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君は花の雨

作者: 雨尾 秋人

 降りしきっている外の雨は僕の耳に柔らかな音を奏でながら、脳にへと侵入してきた。地をぽつぽつと突く無数の跳ねた音が幾度とくりかえされて僕の脳に一つの音楽として定着した。そのくりかえされる音の群れは僕の奥底から眠気を引き摺りだしてくるのだった。いささか瞼の頭に重みが佩びられ、気がつけばまどろんでいた。そのまどろみの中で、その薄暗く優しい闇のなかで、僕は雨に包み隠されてぼんやりと曖昧なものとなってしまった彼女を思い出した。また逢えるのだ。まどろみの向こう側に、彼女は花の雨を降らしながら僕を待っていた。


 どうして秋という季節は、僕に寂寥の息をはかせてしまうのだろう。いなくなってしまった人のことを思い出させてしまうのだろう。秋の夜は僕にはいささか長すぎる。金色の丸い月が静かに僕に語りかけてくる。ほつれてもろい雲を携えた月は、僕にあの時代の恋を思い出させるのだ。

 放課後の校舎はいつも赤かった記憶がある。僕はそこでなにをしていただろうか。そうだ、本を読んでいた。その果実は手にとり、皮を丁寧に剥くと様々な活字があふれだしたんだ。それを瞳の中に垂れ流し、僕は静かにその描写の想像をした。白いはずの小説の紙は、夕日に赤く塗り替えられていた。それがなんの小説だったかも覚えていない。芥川龍之介かもしれないし、三島由紀夫だったかもしれない(当時僕はそういう系統を好んで読んでいた気がする。けれどそれを理解して読み解いていたのかどうかは定かではない)。

 あの時はまだ中学生だった。それだけは断言できる。でも、それだけだった。中学生の僕は、一言で済ませば馬鹿だった。なにも理解しなかったし、理解する気もなかった。夕日とは違って、青かった。へたも取れていないような未熟だった。あれから何年経ったのだろう? 数えるのも億劫だった。中学生のときから僕は、なにひとつ得ていないし忘れていないのだ。あの放課後のことも、根拠の存在しない劣等感も、彼女の存在も。僕はまだ影と共にそれらを引き摺って歩いていた。

 彼女とはじめて出逢ったのも、季節は秋だった。秋の放課後の中学校だった。赤く熟した気持ち悪い空の下の図書室だった。僕は彼女を見つめていて、彼女は僕を見つめていた。

 どうして、僕はこうなってしまったんだろう。不思議だった。もう逢えない人のことを、もう僕の前にはいない人のことを、考えたって仕方ないのに。僕が馬鹿だったから、彼女との距離はまるで遠くなったのだ。それをいつまでも後悔している。何年と経過したいまでも苦しんでいる。

 夢のなかで、君は本を読んでいるようだった。僕はその彼女の様子を遠くから見つめることしかできなかった。彼女の容姿は見えなかった。降りしきる雨に覆われて、ぼんやりとしか見えなかった。それでも僕はよかった。そこに彼女がいるのなら、それだけでよかった。すべて、僕が馬鹿だったからこうなったんだ。中学生のときの僕が馬鹿だったから。

 謝ることもできないけれど、今こうして夢で会えるのなら、それでいい。ゆっくりと、僕を抱いていたまどろみが後退していく。目が覚めることに、恐怖する。今の自分の様をみて、恐怖する。

 どれだけのものを僕は失っただろう。どうして僕は気づかなかったんだろう。馬鹿だったからだ。今になって、惜しい。戻れないもどかしさが静謐な部屋のなかで積もっていった。秋の夜はいささか長すぎる。月が静かに僕に語りかけてくるようだ。窓から滑りこんできた風も、冷えを佩びはじめた空気も。

 窓の遠くから僅かに青い色彩がみえてきた。この夜も、明ける。また朝を迎えるのだ。雨はとっくに止んでいた。庭に咲いていたコスモスが、夜明けの風に揺れている。規則ただしく揺れて、風の糸をみつめている。夢で出てくる君も、あのコスモスの花のようだった。そして君を隠してしまうやわらかな雨粒たちも、あのコスモスの花のようだ。

 僕にとって、君は花の雨だ。花の雨が、僕の古びた青春の記憶をいつまでも引き摺らせている。そして僕はおもむろに、自分の手首をみた。


「ユリイカ」という作品のその後、として書いてありますが、どうやらこれは自分自身の未来を想像して書いているのかもしれない。そんな気がするので普通の短編としてもあげさせてもらいます。

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