僕は中国からの道士だ!
僕は竹雨糖。名前だけ聞けば可愛らしく思えるかもしれないけれど、正真正銘の男だ。17歳、身長173センチ、体重55キロ。中国からやってきた「道士」をやっている。
……なーんて、今言った情報はすべて、この本を書くためにデッチ上げた作り話さ。現実世界の僕を特定されないための、ちょっとした防衛策ってやつだね。
でも、中国から来た道士だってことだけは本当だ。今は山梨県の、毎日富士山が拝めるどこかで暮らしているよ。僕の師門は、中国道教における「江南正一清微派」という流派だ。
開祖(祖師爺)は二人の女性で、現地では「魏元君」と「祖元君」と呼ばれている。そのルーツをさらに遡れば、道教における最高神「三清」の一柱——「元始天尊」にまで行き着くんだ。
僕が日本へ来た最大の目的。それは、中国からこの地へ逃げ延びた二人の魔王——「愚冥疴」と「沼河溪」の行方を追うことにある。
かつて師匠はその一人と刃を交えたことがあるんだ。その際、師匠は我が門派の秘術『雷法』を繰り出し、自らの寿命を十年も削って愚冥疴の左手を消滅させた。……けれど、結局のところ奴を完全に仕留めるまでには至らなかった。以来、その一件は師匠の心に深い悔恨として刻まれている。
数ヶ月前、道門に「片腕の愚冥疴が日本へ逃亡しようとしている」という情報が入った。外来の妖魔に疎い日本の隙を突き、奴はそこで傷を癒やし、再起を図るつもりなのだろう。時を同じくして、女魔王である沼河溪もまた、いかなる術理か自らの体を血水へと変えて東海へと溶け込み、海流に乗って日本海へと流れ着いたらしい。
二大魔王の配下にある有象無象の妖怪どもも、この機に乗じて日本へ密入国した。奴らは今、街のあらゆる暗がりに潜み、牙を剥く機会をじっと窺っている。
本来なら、師匠自ら日本へ乗り込んで奴らを捕縛するはずだった。……けれど、悲しいかな。師匠は生涯を自由奔放に謳歌しすぎたせいで、貯金が底をついていたんだ。結局、日本政府のビザが下りず、代わりに学生であるこの僕が「留学生」という建前で、魔王の行方を追う羽目になったってわけさ。
そうして僕は、江蘇省にある道観(お寺)を後にした。大量の符箋や経典、桃木剣に金銭剣、道袍、木魚、笛、シンバル……それから師母(師匠の奥さん)が持たせてくれた手作りの菓子。それらを詰め込んだ大きな荷物を背負ってね。上海浦東国際空港から、深夜の格安航空(LCC)に飛び乗り、東京・羽田空港へと飛び立ったんだ。
その時の僕は、まだ知る由もなかった。
飛行機が大海原の上空を飛んでいる最中、あんな「異常事態」が起きるなんて……。
機内には、均一ないびきとエンジンの低周波な唸りが満ちていた。ほとんどの乗客は薄暗い眠りに落ち、わずかに灯る読書灯が、窓ガラスに小さな光の輪を投げかけている。
窓際の席に座る僕に、眠気はなかった。Tシャツの下、首にかけた温かい感触を無意識に指でなぞる。それは師匠が自ら彫り上げ、四十九日の加持祈祷を施した「清微雷府」の法印——雷撃を受けた棗の木で作られた霊印だ。
窓の外は底なしの闇。時折、月光に照らされた海面が、砕けた銀の鱗のようにきらめくのが見える。退屈さに目を閉じかけた、その時だった。視界の端が、ある「異状」を捉えた。
それは、月光などではなかった。
ぼやけて歪んだ、惨死体のような白い光の輪郭が、機体の窓の外側にべったりと張り付き、ゆっくりと「滑って」いく。定まった形はなく、悪意を凝縮した霧のようでもあり、歪んだ五官と抗う肢体のシルエットがかすかに見て取れる。その白光に神聖さなど微塵もない。深海に千年も堆積した怨毒を万米の高空へ無理やり引きずり出したかのような、陰湿で腐敗した気配だ。
(……愚冥疴の手下か? それとも沼河溪の血族か?)
僕は内心で身構え、バックパックのサイドポケットに手を滑らせた。指先が符紙のざらついた感触に触れる。
奴は実体ではない。にもかかわらず、高速の気流や物理的な障壁を無視して機体に「寄生」している。極めて高度な陰魂の遁法……あるいは、空間そのものを侵食する類のものだ。
何かを探しているのか、白い光は窓の外を徘徊し、空洞の「顔」で眠る乗客たちを一人ずつなめていく。そして、通路で物静かにワゴンを整えていたCA(客室乗務員)のところで足を止めた。
若く、整った顔立ちのCAだ。プロらしい柔和な微笑みを浮かべていた彼女の動きが、次の瞬間、ごくわずかに硬直した。笑顔が凍りつき、瞳の奥をどす黒い灰色の影が通り過ぎる。
「取り憑いた」のか……!
それは肉眼では捉えきれないほど一瞬の出来事だった。白い光はスポンジに吸い込まれる水のように、音もなく彼女の体へと「融けて」いった。彼女は軽く頭を振ると、何事もなかったかのようにワゴンを押し、機体前方へと歩き出す。
だが、僕は見逃さなかった。彼女が背を向けた瞬間、襟元から覗いた首筋に、氷晶のような白霜の印が浮かび、すぐに消えたのを。そして、彼女から放たれる、押し殺しても隠しきれない濃厚な陰気が、機内の空気を冷え込ませた。
ただの浮遊霊じゃない。普通、霊体にとって高空の風は魂を切り刻む「罡風」となる。そこで生き延び、これほど正確に依代を見つけ、即座に適応してみせるなど……。明確な目的を持った、組織的な動き。間違いなく、僕が追う魔王に関連する手先だ。
僕はシートベルトを外し、立ち上がった。隣でうつらうつらしていた中年男性が鼻を鳴らしたが、構わず、備品室へと消えていく彼女の背中を追う。
ハーフカーテンの向こう側。僕はその手前で立ち止まり、耳を澄ませた。
中から聞こえてくるのは、金属をなめる湿った舌のような、あるいは骨がパキパキと組み換わるような非人間的な摩擦音。そして、別の次元から漏れ聞こえる断続的な「ささやき」。それは日本語でも中国語でもない、歪んだ古の言語だった。だが、そのいくつかの音節を聞いた瞬間、僕の心臓がどくりと跳ねる。
——師匠から教わった、愚冥疴配下「白疫鬼衆」の祭祀語に酷似していたからだ。
深く息を吸い、指の間に「浄天地神符」を挟み込む。もう一方の手で雷撃木の印を握りしめ、そっとカーテンを跳ね上げた。
ギャレー内の照明は惨白く、異様な光景だった。
CAの彼女は背を向け、狭い空間で肩を不自然に震わせている。制服こそ整っているが、漂う気配はもはや別物だ。冷たく、粘りつき、非道な悪意に満ちている。
僕の気配に気づいたのか、彼女の動きが止まった。
そして、彼女の頭が、人間の頚椎ではありえない角度で、ギチギチと音を立てながら真後ろへ回転した。
顔にはまだ入念なメイクが残っている。だが、表情は完全に崩壊していた。優しい微笑みは耳元まで裂けた奇怪な笑いへと歪み、見開かれた眼球の白目部分は黒い毛細血管に覆われ、瞳孔は針の先ほどに収縮して僕を射抜いている。
「道士……」
喉から絞り出された声は重なり合い、何人もの人間が同時に喋っているかのように不気味に響く。
「清微派の……匂い……虫唾が走る……」
「……やはり、僕が狙いか」
僕は声を低く沈め、門派の基礎心法『清静引』を回す。体内に巡る純陽の気が四肢に行き渡り、侵食してくる陰気を押し返した。
「ヒヒッ……分かっているなら話が早い……」
取り憑いた白疫鬼は首をかしげ、指先をピクピクと痙攣させる。爪がみるみるうちに青黒く鋭く伸びていく。「愚冥疴様には……血肉が必要だ……恐怖が必要だ……。この鉄の鳥の中は……最高の餌場だと思わないかい?」
奴が言い終わるより早く、ギャレーの照明が激しく明滅し、ジジジと悲鳴を上げた。壁や金属製の棚に一気に白霜が走り、室温が急降下する。
ここで暴れるつもりだ。パニックを引き起こし、最悪、機体そのものを道連れにしようとしている。海の上でそんな真似をさせるわけにはいかない。
待つのは終わりだ。
左手を振り抜くと、「浄天地神符」が風もないのに燃え上がり、柔らかな、だが揺るぎない金色の光を放った。周囲の霜を瞬時に浄化し、この狭い空間を外界から遮断する。気配を漏らし、一般客を怯えさせないための結界だ。
「五星鎮彩、光照玄冥。千神万聖、護我真霊……金光速現、覆護真人。急急如律令!」
呪文と共に、金光がさらに激しさを増す。白疫鬼は悲鳴を上げ、焼かれたようにのけぞって金属の棚に激突した。依代となったCAの顔に、苦悶と怒りが交錯する。
「小癪な若造が……ッ!」
奴が吠え、裂けた口から氷晶の混じった白濁の寒気を矢のように吹き付けてきた。
寒気が届く前、血が凍りつくような感覚に襲われる。だが、備えは万全だ。右手の雷撃木印を真っ向から突き出し、叫ぶ。
「雷印護身、諸邪退散!」
印から紫の雷光が走り、重低音の雷鳴が轟いた。襲いくる白気は、沸騰した湯を浴びせられた雪のように霧散する。それどころか、雷の力が白気を逆流して奴を直撃した。白疫鬼の体が激しく痙攣し、CAの目鼻口から惨白い霧が漏れ出す。魂が傷つき、依代を維持できなくなった証拠だ。
「貴様……なぜこれほどの……」
驚愕に顔を歪める白疫鬼。ただの駆け出しだと思っていた僕が、これほどの法器を操るとは思わなかったのだろう。
「うちの門派の雷法を、舐めてもらっちゃ困るね」
僕は冷たく言い放ち、一歩ずつ詰め寄る。左手には三枚の「斬邪破煞符」を構え、体内の気と雷印を共鳴させる。
師匠が命を削って魔王を退けた際、その配下たちの特性や弱点は全て叩き込まれた。白疫鬼は極陰。最たる天敵は、純陽の雷霆と真火だ。
形勢不利と見たのか、奴はギャレー内にのみ響く鋭い咆哮を上げた。同時にCAの体が崩れ落ち、惨白い影が頭頂部から脱け出す。依代を捨て、微細な白い煙となって機体の壁を抜け、逃走を図ろうとしたのだ。
(逃がすかよ……!)
ここで逃がせば、情報を持ち帰られるか、別の誰かが犠牲になる。
「天地無極、乾坤借法! 束!」
放たれた三枚の符が、空中で三角形の陣を組み、白煙を包囲する。迸る金光が細かな法網となり、奴を逃さず絡めとった。網の中で白煙が狂ったように暴れ、声なき悲鳴を上げる。
僕は間髪入れず踏み込み、雷撃木印を網の上にかざして収魂の呪文を唱える。法網が急激に収縮し、もがく白疫鬼を凍てつく白い珠へと圧縮していく。それは、用意していた符文入りの玉瓶の中へと吸い込まれた。
「封!」
即座に符を貼り、栓を閉じる。
すべては電光石火の出来事だった。取り憑かれてから封印まで、わずか三分足らず。ギャレーの照明は元に戻り、白霜も消え失せた。残されたのは、荒らされた備品と、青白い顔で倒れ伏すCAの女性だけだ。口角に小さな裂傷があるものの、呼吸は安定している。ただ陽気を削られ、魂が驚かされただけだ。
素早く彼女の状態を確認し、制服のポケットに「安神符」を忍ばせる。これで心神を安定させ、残留した陰気も払えるはずだ。
外では、物音に気づいた乗客や他のクルーが近づいてくる気配がする。
僕は素早く荷物を整え、玉瓶をバックパックの奥へしまい込んだ。……愚冥疴の爪牙が、これほど正確にこの便を狙い、僕を襲ってきた。僕の行動が漏れているのか、あるいは日本国内の魔王の勢力が想像以上に広く、鋭い触手を伸ばしているのか。
機体がわずかに震え、着陸態勢に入るアナウンスが流れた。目的地、羽田空港はもうすぐそこだ。
窓の外、夜明け前の深い闇が引いていき、地平線が白み始めている。眼下には、海に代わって陸地の輪郭が浮かんできた。
僕は座席に戻り、シートベルトを締め直した。サイドポケットの中の玉瓶を、指先で軽く叩く。
どうやら、あそこの「景色」は、絵葉書のように穏やかではなさそうだ。
万米の高空から、この「追猟」は、もう始まっているんだから。




