第22話 「死なない」ことが証明された日
酒精の香りが漂うキャラック船がこの港を出港して九ヶ月後。 それは、港湾都市の船乗りたちがサージョ・コメルツォの破産を賭けの対象にし始めた頃のことだった。
「俺はつぶれると思うね。あいつら金貨を六千枚もつぎ込んだんだって噂だぜ。もう金庫はすっからかんに決まってら」
「いいや、あのバルモアが海に出たんだ。きっと山のような香辛料を持って帰ってくるさ」
「ハハッ、馬鹿いえ。バルモアなんか航海に失敗して逃げ帰ってきた臆病もんだろ」
そんな会話が日常的に交わされるようになった頃のことだった。
「おい、ありゃなんだ? ……ふぅ、飲みすぎたか。変なもんが見えるぞ」
水平線の彼方に一筋の帆影が現れた。 そうして徐々に大きくなる船影。
「いや、違うあれは……」
見えてきたのはボロボロに引き裂かれた帆、潮風に灼かれた船体。 だが、その航跡は力強く、死の気配など微塵も纏ってはいなかった。
「おい、きたぞ! サージョの船が帰ってきたぞぉ!!」
海を見ながら飲んだくれていた船乗りがついに、その姿をはっきりととらえたのだった。
◇
バルモアの帰還はすぐに港湾都市中を駆け巡った。 その知らせを受けたサトシたちは、息を切らせながら岸に駆け付けた。
「はぁ、はあ。サトシ様、見えました、あれです……! あの船です!」
エレナの震える指の先を見ると、ちょうど一隻のキャラック船が港に滑り込んでくるところだった。 甲板では数人の船員がこちらに手を振っている。
スムーズに接岸し、同時にタラップから降りてきたのは、呪われて生きながら腐った様子など微塵もなく、僅かに痩せたものの出航した時のまま、筋骨隆々とした荒くれ者たちだった。
長い間手入れなどできなかったのであろう、髭は伸び放題、髪もボサボサ。 だが、その肌は日に焼け、血色が宿り、瞳は活力に満ちている。
「ハハハッ、帰ってきたぜ、旦那!」
先頭で豪快に笑うバルモアの姿に、港中が一瞬静まり返った。 次の瞬間、爆発的な喝采が沸き起こった。
この場に集まった、ついさっきまで飲んだくれていた船乗りたちの顔は「英雄」の帰還に沸き立ち、その顔は絶望から希望へと変貌を遂げていた。 バルモア率いる今回の航海期間は実に九ヶ月に及んだが、船員全員が五体満足。 それはこの港の歴史上、あり得ない「奇跡」だった。
「バルモア、約束通り『答え』は持ち帰ったんだろうな?」
サトシが軽い調子で問うと、バルモアは自慢げに船倉を親指で指して答える。
「ああ、満杯になるまで積んできたぜ! 呪いなんか、あの『酸っぺえ豆』を食えば気配すらしねえ!」
その返答を聞いてサトシは頷きながら、強く右手を握りしめていた。 限界まで沈み込んだその喫水線は、航海が空前絶後の結果をもたらしたことを示していた。
◇
開かれた船倉から運び出される品々に、立ち会ったエレナとカイルは息を呑んだ。
「……これは、何ですの? 香辛料、ではないですわね。草、でしょうか。嗅いだこともない芳醇な香りが……」
「それになんだ、この青緑色した豆は……。サトシ、あんた一体何を運ばせたんだ?」
運び出された積み荷で大半を占めるのは大量の香辛料、そしてサトシが事前に特徴を伝えていた未知の嗜好品――煙草、コーヒー、紅茶、そしてカカオだった。
「よくやった、バルモア。これだよ、これ。まだ誰も手の付けていない嗜好品、こいつがあれば……」
そうして積み荷は、かつて「大きすぎる」と嘲笑された巨大な倉庫へ運び込まれていった。 しかし、満載だった一隻分の荷を収めても、広大な倉庫の一角がようやく埋まったに過ぎず、その九割は空のままだった。
「……サトシ様、素晴らしい利益ですわ。前代未聞といってもいいほど。ですがやはり、この倉庫は広すぎたのではないでしょうか?」
エレナは視線を巡らせ、周囲の空虚な空間を見渡して呟く。 しかし、サトシは並べられた香辛料の袋を見つめ、静かに首を振った。
「たった一隻分ならな。だが、今回の航海で『死なない』ことが証明された。もう『海の呪い』は店じまいだ。明日からはグスタフをはじめとする港中の船主が、この黒い丸薬を求めて列を作るだろう。一隻が十隻になり、百隻になる。その時、この倉庫はこれでも足りなくなる」
「ですが、それはほかの船主の荷ではありませんか。倉庫貸しでもなさるおつもりで?」
「倉庫貸し? そんなことはしないさ。気にするな、しばらく経てばこの倉庫だって手狭になる」
この広大な倉庫が隅から隅まで埋まる光景がサトシには見えていた。
「そんな話は後にしようぜ、こんな大成功を収めたんだ。それより、呪いを克服するだけじゃなく、これほどの実利を持ってくるとはな。サトシ、あんたの読みは恐ろしいよ」
カイルもまた、無傷で帰還した船員たちの頑健な肉体を見て、サトシの「ロジスティクス」の正しさを認めざるを得なかった。
◇
一週間後。 航海の疲れを癒やしたバルモアとともに、サトシは酒席を囲んでいた。
「バルモア、本当によくやってくれた。あんな啖呵を切ってみたが、お前たちが帰ってこない可能性も考慮には入れていたんだ」
「そんなことはどうでもいい。旦那、改めて礼を言わせてくれ。あんたのおかげで俺はまた『英雄』になることができたんだ。あの『サージョ・タブレット』……あれは魔法だ。仲間が一人も腐らずに帰ってこれた。ちょいと前まで順調過ぎて、都合のいい夢でも見てるんじゃないかと思ってたくらいだ」
バルモアは、最高級の肉を頬張りながら、出航前とは異なる敬意をサトシに向ける。
「夢なんかじゃない。その証拠にボーナスだって弾ませてもらう。そうだ、バルモア。お前の口からも広めてくれ。あのタブレットがこれからの航海に不可欠なものだ、ってな」
サトシがさらりと頼むと、バルモアは豪快に笑い飛ばした。
「ハハッ! 旦那、そいつはいらない心配ってもんだ。広める必要なんてねえよ。俺たちが全員ピンピンして帰ってきた。港中の船乗りどもがその現場を見てたんだ。あいつら度肝を抜かれた顔をしてやがったぜ。今じゃ酒場に行きゃあ誰もがその話で持ち切りさ。どいつもこいつもが喉から手が出るほどあの『奇跡』を欲しがってる。……あんたの勝ちだ、サージョ」
その帰り、サトシは倉庫に寄り、まだ九割方が空っぽの巨大倉庫を見つめていた。 壊血病を克服したこの日、世界は「サージョ・コメルツォ」を中心とした新たな時代の産声を上げたのだ。
【第22話 収支内訳】
収入項目:
既存事業収益: +金貨 4,500枚
新大陸交易品(希少香辛料、嗜好品原材料)売却益: +金貨 27,000枚 (一隻の帰還としては伝説的なリターン。供給逼迫により取引額が跳ね上がり、サトシは指折りの資産家へ)
支出項目:
バルモア隊への成功報酬・特別報奨金: ▲金貨 2,500枚 (※船の譲渡を含む。命懸けの航海に対する正当な対価)
凱旋祝賀・港湾関係者への接待費: ▲金貨 100枚
バルモア帰航までの維持費: ▲金貨 1,200枚
【第22話終了時 総資産】
金貨 29,317枚相当(7億0,360万ルピ)
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