、これも風情というやつだ。なにも大金を取ろうってわけじゃない。
こういうのは気持ちだけでいいのだ。
俺は安らかな気持ちで銅貨を一枚入れると、少女は目を輝かせた。今日が初めてのお仕事なのだろうか。そんなことを考えると微笑ましい。
「あとこれ、君へのチップだ」
そういって、銅貨がもう無かったので大銅貨を一枚握らせる。
「わ、わ」
少女はネコミミを激しく動かして嬉しさを表現していた。頭を撫でてやると、また陽気に笑って向こうの方へと走って行った。
俺はもちろんロリコンなどではないが、ああいうのを見るとやはり父性が沸き起こるのはいかんせんともしがたい。子どもは良い。下心のない少年少女は、いつだって見る人を笑顔にして嫌なことを忘れさせるからな。
寝過ごしたことだってね。
もし俺が毎日ふて寝して過ごし、たまたま手に入れた力で君のチップを払ったんだよと言えば、彼女はどんな顔をするのだろう。その様子を鮮明に想像するとアブナイ感覚で背筋がぞくりとした。
やっぱり幼女は最高だぜ!
***
この街は中心に行くにつれて風景がより文化的へとなっていく。
外側――いわゆる平民街は木造の家や藁と土で作られたボロ家などが主流だったが、真ん中はレンガや加工された石で造られたお洒落な家々が並び立つ。道路も舗装されていた。
道端には街灯が設置され、雑踏の服装は上流階級のソレへと移り変わる。
コッチにも冒険者はいるが、ほぼ全員が玄人っぽかった。平民街の初心者のように目がギラギラしていることもなく、静かに装備を物色している。
気になってそっと装飾品の値札を覗いてみると、目玉が飛び出るほど高かった。半年分の宿泊費じゃねえか。
デルタの家は、貴族街の中でも中心部に位置していた。庭付きの豪邸である。俺とは天と地ほどの差だね、羨ましい。
見てみるとなるほど、確かにここでは騒げまい。閑静な住宅街だし、いたるところに警邏兵がいる。ここで叫び声でもあげようものなら一瞬ですっ飛んでくるだろう。
なんとなく制服を正して、ドアの前に立つ。
日本人の性でインターホンを探そうとして、すぐに扉の中央に獅子を模したドアノッカーがあることに気が付いた。それを軽くたたいて、十秒ほど。
内側から扉が開けられると、三十路くらいのメイドさんが迎え入れてくれた。
「あら、どちら様でいらっしゃいましょうか?」
礼儀正しく一礼されたので、こちらも一礼してから答える。
「ええと、デルタさんから今日来るようにと言われたグレンという者なんですが」
どうやらちゃんと話は通してくれていたらしい。合点がいったようにメイドは朗らかに笑みを湛えた。
「グレン・フォルス様ですね。お話は伺っております」
案内されるまま中へ入っていく。
「まだ旦那様が返ってこられるには時間がありますので、それまでお茶でもいかがでしょうか」
生涯でこんな立派なお屋敷に入るとは夢にも思わなかった。家の中なのに土足という所に新鮮味を感じる。
「それはぜひとも、といいたいんですが。
……できれば魔術の勉強をしたいので、それ用の本があるところへ案内してもらってもいいですかね。
ああ、デルタさんからの許可は貰っています」
「承知しました。ではこちらへ」
しかし、どうしてこう金持ちは無駄に部屋を多く作るのだろうか。ざっと目を通しただけでも三十部屋はある。それだけ客人が来るということか。それとも見栄のためか。どちらにしても大変だ、庶民にはわからんね。
書室には本がびっしりとあった。俺も結構持っている方だと思っていたが、その五倍はある。といってもほとんど漫画だけどな。
この世界で本は高価なものだというのに、すごいものだ。
「それでは、紅茶を入れてきますね。どうかごゆるりと」
「これは丁寧に、ありがとうございます」
そういえば最近敬語を使ってばっかりだな。慣れない環境のせいでどうにも肩肘を張ってしまう。同級生にはもっとぶっきらぼうな言い方なんだが、あいにく周りに年上か恩人しかいないもんだからな。
まあ敬語は良いもんだ。目上の人にヘンな口を利かなくて済むし、相手の機嫌は損なわれない。win―winの関係だ。
紙の匂いというのは中々に強烈で、室内の羊皮紙にインクが溶け込んだような透き通った香りが鼻孔をくすぐった。古本の匂いというよりも、装丁に使われているなめし皮の効果か、森林にいるかのような空気だ。
本棚に並べられた本を適当に抜き取る。表紙には相変わらずわけわからん文字と、幾何学的な魔法陣が描かれていた。おお、いいね。魔術っぽいよこれ。
開けてパラパラとめくる。うわ、びっしりと横書きで文字が書き連ねられていて全然読めん。
……ん?
「――あ!」
いま気づいた!俺文字読めねえじゃねえか!
逆になぜ気づかなかったのだろう、完全に失念していた。ここは異世界なんだから、文字を書けないと同じように文字が読めないのは当然だ。なぜか会話はできるが。
足元が崩れ落ちていく感覚。
文字が読めない。それが意味するのは、俺は何も学ぶことができないということだ。
情弱乙。
その三文字が脳裏に浮かぶ。
「いやいやまてまて、落ち着けグレン・フォルス。
一旦落ち着くんだ。どこまでもクールに、そしてクレバーに事態を解決してやろうぜ。
こういうときはなんかのキーアイテムがいるんだってゲームで散々学んだじゃねえか。思考停止が一番だめだ」
魔法――いや、魔術か。魔術が学べない。いや、学べないってことは無いのか。文字が読めなくたって会話はできるのだから、人に習えばいい。歴史なんかの情報もそれと同じだ。人という字は支え合って出来ているのだから、誰か助けてくれるさ。ああ、でもここの文字じゃ支え合ってない。ここに3年B組はないのだ。もう終わりだ。
「ちくしょう、文字が読めないことがこんなに不便だとは……!」
情報を得るには、ある程度纏まりがついて客観的に述べられた無機質な情報の羅列である本の方が断然に優れている。
俺はある限られた情報を人づてで集めなければいけない労力の大変さをよく知っている。ましてやそれが一単語の意味なんかなら簡単だが、俺が知りたいのは常識全部だ。
そんなものをわざわざ懇切丁寧に教えてくれる奴なんていない。
メイドに頼むか?駄目だな。一日二日の問題じゃないんだ。彼女にも仕事がある。それをないがしろにさせてはデルタにまで迷惑がかかってしまう。
現実的な妥協案としては、迷宮で金を稼いで依頼としてギルドに頼むことだな。
もちろん、人を雇うなんて経験は無い。どれくらい金がかかるのだろう。
「まあでも、魔術とかは人に習った方が早いのか……?」
今思えば、魔力の出し方なんてデルタの独特な感覚を教えてもらったからできたようなものだ。魔術も独学では難しいのかもしれない。
「どこの世界でも金に悩むのは一緒か……」
うなだれて、魔術書っぽい本を戻す。ちょうどそのときにメイドが帰ってきた。
「あら、どうかなされました?」
「いえ……。ただ、想像と現実とのカルチャーショックに打ちのめされてしまいまして」
諦めた声色の俺に、メイドは首を傾げた。
「紅茶です。新しい葉が入ったばかりだったので、お口に合うと思いますよ」
「ありがとうございます……」
少し飲むと、本当に紅茶の味わいがした。異世界で味わう地球の味に、まだ二日しかたっていないというのになんだか懐かしくなってしまった。
しかし味は微妙だ。なんか、葉っぱの味が抜けきっていない。
何とも失礼なことを考えながらありがたく飲む。するとメイドが思い出したように言った。
「そういえば、旦那様からグレン様へ言伝を預かっております」
「はあ、なんでしょう」
「『本を読むときは、机の眼鏡をかけて読むといい』と」
自分が腰を下ろした机を見ると、確かに眼鏡が置いてあった。
眼鏡かけろっていわれてもな。一応視力は良いつもりなんだが。
メイドはまた優雅に一礼して出ていった。
「これ度とか入ってんのか?」
よくわからないまま、紅茶をすすって眼鏡を取ってみる。黒いフレームに透き通ったガラス。なんてことない、ただの眼鏡だ。
「――ん?」
いや、違う。
これは魔道具だ。
よく見てみると、フレームに変な模様が刻んである。
「おいおい、これはまさか……ほん○くこんにゃくだというのか?」
よくよく見てみれば、こんにゃくに見えないこともない。というか、こんにゃくに近い気がする。主に色らへんが。
そんな、まさかここは二十一世紀だったっていうのか。青色の猫型ロボットの代わりに獣人たちが四次元ポケットを携帯してるっていうのか。
ガッデム。俺は酷い思い違いをしていた。俺は異世界ではなく、未来に来ていたっていうのか。なら今からやるべきことは一つだ。今すぐ俺の子孫を探しに行って、爆上がりする株なんかを教えてもらわなければ。
俺が魔法使いつらぬいて末代とかだったら詰んでるな。
「装着!」
悩んでいた問題がすべて解決されたカタルシスのままに眼鏡をつける。いまなら空だって飛べそうな気がする。
素早く同じ本を取り、適当なページを開けてみる。
おお!なんということだ!
さっきまではすべての文字が中二病患者が自作した自作言語のようだったというのに!
この眼鏡をつけた途端にあら不思議――
「――やっぱり全然読めねえじゃねえか!」
読めないものは読めないままだった。
「あのオッサン、まさか嫌がらせじゃねえだろうな……」
仕返しにこの眼鏡かっぱらっていってやろうか。嗜好品だし、買いたたかれるということにはなるまい。インガオーホー!
「いや、まてよ。これがもし魔道具なら……」
すちゃり、と再び装備。
眼鏡に向けて、魔力を流そうとしてみる。
「むっぐ、ぬく……!」
だがスムーズにいかない。
イメージ、想像力を働かせるんだ。
血管が眼鏡につながったような感じで、そこに無理やり血を流し込む――!
直後、確かに何かが吸われる感覚があった。同時にフレーム部分が淡い光を放つ。光はすぐに落ち着いた。
「よ、読める……読めるぞ!」
すると、嫌味のように密集していたミミズ文字がなぜか理解できた。やはりこれは魔道具の一種だったのだ。
「でもなんか気持ち悪いなコレ……」
だがもちろん、本に羅列した文字が日本語に変換されたわけではない。言葉にしがたいが、
頭の中でパズルを無理やりはめられ、強制的に意味を合致させられているようだ。
でも、読める。これはとんでもない進歩だ。
どういうカラクリなのだろう。凄すぎるだろ、これ。これがあればどんな言語でも解読できることになるじゃないか。
「つーか、冗談でも盗もうと考えた俺の神経がアホすぎる」
百円のものを盗んでも大したことじゃないと思ってしまうのと、一億円のものを盗むと死刑確定コースレベルの大罪なんじゃないかって思ってしまうことの不思議さよの。どっちも罪の重さは変わらんというのに。
眼鏡は充電式のようで、常に魔力を流し続ける必要はなかった。魔力を練るのはまだ慣れていないので非常に助かる。
「なになに、魔術大全とな」
やはりこれは魔術の本だったか。本物の魔術を扱う世界でもこういう陣が描かれるんだな。それならば、いつか地球の頭がちょっとアレな人たちが魔術を使える日が来るのかもしれない。
初版と書いてある。それなりに古いもののようだ。
えーと、『魔術は全種族の体に巡る魔力を用い、この世の理を操作、または理から外れる術のことである。』……難しいな。
そこからは魔術の生い立ちとか誰それとかいう権威によってこの本が書かれたかとか、そんな感じのが長ったらしく綴ってあった。
要約すると、この世界には精霊と呼ばれる存在がいて、それに魔力という対価を払い、呪文に応じて世界に働きかけて様々な現象を起こすものらしい。
簡単に言えば、
『ドラ○も~ん、どら焼きあげるから言うこと聞いてよ!』
『う~ふ~ふ~、火炎放射~』
みたいなかんじか。
本はそこそこ分厚く、更に文字が隙間なく書かれているのでこれを全部読まなくてはならないのかと思うと辟易するが、いまのところは初級編だけ読んでおけばいいだろう。
まだ魔術を使ってすらないのに無理に知識を蓄える理由もない。
それに、魔術大全と銘を掲げているものの、その途中では様々な自然現象への注釈もあった。前後の分を読み解くに、混合魔術では天気や地形を操るものもあるからだろう。
どうも詠唱ひとつで雨ザーザー、雷ゴロゴロマグマどっかーんとはいかないようだ。ちょっと残念。
改めて文の最初あたりから見て、必要そうなとこだけをピックアップして読んでいく。ここらでは魔術の中身ではなく、外側の説明だ。
・魔術の適正について。
この世界では、いわゆる魔術の適正。つまり人によって一定の属性しか使えないということはない。魔力さえあれば、どんな属性、規模の魔術だって扱える。
二重属性適合者なんて二つ名を想像してしまうのは仕方ない事だと思う。
・魔力量について。
魔力量は、幼年期から成長と共に徐々に増え始め、十二歳程度でストップするとのこと。だからといって幼年期に特訓すれば限界値が伸びるわけでもなく、年を重ねるごとに個体の限界値に近づいていくだけのことのようだ。
だが魔力量の限界値というものの仕組みはいまだ解明されておらず、その人に起きた出来事によって爆発的に増えたりすることがあるそう。二百年前、徴兵に駆り出されたただの若者が、初陣で死にかけたところ急に強くなり、二千の兵を一人で皆殺しにして、将軍首を取って凱旋してきたらしい。
その兵士のクラスは剣士だったが、魔力というのはどうも魔術師だけが恩恵を賜るというわけでなく、身体能力をブーストしてくれる機能もあるとのこと。これは俺の身に実際に起きたからわかりやすいな。
魔術師における『魔術』の代わりとして、剣士や接近職の熟練者たちは『闘気』と呼ばれる力を使いこなして戦うそうだ。超強そう(小並感)。
もっと闘気について知りたかったが、これは魔術の本なのでそれ以上は書いてなかった。あくまで魔力の説明だ。
・属性について。
これはゲームで予習していたのですんなり理解できた。
地水火風の四元素を基本として、それを組み合わせた大量の混合魔術がある。ちなみに氷は火の系統のようだ。温度関係は大雑把に火に括られている。ちなみに雷は水属性といった具合だ。
そのほかに、属性ではないが種類として治癒魔術と召喚魔術がある。
治癒魔術は擦り傷を治すものから、無くなった腕を生やすものまであるらしい。とんでもないな。まるでトカゲのしっぽだ。
また、傷を治すだけでなく解毒や病を治す術もあるようだ。この世界では医者いらずだな。
召喚魔術は名前の通り、世界のどこかから魔物や精霊を呼び出して使役する魔術だ。
だが自分よりも強い魔物は召喚するのに様々な条件があるし、呼び出しても制御できなければ殺されたりと、デメリットが多そうだ。使い手も少なく、精霊と契約して戦う精霊術師とはまた違うくくりらしい。
・魔術の発動について。
魔術には、主に四つの発動の仕方がある。
呪文を唱えて発動させる『詠唱』と、キーワードを唱えることもなく魔術を発生させる『無詠唱』。
それとあらかじめ紙に専用のインクを使って魔術陣を書いておき、魔力を流し込めば発動する『スクロール』と、迷宮などから稀に出土したり、魔具製作者によって作られる『魔道具』による発動。――魔道具の使用法については後述する。
無詠唱だが、これは誰もができるというわけではなく、相性の良い属性しかできなかったり、才能のある奴しかできないと書いてある。
無詠唱……憧れるが、俺にはできないだろうな。こういった才能が関わってくることが俺にできたことは一度もない。こういうのはどうせ、イケメンや主人公体質のやつにしかできないんだよ。
いや、まて。
俺はこの世界ではグレン・フォルスだ。地球のころの俺とは違う。
調子に乗るわけではないが、現に俺は戦闘の素質がある。歴戦のギルドマスターに一目で気に入られてしまうくらい、だ。迷宮の入り口の金髪イケメン君を見ろ。あの子は俺が初めての戦闘で快勝した一階層でだってボコボコにされてしまっているのだ。
俺には少なからず……強い奴の中に入れば埋もれてしまうくらいの小ささでも、才能がある。
無詠唱の件も初めから否定する必要はない。もう少し自信を持っていこう。そういう気持ちは、きっと大切なのだ。
・魔道具について。
魔道具には二種類ある。
一つはスクロールのように、魔道具本体に魔力を流せば瞬時に魔術が発動するもの。これは魔道具が『魔術陣』の役割を果たしているということだな。
例を挙げれば、いま俺が使っているこの翻訳メガネだ。
スクロールと違う点は、一度きりの使い捨てじゃないこと。壊れさえしなければ、魔力を流せば無限に使用できる。ただし魔道具は数が少ないので、べらぼうに高い。
もう一つは、魔力を流す必要がなく、空気中に漂う魔力の元『マナ』を吸い込んで発動するもの。
利点は魔力が少ない者、魔術に精通していない素人でも魔道具に組み込まれた魔術を使用することができる。
デメリットは、マナを使うため連射ができず、一度使えばクールタイムをおいてしか再び使用することができない。
例を挙げればきのう市場で見た、無限に泡が出るタワシだな。
無詠唱が希少な世の中では、詠唱をせずに魔術を発動できるという点は非常に有用だ。たしかに命をかけた戦闘中に、詠唱をして魔力を練るという作業は命取りだろうな。
「……ここからは詠唱か」
見てみると、黒歴史が刺激されそうなワードが山のように書かれている。
……これを全部覚えるのか。
初級だと短いが、終盤の方を見てみると軽く二百文字はある。これを戦闘中に唱えるのは無理だな。これは後方支援のとき専用にしよう。いや、まだ使えるとは決まったわけではないのだが。
俺は魔力量は人並み以上にあるようなので、あまり心配はしていない。
取りあえず、俺はデルタが来るまで詠唱を覚え続けた。
明日にでも実践で使ってみよう。これで戦闘の幅が広がる。
俺は、魔術の理論について少しかしこくなった。