カイル、いつの間にかの電撃戦
「じゃあ、警備の方は問題ねえから、安心しな」
警備部門の統括責任者であるカイルは、いつもの調子で報告を終えると、片手を上げて部屋を出て行った。
バタン、と重厚なドアが閉まる音が響く。
入れ替わりに入室のノックが響き、エレナが姿を見せた。彼女はその手に分厚いファイルを抱えている。
「失礼しますわ、サトシ様。王立学院から例の魔導具設計に関する最終報告書が届きました」
「ああ、そこの机に置いておいてくれ。この決算書を処理したら目を通すよ」
サトシは顔も上げずにペンを走らせる。
エレナは書類を丁寧に置くと、ふと、ドアの方を振り返った。そして、少し悪戯っぽい、探るような視線をサトシに向けた。
「サトシ様、先ほど廊下でカイルとすれ違ったのですが……ご覧になりました?」
「見たかと言われれば、今しがた報告を受けたばかりだが。あいつがどうかしたのか?」
サトシは手を止め、怪訝な顔をした。カイルとは毎日顔を合わせている。いまさら何を見るというのか。エレナは「やはり」と言わんばかりにため息をつく。
「……サトシ様は、そういうことには無頓着ですものね。カイルの『左手』ですわ」
「左手?」
「ええ。薬指に、銀色の指輪が光っていましたわ」
「……は?」
サトシの思考が停止した。
カイルの左手。薬指。指輪。
その単語が意味する事実は一つしかない。だが、あのカイルが?
「え、ま、まさか……あいつ……?」
「ええ。十中八九、そういうことですわね」
二人は顔を見合わせた。
大陸全土の情報を握るはずのサージョのトップ二人が、灯台下暗しとはこのことか。執務室に、何とも言えない沈黙が流れた。
◇
その日の夕刻。
カイルは鼻歌交じりに自宅のドアを開けた。
幹部用社宅としてあてがわれた、庭付きの一戸建てだ。
「帰ったぞー」
「お帰りなさい、あなた」
出迎えたのは、エプロン姿の小柄な女性だった。
彼女の名はリナ。栗色の髪をポニーテールに結い、その顔立ちにはまだあどけなさが残っている。
それもそのはず、彼女はカイルより二十歳も年下で、元はサージョ・バンコで窓口業務担当の行員であった。
「今日のお仕事はいかがでしたか?」
リナがカイルの上着を受け取りながら、甲斐甲斐しく尋ねる。
「んー、警備部門は盤石だな。新しく入った連中の中に、ちょっと腕自慢の鼻持ちならねえガキがいたから、模擬戦で軽く揉んでやったくらいだ」
カイルは豪快に笑いながら、リビングのソファにドカッと座り込んだ。リナは温かいお茶を淹れてくると、カイルの隣にちょこんと座り、真剣な眼差しを向けた。
「……あの、あなた。そろそろサトシ様に、結婚のご報告をしませんか?」
「ぶっ!」
カイルはお茶を吹き出しそうになった。
「ま、またその話かよ」
「だって、もう入籍してから一ヶ月も経つのに。あなたもサージョの幹部なのですから、こうしたことはしっかり報告しなければ」
その正論に、カイルはバツが悪そうに視線を逸らした。
年下とはいえ、元銀行員。しっかり者なのは彼女の方だった。
「いやいや、だがよぉ。旦那もエレナ嬢と新婚で忙しいだろ? そこで俺まで『結婚しました』なんて言ったら、また騒がせちまうし……」
「それは言い訳です」
「それにだな!」
カイルはニヤリと悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「もう一ヶ月もバレてねえんだぜ? あの何でもお見通しの旦那相手に、どこまで気づかれないか試してみたくなっちまってよ。これは一種の潜入訓練みたいなもんだ」
「はぁ……」
リナは呆れたようにため息をついた。
「あなたは本当に、いくつになっても子供なんですから。……怒られても知りませんよ?」
「へへっ、大丈夫だって。俺の隠密は完璧だ」
カイルは左手の指輪を光にかざし、余裕の笑みを浮かべていた。
◇
翌朝。
「至急執務室へ」という簡潔な呼び出しを受け、カイルは首を傾げながらサトシの部屋を訪れた。
「よう旦那、朝っぱらからどうした……って、なんだその空気は」
部屋に入った瞬間、カイルは異様なプレッシャーを感じた。
デスクに座るサトシは無表情。その隣に立つエレナは、満面の、しかし目の奥が笑っていない笑顔を浮かべている。
「カイル。座りたまえ」
サトシが低い声で促す。
「お、おう。なんか深刻なトラブルでもあったか? 鉄道の事故か、それとも産業スパイか?」
カイルが椅子に座ると、エレナが口を開く。
「トラブルと言えばトラブルですわね。……貴方の『左手』に関する重大な報告漏れについてですわ」
「――ッ!?」
カイルは反射的に左手を隠そうとしたが、時すでに遅し。
「……やっとバレたか」
カイルは観念したように息を吐き、頭をかいた。
「もう一ヶ月だぞ、一ヶ月。天下のサージョのトップにしては、気づくのが遅すぎやしねえか?」
サトシはこめかみを押さえた。
「お前な……俺たちは毎日顔を合わせていただろう。なぜ言わなかった」
「いやぁ、旦那も忙しそうだったし? どこまで隠し通せるかを楽しんでたというか」
「……この馬鹿者が」
サトシは呆れ果てた。だが、その表情には怒りよりも、親友への祝福と安堵が混じっていた。
「で? 相手は誰なんだ。いつの間にそんな関係になった」
エレナが身を乗り出して尋ねる。
「馴れ初めは? どこで出会いましたの?」
カイルは少し照れくさそうに鼻の下を擦った。
「相手は、本店の窓口にいたリナって娘だ。馴れ初めは……三ヶ月前、バンコの全店合同で行った『抜き打ち防犯訓練』の時だな」
「ああ、お前が監督官をやったあれか」
「そうそう。その時、強盗役の男に人質になったのがリナでな。普通の娘なら泣き叫ぶか震えるところを、あいつは強盗役の腕に噛みついて隙を作ろうとしやがったんだ」
カイルは懐かしむように目を細めた。
「その根性に、一目惚れしちまってな。即行で食事に誘って、あとはもう『押せ押せ』よ。二十歳差なんて関係ねえ、俺が守ってやるからついて来いって口説き落として、二ヶ月でゴールインだぜ」
ドヤ顔で語るカイルに、サトシは開いた口が塞がらなかった。
「……二ヶ月で、結婚まで……?」
自分とエレナが、どれだけ遠回りをして、どれだけ慎重に関係を築いてきたかを思うと、そのスピード感は異常だった。
「お前、凄いな……」
「へっ、旦那みたいなヘタレとは違うんだよ。欲しいもんは即確保、それが俺の流儀だ」
カイルは勝ち誇ったように胸を張る。
「あら、素敵なお話ですわ」
エレナがパンと手を合わせた。
「それにサトシ様、やっぱり『年の差』があっても、愛があれば誰も気にしないんですのよ? 二十歳差でもこうなのですから、私たちだって大差ありませんわ」
「……そうだな。返す言葉もない」
サトシは苦笑し、カイルに向き直った。
「さて、ふざけるのはここまでにして……お前も今やサージョの幹部の一人だ。そんな男が、紙切れ一枚出して終わりというのは認めんぞ」
「あ?」
カイルが嫌な予感を察知して眉をひそめる。
「しっかりと、結婚式をやってもらうぞ。サージョの威信にかけてな」
サトシの宣言に、カイルは手を振って拒否した。
「いやいやいや!俺はそういうガラじゃねえんだよ。身内だけで酒飲んで終わりでいいって」
「駄目だ」
サトシは頑として譲らなかった。
「俺だって、あの大規模な式をやってみせただろう。お前だけ逃げられると思うな」
「……ははぁん、さては旦那」
カイルはジト目でサトシを睨んだ。
「自分が恥ずかしい思いをしたからって、俺にも同じ目に遭わせたいだけだろ? 巻き添えってやつか?」
「……否定はしない」
サトシは開き直った。
「だがな、カイル。奥さんはどうなんだ? リナさんと言ったか。彼女も本当に『式なんていらない』と思っているのか?」
「うっ……」
カイルが言葉に詰まった。サトシは畳み掛ける。
「二十歳も年上の男と結婚したんだ。彼女の親御さんや友人だって心配しているかもしれない。盛大な式を挙げて、多くの人間に祝福される姿を見せることは、彼女への一番の誠意じゃないのか?」
カイルはしばらく唸っていたが、やがて大きくため息をつき、天井を仰いだ。
「……ああ、旦那の言う通りだ」
カイルはボリボリと頭をかきむしった。
「実はな、あいつ……前の旦那たちの結婚式の記事を見て、ポツリと言ってたんだよ。『綺麗なドレスだなぁ』って。……あれは、憧れてたんだろうな」
「ならば、決まりだな」
サトシはニヤリと笑った。
「費用は全額、うちで持つ。最高に派手で、騒がしい式にしてやる。覚悟しておけよ」
「へいへい、分かりましたよ」
カイルは観念したように、しかしどこか嬉しそうに笑った。
「やるからには、旦那の時よりも盛り上げてやるぜ。……まあ、あいつにウェディングドレスを着せてやれるなら、ピエロになるのも悪くねえか」
「ふふ、準備は私にお任せくださいな。リナさんにぴったりのドレスをデザインしますわ」
こうして、サージョの「影の功労者」であるカイルの結婚式プロジェクトが始動した。
それは後に、サトシの式に勝るとも劣らない、王都中の酒が枯渇するほどの大宴会として語り継がれることになるのだが――それはまた別の話である。
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