第5話 自由都市の掟:余所者を守る法はない
一時間後。 部屋の扉を叩く音がし、入室の許可を出すと二人が入ってきた。
見違えた、という言葉では足りない。 汚れを落としたエレナの銀髪は、窓から差し込む日差しを反射して神々しい輝きを放っている。 その瞳には、かつての令嬢としての矜持を取り戻していた。
カイルもまた、無精髭を剃り落とし、新しい革鎧に身を包んだことで、鋭い観察眼を持つ精悍な戦士へと変貌を遂げていた。
「……信じられん。奴隷を高級宿の湯に入れ、自分と変わらぬように遇するとは。あんた、本当に何者なんだ?」
カイルが困惑を隠さず、低い声で問いかけてくる。
「それをこれから話す。今は互いに何も知らない同士だ。自己紹介をしよう」
サトシは無駄な世辞を排し、自身の正体を明かす。それは嘘偽りのない、だが常識外れな告白だった。
「……さて、俺はサトシ。この世界ではない異界から来た商人だ。俺の持ち込む商品は、この世界の常識を根底からひっくり返す。だからこそ、お前たちの知恵と武力が必要なんだ」
サトシは一息つくと、視線を落として自分の身なりを一瞥した。どれほど高度な知識を持っていようと、この地のルールを知らぬ者は明日をも知れぬ存在であることを彼は誰よりも自覚していた。
「それにこの街に来たばかりでな。怪しまれないためのサポートも必要だ」
そういってポケットからシガリロを取り出し、口にくわえた。 そして、徳用マッチを箱の横で素早く走らせる。
シュッ。
小気味よい音と共に、オレンジ色の炎が立ち上がる。
「なっ……!?」
カイルが反射的に身を引き、エレナが息を呑んで立ち上がった。 二人の瞳には、明らかな「畏怖」が浮かんでいる。
「……詠唱もなしに、火を? 貴方は……『魔導師』様だったのですか?」
エレンの声が震えている。 俺はそのままシガリロに火をつけ、バニラフレーバーの煙を吐き出してから尋ねた。
「魔導師? 魔導師が実在するのか。魔法使いは存在すると聞いたがどう違うんだ?」
エレナの説明によると、すべての生物が持つ魔力を体外に放出することで、様々な現象を発現させることを魔法と呼ぶ。 そして、一般に魔法を扱う者を総称して魔法使いといい、その中でも練達した使い手を魔導師と呼ぶのだそうだ。
魔法は行使する者の技量と増幅器と呼ばれる触媒によって大きくその規模と消費魔力を変え、国内で最も練達した術者と最高水準の増幅器を併せ持つことで、山を一つ消滅させるほどの力を発揮するという。
しかし増幅器はその品質に大きな差が存在しており、最高水準の増幅器は国内にも3つほどしかなく、一般的な魔法使いは鉱山の採掘や精錬のごく一部の補助、生鮮品を扱う商会での保存魔法、もしくは魔法兵として働くことがほとんどらしい。
増幅器がなければ十分間の詠唱と一日に使える半分の魔力で種火をつけのが精いっぱいとのこと。 とはいえ一般の魔法兵一人と増幅器の組み合わせで、通常の兵士50人分の働きをするというから驚きだ。
また、不足する魔力を補ったり、魔導具のバッテリーとなる魔石という謎物質も存在しているという。 だが魔導具はあまりに希少なため、一般的には生涯で一度も目にすることは無いという。
ちなみに、治癒魔法に適性のあるものは神殿勢力に所属することが常識となっており、各都市に存在する教会で医療や契約儀式を提供している。
「なるほど。誤解するな、俺に魔力なんてない。これは単なる『道具』だ。ほら、君にもできる」
俺はマッチを一本、エレナに差し出した。
「まさか。魔法は選ばれた者にのみ許された力。五百人に一人、天性の才能を持って生まれた者だけが、その理を何年も学ぶことで初めてその力を行使できるようになるのです。それを、誰でも使える道具だなどと……」
エレナの説明を聞き、俺は改めてこの世界の「技術的空白」の深さを理解した。 五百人に一人の特権階級の力を、百円のマッチ一箱が代替している。 この「差益」こそが、俺のこれからの武器になる。
「エレナ、それを擦ってみろ。……ああ、その箱の横にある黒い面に、先端を勢いよく滑らせるんだ」
エレナは、まるで壊れ物を扱うような手つきで、細いマッチ棒を受け取った。 彼女の指先は、期待と、それ以上に「未知の魔導具」への恐怖で微かに震えている。
「……この棒を、この箱に? 本当に詠唱も、魔石も必要ないのですか?」
「ああ。必要なのは、摩擦とほんの少しの勇気だけだ」
エレナは俺の言葉に意を決したように、シュッ、と小気味よい音を立ててマッチを走らせた。 瞬間、パッと鮮やかなオレンジ色の炎が、彼女の瞳を照らし出した。
「……っ!? あ……」
エレナは驚愕のあまり、危うくマッチを落としそうになった。 だが、彼女はすぐに持ち直し、指先で揺れる小さな炎を、まるで神話の奇跡でも見るような目で見つめた。
「信じられません……。火打ち石を何度も叩く必要も、魔法使いに金を払う必要もなく、こんな……こんな木切れ一本で、完璧な火が」
エレナは自分の手の中にあるマッチを見つめ、戦慄に顔を青ざめさせた。
「……サトシ様。もしこれが魔法ではないのなら、貴方は『魔導師』よりも恐ろしい存在です。ですが、今のままではこういった商品を売ることはできません。売った瞬間に、貴方は私たちとまとめて『処理』されるでしょう」
彼女は、この世界の冷酷な掟を語り始めた。
「この街の自由は、市民権を持つ者だけの特権。市民権を持たない者がこれほどの商品を扱えば、翌朝にはすべてを失うでしょう。良くて強盗に奪われるか汚職役人に『没収』されて地下牢行き、最悪は文字通り私たちは『最初からいなかった』ことになります。サトシ様、余所者や不自由民を守ってくれる『法』はありません」
エレナは一度言葉を切り、サトシの反応を確かめるように沈黙を置いた。絶望的な現状を突きつけたのは、彼を怯えさせるためではない。この不条理なルールを書き換えるための、唯一の手段を示すためだ。彼女は唇を薄く引き結び、この街を攻略するための鍵を提示した。
「この街で『法』と『権力』が守ってくれるのは『自由都市の市民』だけ。まずは『市民権』を手に入れましょう」
「市民権か、調べた中世の自由都市にもそんな制度があったな。しかし取得するためには条件があるはずだ」
以前インターネットで調べた中世の知識では、推薦人や一定の居住期間が必要だったはずだ。
「二人の市民による保証、そして3年以上の居住実績が条件です。ただし居住実績は多額の献納金によって回避することができます」
「金はある。だが、俺は余所者だ。保証人になってくれるような人物に心当たりなんてないぞ」
「問題は保証人ですか。いえ……心当たりが一人います」
エレンの瞳に、軍師としての鋭い光が宿った。
「『グスタフ・ハインマン』。街で最も偏屈で、だが最も『実利』を愛する大商人です。両替や宝石、貴金属を扱う両替商で、港湾都市では物流の一翼を担う人物でもあります。かつて私の父とも取引がありました。彼を最初の『顧客』に……いえ、私たちの『盾』にしましょう」
俺はバニラの煙を深く吸い込み、不敵に笑った。
「いいだろう。営業マン時代、気難しい社長を落とすのは得意だったんだ。明日、そのグスタフのところへ案内してくれ」
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