提出物
トイレに籠ること1時間。
時刻は午前4時。
俺はため息をついた。
「ダメだ…出ねぇ。」
尿意を感じて起きた時は、出そうな予感があったんだがな…。
便座に座り、マンガを読んでるうちに、なくなっちまった。
会社に提出する『検便』。
提出期限は明日の朝まで。
まだ時間はあるさ。
しかし毎日快便のこの俺が、ここ2~3日、不思議と便秘になっちまった。
『検便』に合わせるように。
「もちっと、寝よ…」
俺は布団へ潜った。
時刻は午前7時。
会社へ行く前に、トイレに行ったが、ダメだった。
時間が無いときは、ダメだ。
諦めて家を出ようとして、検便容器を持っていく事を思いついた。
いいアイデアだ。
検便容器をポケットに忍ばせる。
時間は昼の12時半。
食後のコーヒーに煙草の一服。
これで来るはずだ。いつも来るんだから。
2本吸ったところで、何やらムズついて来たのでトイレへ行った。
トイレには先客がいた。
俺と同じかもしれない。
会社の男子トイレは、「大」が1つしかない。
別にピィ~ではないので、待てないわけではないが、便意が逃げちまう。
早くしてくれぃ。
とりあえず、小のほうを済ませる。
まだ出てこない。てか、何の音もしねぇ。
おい、出ないならそこに入ってるんじゃねーよ。俺はすぐにでも出そうなんだぞ。
ノックしてみる。
「コンコン」
「コン」
ノックが返ってきた。
ノックしても、慌ててペーパーを巻く様子もない。
ちくしょう。
バカみたいにドアの前に立ってる訳にもいかんので、仕事場へ戻る。
1時前、もういないだろう、とトイレへ行った。
確かにトイレは空いてたが、手荒い場に後輩のカワノがいた。
こいつだったんか。
トイレから何やら、カワノが粘ったらしい形跡の匂いがしてきた。
うげ。他人のは、くせぇ。
カワノは鼻歌なんぞ歌いながら、鏡を見て髪型を直している。
「先輩もっすか?」
カワノが話しかけてきた。
「おう」
と言うと、
「先輩、もし出ないようなら、僕のやつ、売ってあげますよ。」
とカワノは言ってニカッと笑った。
はあ?こいつバカか?
何でお前のを買わなきゃなんねーんだよ。
「いらねーよ」
と言うと、カワノはひゃひゃひゃと笑いながら出て行った。
俺の便意は完全に消えていた。
夜8時。
家に帰りついた俺は晩飯をガッツリ食った。
これからが本番さ。
やっぱ、落ち着けるとこで、やらんとな。
缶ビールを飲みほした。
腹はパンパンだ。
しかし、一向に出そうな感じはない。
午後11時。
TVを見ていたら、いつの間にか眠っちまった。
トイレに行くが、小しか出ない。
さっきより腹はパンパンしてなかったが、何日分もたまってるせいか、なんか苦しい。
どーなってんだぁ。
自分の腹を揉んでみる。
しかし、便をする事を忘れたみたいに、全く反応がない。
そや、風呂入ろう。
風呂の中で、マッサージでもして温めれば出るかもしれん。
風呂に浸かっていると、ほんのすこしだが、便意があった。
きたぁ!
俺はイソイソと風呂から出た。
さすがに濡れたままでは入れない。
頼むから、キープしとけよ、便意。
あたふたと体を拭いて、トイレへ。
おっと、検便容器。
スーツのポケットに入れっぱなし。
素っ裸で部屋を走り、脱いだ服を漁る。
検便容器を掴むと、トイレへ一目散。
しかし便座に座ったとたん、便意は消えた。
いや、出るはずだ。
すぐそこまで来てる。
俺は、ふんっと力を入れる。
だがどんなに力を入れても、押し出すことができない。
はぁ…何でだよ。
しばらく頑張ってみたが、風呂上がりの体が冷えて、ますます便意は遠退いて行った。
午前1時。
またトイレに籠る。
さっきストレッチをしてみた。
コーヒーに煙草もやった。
腹をぐりぐりと押してもみた。
だが俺の腹はバカになったのか、無反応だ。
力を入れるのにも疲れた。
眠くなってきた。
ふと、カワノの言葉を思い出した。
便なんて捨てるものなのに、人から買うやついるかよ。
あ、いるかもな。
しかし俺はそっち系じゃない。
そうか、他人のはともかく、家族のだったらいいかもな。
だがあいにく、俺には家族がいない。
一人暮らしだからな。
せめて、犬か猫でも飼ってたらな。
いや、さすがに動物のは、マズイか。
うーん。どうしたらいいんだ、これ。
提出期限に出さなかった場合の、あの口うるさい社長の言うことは、容易に想像がつく。
「提出するのは今日の朝までと言ってあったんだ。なぜそれが守れないんだ。提出期限を守るというのは、当たり前の事でしょうが。みんなができることがなぜできないんだね。」
とかなんとか、グチグチ…。朝礼でさらしものにされるのは、目に見えている。
「くっそ」
俺は腹をボカボカ叩いた。
だが腹は相変わらずの無反応。
ふと、そばに置いてる検便容器を手にとって、しげしげと眺めてみる。
ボールペンを1/2にしたくらいの長さ。
半分キャップになっていて、開けるとキャップに棒がついている。
棒の先端は、超小さなスプーンになってて、そこで便をすくい、そのままキャップして収納出来るようになっている。
それを見る限り、ホントにほんのわずかの便で事足りる。
が、そのわずかな便がない。
ここまで頑固になるなら、下剤でも飲んどくんだったかな。
しかし今さら遅い。
今から飲めば、検便は取れるだろうが、明日の仕事中も腹が痛いに決まってる。
それは嫌だ。
時計を見ると、すでに2時まわってる。
こうなりゃ、渾身の力で出してやる。
俺は便座の上に足をのせ、尻を浮かせた。
便座の上で、ウンコ座りってやつだ。
「うぉ~ッ!うう~ン!」
俺は掛け声とともに、ありたけの力を腹とケツに込めた。
だが、出てきたのはプスプスという音のみで、実は出てこなかった。
「ダメだ…」
俺は力尽き、元通り便座に座った。
こんなにも期限内に便を出すのが難しいとは。
最悪、老人ホームの入所者のように、ケツの穴に指突っ込んで、出そうかな。
いや、指はやめよう。
この検便容器のスプーンを突っ込んでみようか。
気づくと、便座に腰かけたまま、寝ていた。
時刻は午前4時。
長時間座ってたせいで、尻の骨が痛かった。
便意は当然なかった。
俺は便を出すことを諦めて、トイレを出た。
朝7時。
もう時間はない。
会社に着くと、
検便を入れる箱があるのを横目で見て、自分の席につく。
もうすぐ朝礼が始まる。
その時だった。
俺のお尻がもぞもぞと懐かしい感覚を訴えてきた。
来ました―!!
俺はトイレに駆け込んだ。
「ふーっ」
間一髪、間に合った。
助かった。
だが、ポケットに手を突っ込んで、俺の目の前は真っ暗になった。
検便容器はトイレに置いたままだった。