きっかけ3
「………すまないけど、無理だ。好意を嬉しいとすら思わない」
男はやっと言葉を口にする。もうグラスの水は残っていない。喉はカラカラで気持ちが悪い。店内のききすぎた暖房が、余計に喉を刺激する。正直喋りたくなかった。必死で唾を飲み込んでいく。
「……歳の、せいですか」
「そうだね。ただ単に、君と俺とじゃ合わないってだけかも」
「憶測でモノは語らないことです。高校の担任だった先生の口癖…」
女性はハハっと笑うと、自分のグラスを手に取った。まだ半分も水が残っている。男は何も言わず、その様子を眺めた。
「でも、ちょっと悲しいな」
女性はグラスを置き、背もたれにもたれた。水を飲んで潤ったせいか、先ほどより女性の声が鋭くなっていた。
「好意すら伝わってないなんて」
女性のグラスも空になった。注文したオムライスもきれいにさらえてある。意外に品が良い。
男は椅子に掛けていたコートを着始めた。もう終わりにしようと思ったし、この話は終わったと思った。
「あなたは、どんな人を好きになるんですか?」
座ったまま、女性は聞く。
「君みたいに、俺のことを何も知らない人のことは好きにならない。俺だって、何も知らない人のことなんて、好きになれない」
「なら、あなたのことを教えて? 私も教える」
男はしばらく黙る。コートを着る間は女性の目を見なくて済むから、気が楽だった。
「…名前だけでもいい。今日はそれで帰ります」
「……立見吉喜」
「きれいな名前。私は夏生純香。近くの専門学校に通ってます。デザイン系」
立見がレシートを持って歩く後を、純香はちょこちょことついていく。立見の手からレシートをスッと抜いた。
「自分の分。払えます」
「ふっ…。払えます、か」
外に出ると、二人は寒さに身震いした。吐いた白い息が自分にかかる。風も吹いていた。
「俺は、自分のことを話すつもりはない」
純香は余裕の笑みを浮かべた。
「なら、立見さんが私のことを知ってください。『何も知らない人のことなんて、好きになれないよ』なら、私はその逆に賭けます」