積もる雪
「もう、いいです…!!」
純香は席を立つ。立見ににらみをきかせると、個室を飛び出していった。部屋には、純香の飲みかけのチューハイと、立見が残された。チューハイのグラスからは水滴が垂れ、テーブルを濡らしている。
立見は深く息を吸う。顔を下に向けて、息を吐いた。胃酸が喉に込み上げてきて、酸っぱい匂いが鼻を刺激した。
店内には、静かなクラシックが流れていた。立見はその柔らかなメロディーに耳を傾ける。しばらくしてから、席を立った。
純香は泣いていた。首にマフラーを強く巻き、雪の降る中一人でうずくまっていた。体に落ちる雪が、感情的になった心を冷やしていく。涙で濡れた手が凍える。純香は、このまま雪に埋もれてしまいたいと思った。そして、雪のように解けてしまいたい。
しかし肝心の雪が、純香の体に落ちなくなった。純香はそっと見上げてみる。そこには、茶色地に紺色のチェックがはいった折り畳み傘があった。純香と空を遮っている。柄の部分には、骨格のはっきりした細い手。
「……何で、分かったんですか…」
「こういう女性と付き合ったことがある。彼女は怒ると、必ず思い出の場所に籠った」
純香はあたりを見渡す。錆びた遊具が暗闇の中に佇んでいる。積もる雪が、余計に金属の冷たさを際立たせていた。街灯の青白い光が、公園を照らしている。
そうだ。ここは純香の思い出の場所。ベンチに座る純香に、立見が傘を差しだしていた。
「そうですよ。思い出の場所」
純香には、少し嬉しさがあった。前の彼女の話をされたことには腹が立つが、ここを思い出の場所と理解してくれたことは、素直に嬉しい。純香はたまらず顔を上げる。
「やっぱり私、立見さんが好きです……」
「うん。ありがとう」
立見は悲しそうに微笑んだ。
「…もう、やめてください。こんなことされてたら、私、ますます…。その気もないくせに……」
純香は、傘を持つ立見の手をつかむ。傘をそっと下ろさせた。純香の弱弱しい手の力に、立見は悲しくなる。
「…ごめん。でも、ほっとけないというのは本心だ。俺が君にしていることは、君が…そうだな……。小学生に接するのと同じようなものだ」
純香はその具体的な例えに、立見との距離を悟った。自分に置き換えると、小学生に告白されていることになる。さすがに無理だと、理解せざるを得なかった。
「じゃあ、私は何を好きになればいいんですか…」
「何でも好きになったらいいよ。まだ若いんだから、間違ったっていい」
「立見さんは、もう恋をしないんですか?」
「俺は、この歳で間違えるのが怖いから…」
「………弱い男の人って、大嫌い」
夜の公園には、白い雪が降り積もっていった。