ケムリ
立見はいつも通り出勤したものの、昨日の酒からくる頭痛と、名前も思い出せない女性のことで仕事に身が入らなかった。いつもならあり得ないミスをしてしまう。上司は怒るどころか、珍しい立見のミスに心配をしてくれた。 立見は私情を仕事に影響させてしまう、不甲斐ない自分に悲しくなった。
いつもより早めに休憩をもらい、喫煙所に向かう。タバコを口にくわえ、ため息をするように白い煙を吐いた。
そこに同僚の佐藤秀が入ってきた。何食わぬ顔で、立見の隣に並ぶ。立見は何か知らぬうしろめたさを抱き、顔を下に向けた。
「ライターある?」
「あ、あぁ」
立見は少し不審に思いながら、ライターを渡す。普通、喫煙所にライターを忘れるだろうか。まるで、喫煙所にいる立見をあてにしていたような佐藤の行動。佐藤は気遣いができる人物だ。もしかして、心配してきてくれたのかもしれないと、立見は思った。
佐藤は「ありがと」と短く言って、タバコに火をつけた。ライターが立見に戻ると、しばらく沈黙が続いた。ガラス張りの喫煙所の前を、数人の社員が通り過ぎていく。女性社員はこちらをチラチラと見ていった。立見は隣の佐藤を横目で見た。相変わらず、整った顔をしている。本人は女性に気になられていることも知らず、しれっと煙をふかしていた。
「今日で、タバコ終わりなんだよなー」
佐藤は悔しそうに、煙草を灰皿に強く押し付けた。
「何で?」
「嫁さん。前から言われてたんだけどさ、昨日喧嘩しちゃって。もう降参した」
「お前、またなのか…。そのうち離婚するんじゃないか?」
「結婚もしてないやつに言われたかないね」
佐藤の冗談に、立見は苦笑いした。
「昨日、お袋に電話で言われたよ。弟は家族連れて、正月に帰ってくるのよって」
立見は灰皿にタバコの燃えカスを落とす。佐藤はおかしそうに笑っていた。
「今日は久しぶりに飲むかー? たまには愚痴った方がいいぞ」
「愚痴りたいのは佐藤さんだろ。…ありがたいけど、やめとく」
「何でぇー。用事か?」
「まぁ、そんなところ……」
立見は顔を背け、タバコの火を消した。頭には、まだあの女性の顔が残り、モヤモヤは消えない。立見は、また女性に長時間待たれるのではないかと心配していたのだ。連絡先くらい聞けばよかったと、後悔した。
しかし自分から聞いたのでは、相手に無駄な期待をさせてしまう。あくまで、すれ違いが起きないための手段として連絡先がほしかった。今思うと、なぜ女性は好きと言っておきながら、立見の連絡先を聞かなかったのだろうか。
「……しばらくは、飲みに行かないことにするよ」
「まじか…」
2人は喫煙室を出た。