第一章2 『間抜けな脱出劇』
頬に触れる地面の冷たさで目を覚ました。
辺りは仄暗い。
「………うひゃっ!?」
強烈な眠気のせいでまぶたが重く、二度寝しようとしたところ顔に水滴が落ちてせいで一気に意識が覚醒した。
体を起こして、寝ぼけ眼であたりを見回す。
「んだココ……洞窟?」
目覚めた場所は、そこそこ広い空間だった。壁に沿って設置されたお粗末な電灯のおかげで、状況が理解できる。
取り囲むのは年季を感じさせる岩などが土で固められた壁。電灯が壁に埋まる鉱石に反射して鈍い光を放っている。
なんで俺がこんなとこに。いや、たしか目を覚ますまえに、変な空間にいたような……。
思い出した。死んだと思ったら俺は白い空間にいて、そこで女神とやらと少し話をしたんだ。
何を話したんだっけか。なぜか、記憶を攫ってみるがうまくでてこない。『ここはいてはいけない場所だ』とか言ってたような気がする。そのせいだろうか。
取りあえず、広間の真ん中では居心地が悪く、後ろが心配だったので壁に寄り掛かる。
状況を確認できないのでは、何をすればいいのかもわからん。サバイバル術とか習っておけばよかった。
ここはまず、どこなのだろうか。異世界に召喚されたということは覚えている。まだ正直実感はわいてないし、信じてもいないがそれは保留だ。
まず、ここは俺の知らない居場所で、これからどこに向かえばいいのかもわからない。広間から道が二つあるが、どちらが入り口で出口かわからない。そもそも、出口があるのだろうか……。
なんだか考えれば考えるほどに絶望的な気がしないでもないが、こうやって一つ一つ状況を整理していこう。塵も積もれば何とやらだ。
薄い光を頼りに、顔を触ったり、五体満足か、けがはしていないかを触診。無傷のようだ。服は学校指定の制服。学校帰りに車に轢かれたんだっけか。
「いってえ……!」
事故のことを思い出そうとすると、頭痛が走った。記憶があやふやで、当時の光景を思い浮かべようとしてもモヤがかかってしまう。
まあ、今のところはそれほど重要な事でもない気がする。特に何も忘れてないし、覚えていたとしてあまり意味は無いだろう。
それよりも、ここから脱出しなければ。
ここでは明らかに食糧なんかを調達できそうにない。今のところは我慢できるが、喉が渇いてるし、腹も減ってる。このままここでウダウダ考えていたら、そのまま死んでいきそうだ。
現状確認は動きつつ行うことにしよう。空腹は結構な死活問題だ。
立ち上がって、二つの道に視線を移す。
果たして、どちらが出口なのか。
取りあえず、左の道の方を見てみることにした。ここで考えなしに動くのは流石にバカすぎる。もしかしたら、先人たちの目印とかがついてるかもしれないし。
小さな期待を抱いて近づいたが、別段なにかがあるわけでもなかった。広間と同じように、この場所はどこまでかはわからないが開拓されているらしく、壁にランタンのようなものがぶら下げられ、それが明かりの役目を果たしている。
道はかなり長く続き、一本道なのかと思ったが横穴も多数見受けられた。
……横穴も覗いておこうか。
選択肢は、多い方が良い。そんな軽い気持ちでの行動だったが、すぐに異変を察知して立ち止まった。
「――誰か、いるのか?」
横穴から、生物の気配がするのだ。
荒い息と、特有の変な臭い。これは……獣臭さだろうか。
俺の疑問の声に、返事は無い。それどころか、壁から赤く光る眼がこちらを覗き出した。
もしかしなくても、あれはオオカミではなかろうか。犬のようないくらか可愛さを感じさせる目ではない、突き刺すような双眸がじっと見つめてきている。
あれ?もしかして俺、食べられそう?
止めていた足を、ゆっくりと後ずさりさせた。こういうときは刺激してはいけないと聞く。両手を必死に狼(?)に向け、どうにかそのままでいてくださいと懇願しながら広間に戻る。
「……ふぅ……ふっ……!」
心臓が爆発しそうだった。一歩間違えれば喰われる。その危機感が全身を抑えつけたように気持ち悪い硬直感が体を支配していた。
このまま、右の道を進もう。出口だろうが違おうが、今死ぬよりかはマシだ。
後ずさっていると、足に何かが当たった。カラーン、と乾いた音を立てながら転がっていく。
いきなりのことで、驚いたということもあった。音でオオカミを刺激してしまったという虚脱感もあった。俺はその蹴とばしたモノの正体を、反射的に見てしまった。
「――は」
その瞬間、硬直する。
人の頭蓋骨だった。
悲鳴を上げようとする間もなく、二匹の狼が襲い掛かろうと走ってきた。
驚愕に目を剥き、動こうとしても体が言うことを聞いてくれない一瞬を経験してから、みっともない悲鳴を上げて駆けだす。
「うぎゃぁぁぁあああああ!?」
足の血管がすべて切れるほどに力を込めて疾走する。一歩地面を蹴るたびに、遅かった足が加速していく。それはもう、ギュンギュンと。
異変は、すぐにわかった。
あまりにも景色が流れていくのが早い。まるで下り坂を自転車で降りているようだった。
風が体を思いきり打ちつけ、しかしそれを逆に切り裂いて進んでいく。加速は、止まりそうにない。
「お、い――おいおいおいおい!」
前方に、曲がり道を視認。そのときは二十メートルは離れていたが、すぐに壁が目の前に迫ってきた。当然曲がり切れるはずもなく、激突。
「ぶへっ!?」
カエルのようなポーズで壁に体当たりして、地面に転がった。いくらか表面の砂が崩れたらしく、石がボロボロと落ちてきた。
全身を鈍器で殴られたような鈍痛が響き渡る。視界がもうろうとしていたが、すぐに後ろを振り返った。すると、狼はまだ遠くの方を走って俺を追駆してきていた。
壁にぶつかったことで俺はさらにパニックになり、何も考えられないまま逃走を続行。今度は目を凝らして道なりを確認しながら洞窟を走り抜ける。狼とはさらに距離が離れていた。
この洞窟はいくつかの広場を道でつないでいる構造らしく、また広場が見えてきた。そこには、五匹近くの狼がいる。
元々、俺は狼たちの狩りの対象だったらしい。だから最初狼はいきなり追いかけるようなことをせずに道をふさいでから、挟み撃ちの準備が整ってから追いかけてきたのだ。
前方の狼の群れは、とんでもない速さで走ってくる俺に明らかにたじろいでいた。
戦うか?いや、無理。ぜったい無理。怖いし、武器もないのにあんな目を光らせた獣を相手にするなんてごめんだ。なんで足が速いのかは知らんが、それに比例して強くなっているなんて確証もない力で戦えるわけがない。
――ならもう、このまま突っ切ってやるしかない。
「つーか、止まれねえ……!」
そっちが本音だった。
「どっけえええ――!」
あらん限り喉を震わせ吶喊。包囲網を完成させないまま警戒していた狼たちの頭上を飛び越える。
「う、おお……!」
作戦は成功。うまく群れを飛び越えて、一気に広場の終わりまで飛ぶことができた。正直、予想より飛べすぎてめちゃくちゃ怖い。
自分なりに華麗なジャンプだったと褒めてやりたいが、着地はお粗末だった。ゴロゴロと転がりながら何とか勢いを殺して、また道なりに走っていく。
後ろを振り向くと、狼たちは諦めたようで立ち止まって呆然と俺を見送っていた。
***
あの後、狼が完全に見えなくなってから体力切れで徒歩にシフトチェンジした俺は、数十分後に洞窟の終わりを見つけた。
眩しい朝日が俺を迎えてくれている。洞窟は薄暗かったし、ずっと一人で心細かったので素直に嬉しい。疲労がたまっていたが、心がはやるままに走って、階段を上り、出口を出た。
するとそこには、見たことのない光景が広がっていた。
街があったのだ。
どうやら洞窟はこの街の管理下として存在しているらしい。周りは石床で補強されていた。
石床からはレンガで作られた街の大通りにつながっていて、そこには人々が喧騒を作っていた。中世――いや、ザ・異世界といった街並みだ。
歩く人々は実に様々で、重々しい鎧で完全武装している者もいれば、シーフのようなほぼ裸で歩いているネコミミ女までいる。
現在は真昼間らしく、太陽が真上から照らしていた。
あまりの情報量にあっけにとられていると、横から声がかかった。
「あれ……?お前みたいなヤツ、今日迷宮に入れたっけ。今日は一人しか入れてないと思うんだけど……」
見てみると、ソイツは安っぽい軽装な鎧をまとっていた。腰に剣をぶら下げているのを見て頬がヒクついたが、なんだかゲームっぽかったのでそれほど恐怖はなかった。
街中で斬りかかってくるやつなんて普通に考えて居ないしね。
「おわっ」
そしてよく見ると、隣で壁にへたり込んでるヤツがいた。金髪でずいぶんとイケメンだが、脂汗を大量にかいているうえに満身創痍だ。
「ああ、ちなみにそいつがもう一人のやつね。なんか騎士見習いだったんだけど、弱いからって追い出されたんだとさ」
笑われた青年は、気怠そうに顔を上げて反論する。
「違う、僕は弱いんじゃない……弱くなったんだ!」
弱くなった?なんだそりゃ。新手の言い訳だとしたら、もう少しマシなものはなかったのだろうか。見てみろよ、兵士も半笑いだぞ。なんかイジメの気分になってくるからやめろよな。
「弱いんなら同じだろ。つーか騎士がウルフなんかに負けないだろ普通」
「うう、ちくしょう……!」
それだけ言って力尽きたらしく、青い顔をして倒れ込んだ。まずいんじゃないかとも思ったが、これもいつものやり取りらしい。兵士は自前らしい布団をかけてやっていた。なんだ、優しい奴じゃねえか。
なんだかよくわからん奴に邪魔をされたが、視線を青年から兵士に移す。
兵士っぽいやつは下から上まで俺を見てから言った。
「変な服……。礼装でもないし、泥だらけだし……貴族じゃないよな?」
どうやら言葉は通じるらしい。そこら辺はご都合主義だな。……まあ通じなかったらハードモードすぎるので文句なんかないけど。
「おい、聞いてる?」
「え、ああ。聞いてます、聞いてます。僕は貴族なんかじゃないですよ」
兵士はなんだか安心した体だった。
「良かった。ビックリして思わずすげえ偉そうな口きいちゃったよ」
なるほど、まあ偉い人にこんな態度取ってたらいろいろ問題だわな。
「まあこんな所に来んだから新人か。んで、ギルドカード持ってるよね。あのーなんだ。入るときに見せたやつ。あれみせて。多分オレきみの記録し忘れてるわ。どうせばれないけど仕事だから」
こいつ、とんでもなく適当だな。それでいいのかよ。
ともあれ、ギルドカードなんてものは俺は持ってない。しかしそれを正直に言っては面倒くさいことになりそうなので、口八丁でごまかすことにした。こいつなら大丈夫そうだし。
「ギルドカードなんですけど、実は中でなくしちゃったんですよ。なんか狼に襲われちゃって。だからこんな泥だらけで、荷物無しなんです」
一瞬兵士は怪訝そうな顔をしたが、すぐに事情は汲めたようで「ああそっかー。生きててよかったなあ」と軽く返事をしてきた。つーか、コイツ本気で軽いな。雇い主見つけたらチクってやろうか。
なんだかそのまま見逃してもらえそうな雰囲気だったが、兵士はまだ話を終わらせなかった。
「お前も運悪いな」
「え?」
「なんか今日だけギルドマスターが来てさ、俺にちゃんとやれよって注意してきたんだよ。その手前見逃したのがばれて報酬ケチられるのも勘弁なんで、名前教えてくれや。あ、偽名とかなしな。今日中に再発行して俺の所もう一回来てもらうから」
なんと間が悪い。歯噛みするのがわかったのか、兵士は苦笑いした。
「大丈夫だって、無くすヤツ結構いるし、こんなんで罰金とかないから安心しろ」
「ああ、それならよかった……」
金なんて、ここでは日本の通貨は使えないはずだ。初日から借金とか虚しすぎる。
名前は、女神が『ゲーム』がどうちゃらとか言ってたことを思い出したので、昔好きだったゲームキャラから取る事にした。
「――俺の名前は、グレン・フォルスです」
「へいへい、グレンね。じゃあ今からギルド行って、もっかいカード作ってから来てな」
「わかりました。ところで、ギルドってどこでしょう」
「はあ?ギルドも知らねえのかよ」
「なにぶん田舎者なもんで……」
「いやまあ、仕事だからいいんだけどさ……」
兜の中であきれ顔を作っているであろう兵士は、意外と丁寧にギルドの場所を教えてくれた。
異世界生活初日からなんかつまずいている気がするが、女神の言うことを信じてゲーム気分で気軽にやればいいさ。
取りあえずやるべき指針が決まった。ギルドに登録して、どうにかして宿代を稼ぐことだ。
明日は十二時に投稿します。