重い想い 立見吉喜
立見はいつもより1時間遅く、マンションに帰った。暗い部屋に電気を点けていく。時刻は10時半。立見は壁時計を見て、ため息をつく。時計の下にある電話機の赤いランプに気がついた。押すと、母親からの留守電が入っていた。「かけなおしてほしい」とのこと。立見はスーツを着たまま、受話器を握った。コールの4回目で母親が出る。変わらない声に、立見は安心した。
「もしもし、吉喜。何か用事?」
『用事って…。あんたが自分から電話してこないからでしょ?』
ため息をつく母親の後ろからは、テレビの音が聞こえてくる。母親は、父が最近耳が遠くなりだしたのだと、ぼやいてきた。日に日にテレビの音量が大きくなっているらしい。
『正月よ。いつ帰ってくるの?』
「仕事があるから、分からない」
『また…。有休使いなさいよ。侑矢は、孫と千恵美さん連れて帰ってくるのよ』
「………」
侑矢とは立見の2つ下の弟で、千恵美さんはその妻だ。2人の間には中1の娘がいる。立見は正直、この家族に会うのが嫌だった。子供が苦手というのもあるが、何よりも、自分の居心地の悪さを感じる。
弟は仕事はそこそこなものの、家族を手に入れ幸せに暮らしている。一方の兄は、仕事は順調。しかし何もない。あるのは空虚感だけ。
「考えとく……」
立見の返事に、母親は何も言わなくなった。そして、「ほなな」と似合いもしない関西弁で電話を切ったのだ。
立見はスーツを脱ぐと、小さな冷蔵庫から缶ビールを取り出した。テレビもつけずに静かに飲む。部屋には、ビールが喉を通る音が響いた。頭にはあの女性。名前すら思い出せなかった。覚えているのは、あの真っ直ぐ素直な目。
「夏…何とかだったんだけどな……」
立見は物覚えの悪さに嫌気がさした。20歳の女性には、まだまだ未来がある。他にいくらでも男なんて作れるし、これから夢に向かって勉強することもできる。
しかし、立見には先がなかった。気が付けば、もう結婚して子供がいてもおかしくない歳だ。だからと言って……。
「だめだ……。頭が………」
見ると、机には缶ビールが3本。酔いも回りはじめてきた。
時刻は11時半。これからご飯を食べて、風呂に入らないといけない。立見は重い腰を上げ、台所へと向かった。