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嗤う泥泪  作者: 雪車町地蔵
第二部 泥泪サマはそこにいる ~エンデミック~

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第十六話 道化師はふたたび病院で

 にゅっと手を伸ばすと空気の壁にぶつかる。

 慌てて引き戻すが、そこにはなにも見えない。

 試しにノックをしてみよう。

 こつんこつんと手が跳ねる。


 もう一度手を伸ばすが、やっぱりなにかにぶつかって。

 にっちもさっちもいきやしない。


 おおげさに肩をすくめてみせれば、こどもたちの顔に、大輪の花が咲いた。


 ここは水祝(みなはふり)記念病院の小児病棟。

 ぼく、橘風太は、ふたたびホスピタル・クラウンとしてこの地を慰問(いもん)していた。


「きゃっきゃっ」

「あははは」

「もっとつよく押したらとおれるよ!」


 こどもたちの笑い声に促されるまま、パントマイムを続けていく。

 手荷物が急に動かなくなって、振り回されるなんて演目もこなす。

 大はしゃぎのこどもたちの中には、しかし苔色髪の少女──湖上(こじょう)結巳(ゆいみ)の姿はなかった。


 大盛況で、仕事が幕を閉じた後日。

 ぼくは三度、病院を訪ねた。


 無論、健康診断のためとかではない。

 すでに身体は復調していて、いささかの異常も感じられない。

 だから、なんのために訪問したのかと問われれば。


「こんにちは、結巳ちゃん」


 この少女に会うために、足を運んだのである。


「まあ、〝そよかぜおじさん〟。おひさしぶりですってー。すこし、変わられましたか?」

「……ぼくは元気だよ。すごく」

「そうですか。だったら、〝にこー〟ですって!」


 嬉しげに頬を緩める少女は。

 しかし以前に出会ったときよりも格別にやつれている。

 もとより血色の悪かった肌は、白色を通り越して青くさえあって。

 手足は、枯れ木のように細く、いまにも折れてしまいそうだった。


 対して髪の毛だけが、最初に出会ったときよりも驚くほど伸びて、いまは腰までもある。

 子どもの成長は早いというが、驚くしかない伸びしろだ。


 結巳ちゃんは、集中治療室や無菌室にいないのが不思議なくらいやつれきっていた。ミイラのように、干からびていた。

 そんな残酷な表現すら、生ぬるいように思えてならない。


 そっと来客用のパイプイスを取り出し、ベッドの隣、結巳に寄り添うように腰掛ける。

 少女は気を許してくれているのか、ぼくの手を取ると、ネコのように頬をこすりつけた。


「おにいさんは、あったかいですね。おひさまみたいです。くっついてると元気がチャージされますってー」

「結巳ちゃんも」


 温かいよと口にしかけて、呑み込む。

 お世辞にも、彼女の体温は高くない。


 請われるまま、楽飲みで彼女に水を飲ませながら、近況を聞く。

 彼女はどうしてだか、しきりに喉の渇きを訴えた。


「熱は、ないんですよ。ちょっぴりからだが動かないだけで。それで、今日はどうしたんですか?」


 どうしたのかと言われれば、仕事をしに来たというのが正しい。

 臨床道化師は、なにも芸事を患者に見せることだけが仕事ではない。

 ときに寄り添い、話を聞いて、心のケアをするのが役割だ。


 先日、興行を終えたあと、看護師さんとの申し送りで、結巳に会ってやってはくれないかと依頼を受けたのである。

 少女はぼくの演目をたいそう楽しみにしてくれているが、ベッドから起きて長時間観覧する体力もないのだと。


 だから、極めて短時間の面会という形ではあったが。

 今日は、少女に会いに来たのだった。


「お兄さんは顔に出やすい人ですね」

「よく言われる。子どものころはすごい泣き虫だった」

「それは……意外ですって」

「本当だよ、幼馴染みに黛希歌というひとがいるけど、彼女には笑われっぱなしで」


 ついでに言えば、叱られっぱなしだった。


「ぜんぜん想像できないですってー」


 驚いたように目を丸くする少女は、なにかを考えるように目を閉じる。


「そのひとは」

「希歌さん」

「希歌さんは、すてきなひとですか?」

「うん。すごく素敵なひとだ」

「ひょっとして……大切なひとですか?」


 無言で頷いてみせれば、少女は目を開け、困ったように苦笑した。


「ぼくの話はこのくらいにしよう。できれば、結巳ちゃんの話が聞きたい」

「……おはなし、してもいいのですか?」

「結巳ちゃんが大丈夫なら」

「なんだか、はじめてゆるしてもらった気がします」


 にこーっと、花が咲くように少女は微笑んで。

 そうして、自分のことを話してくれた。


 ここ最近楽しかったこと、体調のこと、すぐに眠くなってしまうこと。

 少しだけ早口で、時間を惜しむように、彼女は言葉を重ねる。

 これまでは話すことができなかったのだと言わんばかりに、少しでも自分のことを知ってもらいたいと言わんばかりに。


「好きな絵本があるんです。昔、お母さんがよく読んでくれた〝いるかのお姫様はびょうきです〟というご本です」

「それは、どんなお話?」

「はい、ハッピーな終わりかたはしないのですが。ある日、海に黒い雪がふって、イルカのお姫様が病気になって……そうして、最後には死んでしまうのです。『だれか おひめさまを たすけるひとは いないのでしょうか?』って、そんな言葉で締めくくられます。お花がいちりん咲いて、終わるんです」


 けれど、彼女はその物語が好きなのだという。


「悲しいですけれど、お姫様はさいごまで頑張って生きているのです。それを、お父さんである王様や、お母さんである女王様、神様やたくさんのお友達ががひっしでたすけようとするんです。わたし、これを読むたびに、なんだか胸がいっぱいになって」

「…………」

「あ、あの!」


 こちらの沈黙を、なにか誤解したのかもしれない。

 少女は声を少しだけ張り上げると、枕元をごそごそと漁った。

 一冊の本が取り出され。

 こちらへと、突き出される。


「よかったら、お兄さんにも読んでほしいのです!」

「ぼくに?」

「はい。すごく、すごく大切なお話なので」


 大切な、話か。


「えっと……おイヤ、ですか……?」


 不安げに訊ねる少女の。

 モスグリーンの髪の毛にそっと触れながら、ぼくはゆっくりと首を振った。


「ううん。ありがとう、大事に読ませて貰うよ」

「わぁ……!」


 ぱぁっと明るくなる少女の表情は。

 しかし、次の瞬間苦悶に歪む。


「げほっ! ごほっ!」


 酷く咳き込む結巳。

 慌ててナースコールへと手を伸ばし。


 その手を、グワリと掴まれた。


 少女の手ではない。

 皺だらけの、老人の手。

 振りかえれば、そこにはいかめしい表情の、白衣の老爺が立っていて──


水祝(みなはふり)、理事長先生……?」


 思わず、その名を口にしていた。


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