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嗤う泥泪  作者: 雪車町地蔵
第二部 泥泪サマはそこにいる ~エンデミック~

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第十九話 疑似胎内回帰呪式・妖異調伏法

「ノウマク・サンマンダバザラダ・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン!」


 低く朗々とした声音で、躯劾(くがい)真言(マントラ)を唱え、アコウ樹のすぐそばに設えられた護摩壇(ごまだん)へと護摩木を投げ込んでいく。

 そのたびに炎が猛るように燃え上がり、ぱちぱちと火花を散らす。


 希歌さんを先頭にしたぼくたち一行は、手を合わせ無心で祈りを捧げながら、アコウ樹の根元を潜る。


「説明ばすっぞ。こいは柴燈(さいとう)外護摩(そとごま)調伏法(ちょうぶくほう)崩し(アレンジ)じゃ」


 儀式が始まる前、躯劾はぼくらを見回し、簡単な説明を行った。


「柴燈外護摩ちゅーが、この焚き火よ。オイはこの火ば絶やさんごと火守(ひもり)ばする。不動明王呪(ふどうみょうおうじゅ)──真言ば唱えてな」

「その間、俺たちはどうすればいいんだ?」


 加藤さんが当然の疑問を投げれば、慌てるなと躯劾は手を突き出し。

 そのままスライドさせて、アコウ樹を指差した。


「ご神木の木の股ば潜れ」

「木の股を?」

「そうじゃ。連なる木の股ば、母親の産道に見立てて水場まで歩く。この間、一言も口ば利いてはならぬ。そいで水場までいったら、清水を手ですくって口に含む。これも飲み下してはならぬ。こいで貴様(きさん)らは、いっぺん赤子の前まで戻って、死んだことになる」


 そうして、死んだことで一堂に取り憑いている悪霊は口に含んだ水の中に閉じ込められるのだという。


「そうしたら、水ば口に入れたまま護摩壇──焚き火まで戻って、口の中のもんば全部吐き出す。産まれ直すことの見立てじゃ。ここまで、一切水ば吐き出してはならぬ。なにがあってもじゃ」

「つまり、吐き出すと実害がある……?」


 希歌さんが不安げに訪ねれば、彼は「クケケ!」と奇っ怪な声を上げ、


「人を害するほど歳を経た妖怪が、なんの抵抗もなくやられると思うちょるのか? 平和よのぅ」


 と、嘲るように笑った。

 むかっと希歌さんのこめかみ青筋が浮かんだのが解ったので、ぼくは慌ててその肩を掴んだ。


「そいで、オイが()かというまで、これば繰り返す。そのうちに河童も諦めて退散する。これが調伏法──肝心なのはな、ぬしらの身体ちゅう境界が、お山に解けることじゃ」


 解ける。一体になる?


「そうじゃ。産道を通り、お山と一つになることで、穢れをお山に預かってもらう。これを不動明王呪で焼き尽くし、呪詛(じゅそ)を破る。名付けるならば──疑似胎内回帰呪式・妖異調伏法(ちょうぶくほう)とでもすっか」


 まさに今考えたという感じのネーミングに、加藤さんが白目を剥いた。

 希歌さんなど、露骨に額を押さえている。


「なんじゃなんじゃ! わしを信頼せんのか? 安心せい。銭ば貰った限り、そのぶんの仕事はするわい!」


 というわけで、納得できない者も当然いたが。

 ともかく除霊の儀式が、始まった。


「ノウマク・サンマンダバザラダ・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン!」


 手印──ニンジャが術を使うときに指を組むようなアレだ──を結びながら放たれる、躯劾の低い声音に後押しされ、ぼくたちはそろりそろりと木の股を潜る。

 できるだけ真摯な気持ちで、必死に祈りながら、天然のトンネルを歩む。

 そうすると、確かに木の股を潜っている間に、自分が少し小さくなったような気がしてくる。

 同時に、自然と頭を垂れている。


 水場まで来て、岩を組んだ沢をのぞき込むと、ぽこぽこと砂地から清水が湧き出していた。

 希歌さんがこちらを見つめてくるので、うんと頷けば。

 彼女は意を決したように、水へと手を突き込む。


 ブルリと、彼女の手が震え、反射的に引き抜かれそうになる。

 それでも彼女は耐えきり、水を口に含む。


 うなずき合って、次はぼくが水をすくった。

 冷たい。

 湧き水は、驚くほどに清らかで冷たかった。

 希歌さんが反射的に震えたのも、これならば仕方がないだろう。


 ゆっくりと口に水を含み、同じように加藤さん、田所さんも続く。田所さんはカメラを持っているので、片手での儀式になる。

 全員が水を口に含むと、その場で折り返し、また木の股──アコウの鳥居を潜る。

 今度は逆に、自分が大きくなり、肉体の枷から解放されていくような気持ちになる。


 最初は解らなかったが、ここでぼくには仕組みが理解できた。

 ご神木の根が、奥に行くほど低くなっているのだ。

 それはひとめでは解らない程度ではあったけれど、脳みそが判断するには十分な高低差で。

 だから、入るときは自然と頭を垂れしまうし。

 出てくるときは、開放感があるのである。


 よくできた儀式の場だと感心した。

 道化師は臨床心理学者も兼ねる。だからこそ、興味深く思えたのだ。

 何か創作の役に立つかもしれないと、心の中のノートにメモをしていく。


 鳥居を出て、躯劾の目の前に辿り着くと、視線で促される。

 自分たちは一斉に、口の中の水を拭きだした。


「──ッ」


 誰かが息を呑んだ。


 水が、真っ黒に変色していたからである。

 躯劾の声に力がはいる。もう一度行けと、彼が促す。

 また鳥居を潜る。


 二度目、三度目は、なにもなかった。

 けれど──四度目。


 突如、周囲で雷の落ちるような音が響いた。

 ──否。

 それは、巨木がへし折れ、倒木する音。

 けれどどこにも、倒れた木々など見えない。


「〝天狗倒し〟はマヤカシじゃ! 河童の仕業じゃ、惑わされるな! 繰り返せ、繰り返せぇ!」


 怒声を吐く躯劾に言われるがまま、水を口に含む。

 田所さんが、頬と目をブクリと膨らませた。

 彼は大慌てで口元に手を当てると、護摩壇まで走った。

 そうして、口の中のものを吐き出す。


 泥。

 真っ黒なヘドロ。

 それは、身の毛もよだつような悪臭を発していた。


「げほっ! げぇッ……!」


 嘔吐く田所さんに、躯劾が駆け寄り手印を結びなおす。

 大声で、彼は田所さんの背中に向けて印を切った。


(りん)(ぴょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)! (しょう)! えぇぇいっ!!」


 九字切り、と呼ばれる身を守る術だ。

 縦横交互に指が宙を切り。

 最後にびゅっと、躯劾が指を振り上げれば、田所さんは護摩壇に向かって盛大に嘔吐をした。

 今度は透明な吐瀉物が、ジュッと炎の中で身を捩らせる。

 我らがカメラマンはそのまま、へなへなと座り込んでしまう。

 それでなお、彼はこちらを撮影し続けていたのだから、恐ろしいプロ根性だ。


「こやつはよい! ぬしらは続けろ!」


 言われるがまま、儀式を繰り返す。

 しかし天狗倒しの音は止むことがなく、小さな石がどっからともなく跳んできて、加藤さんの眉間に命中する。


 どろりと血を流しながらも、彼はうめき声ひとつあげなかったが、つぶての数は増えていく。

 さらには、空に暗雲が立ちこめ、日が陰り、森の中が急速に暗闇と化していく。


「おおぉ……なんという悍ましい妖気……娘か? この娘を狙っておるのか……? むぅぅ、これを祓うには、もはや大日如来(だいにちにょらい)の力を借りるより他はない! 真言(マントラ)ば変えっぞ! 胸がきつうなるが、歯ば食いしばって耐えんばぞ!」


 顔を真紅に紅潮させた躯劾が、手印を結び直し、黒数珠をじゃらじゃらと擦り合わせながら、これまでとは違う真言を唱える。


「オン・アボギャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン……!」


 呪文に呼応するかのように、轟々と燃え上がる護摩壇。

 風も強くなり、嵐のようで。このままでは山火事にすら発展しそうななかで、しかし躯劾は儀式をやめない。

 必然、ぼくらも繰り返すしかない。

 そうこうしているうちに、周囲はいよいよ持って真夜中のような様相になる。


「夜がきたか。夜の食国(おすくに)か。誰ぞ? 誰が黄泉戸喫(よもつへぐい)ばした!? あっちのもんば食った?」


 躯劾の悲鳴のような詰問。

 けれどぼくは応えることができず。

 代わりに、口の中の水を拭きだしかけた。

 驚愕、瞠目。

 反射的に、希歌さんも口を押さえ悲鳴を飲み込む。


 いた。

 なにかが、炎の向こう側に。


 それは、真っ黒な人型をしており、のたのたと動き回る。

 ぎょろりと咲いた眼は血走っており。

 口は、三日月のように歪んでいる。

 顔は、泥を塗りつけたように、凸凹と闇黒で。


 泥。

 泥の、人形──泥泪サマ……?


「河童! でたか山童!」


 躯劾が、その姿を捉えるやいなや、鋭く叫んだ。


「ええい、大日如来よ! 我を導きたまえ! オン・アボギャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン……!」


 ぶるぶると震えながら両手を合わせ、大音声で呪文を唱え続ける躯劾。

 だが突如、大音声が止む。


 そして、次に彼の口から響いたのは──


「ナ……ナァー……うなぁ……おぎゃぁ……ッ」


 赤ん坊の、泣き声だった。

 悪鬼のごとく歪む躯劾の顔。

 刹那、護摩壇の炎が天高く燃え上がり、消滅。そして躯劾の身体が膨張し、はじけ飛ぶ。

 全身が赤黒い泥となって飛散した。

 水風船が、弾けるように。


 躯劾だったものが、バシャリと顔にかかる。


「ひっ!?」


 これには、いかに気丈な希歌さんでも耐えられず、悲鳴をあげその場に尻餅をついてしまう。

 口の中の水が零れたことを気にしなくてはいけないのだろうが、しかし自分は、もっと別のことに気を囚われていた。


 今際の際、躯劾が酷く愉しそうに、笑ったような気がして──


「痛、っ!?」


 希歌さんの二度目の悲鳴で、現実に引き戻される。

 炎が消えたいま、周囲は闇黒だ。それぞれが持つライトだけが、唯一の光源。

 それで照らせば、希歌さんが右手を、抱きかかえ泣き叫んでいた。


 手の甲から、血が滴っている。

 枝かなにかが刺さったのだろうか?


 この間にも、闇の向こう側から泥人形が、のたりのたりと近づいてくる。

 あまりの出来事が連続していて、衝撃的すぎて、思考が麻痺しつつあったぼくは、金縛りにあったように身動きが取れなくなり。


「立てぇ、黛ぃ! 泣いてる暇なんかねーぞ! ヤベーだろうが、ヤベーのがわかんねーか!? あぁ!?」

「ひぃっ!? いだっ、(いだ)い!?」


 加藤さんが希歌さんを抱え起こし、容赦なく彼女の頬をひっぱたく。

 二度三度とビンタを繰り返すうち、彼女の頬は真っ赤に腫れ上がってしまった。

 反射的に怒りが脳天までわき上がり、自分は加藤さんに食ってかかる。


「なにしてるんだ、あんたは! 希歌さんになにを──」

「てめぇがなにやってんだって話だろーが!」


 鼻っ面を、思いっきり殴られた。

 視界の中で火花が散り、鼻から鮮血が零れ出す。

 痛む顔面を押さえながら彼を睨み付ければ、ヒグマのような男が歯を剥き出しにして。

 しかし、冷静に叱りつけてきた。


「ここは異常だ。テメェが黛を見てやんねェで、誰がこいつを心配すんだよ、あ? いますぐ行動しなきゃなんねェんだよ、見て解れよボンクラぁ!」

「……っ」


 ぴしゃりと正論で殴られ、我に返る。

 そうだ、いまは希歌さんの安否こそが、大事ではないか。

 激昂するなど、どうかしていた。取り乱している暇など、ないのだから。

 泥人形から視線を切って、頷く。


「解ったか? 解ったなら肩を貸せ。黛を支えて走るんだよ。田所ぉ! おめぇはカメラ回したまま走れ! 一瞬でも撮り逃すな!」

「りょ、了解……!」


 加藤さんが希歌さんに右肩を貸し、言われるがままにぼくは反対側を支える。

 そのままぼくらは、一目散に山を駆け下りた。

 泥人形の、ぺたりぺたりという足音はしばらくついてきたが、やがて消えて。


 背後では、赤ん坊と。

 何か得体の知れないもののうめき声が、響き続けていた。

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