第二十一話 伊達屋敷
伊達屋敷は大江戸城の直ぐ横にあった。舞湖はお城は直ぐそこに見えてはいたけど川探索に追われていてお城に近づくのははじめてだった。
「なんかお城は大きいけど堀の数が少ないのよね」
舞湖の呟きに片倉が反応した。片倉は伊達家の筆頭家老でお爺さんじゃない伊達宗政によると結構有名人らしい。その伊達宗政は籠の中で蠢いている。片倉と舞湖は徒歩だ。舞湖は歩きながら無意識に距離を感じながら歩き単純に皇居と比べていたのです。
「この大江戸城は大きな城ですが、まだ完成していないそうです。帝のお住まいと五重の天守はできておりますが、大名屋敷や外堀はまだ出来ていないのです」
「外堀?内堀は完成しているのですか?」
「内堀はありますが完成しているかは某にはわかりません。関白様と上様しかわからないと思います」
「そうなのですね」
外堀がないのね。そういえば外堀通りっていう道路があったあった。お城の堀って意味だったのね。今わかるのかよって感じですが舞湖は普通の中学生なので大人の常識と比べると不足しているところが多いのです。知識も偏ってるちょっと変わった女子ですし。もっと勉強しておくんだったと思っても後の祭りである。
「だから小さく感じたのか。皇居のお堀が少ないと思えばいいのよね」
片倉は舞湖の呟きをきっちり聞いていたがわざと無反応だ。狸か狐か鵺か、この娘の正体いかに!全面支援を指示はされたが不気味な娘には違いない。見た目は普通の女子なのだが発言が奇妙すぎる。片倉は宗政からこっそり正体を見極めるように言われていた。舞湖はそんな事になっているとは思わずに通常運転です。気にしても仕方ないのです。不思議少女に見えるのはあったりまえなのですから。不思議なのはこっちよ、と言い返したいくらいです。
伊達屋敷は海の側だった。平川に沿って進み、平川が海に注ぐ手前で右に曲がったところだ。うん、日比谷公園だよ、ここ。多分だけど。平川はこの当時有楽町辺りの日比谷湾に注いでいたと本で読んだ。舞湖は日比谷といえば日比谷公園しか知らなかったのでそう思ったのだが、正解だった。
伊達屋敷に入るとお出迎えの人が並んでいます。
「殿、水野舞湖殿です。大殿から伊達家の客人として扱うようにと言われております」
片倉に殿と呼ばれたのは壮年の顔の怖いおじさんだった。舞湖を睨んでいる。舞湖は当然の反応なので気にしていない。胡散臭い女子が突然くればそう思いますよね。
「水野舞湖と申します。大江戸の水不足対策のお役目についております。ご縁があって伊達様のご支援をいただける事になり感謝いたします」
舞湖は精一杯着飾った挨拶をした。
「父上。これは一体?」
宗政はその声を聞いて籠の窓を開けた。無視されてんじゃん!精一杯の努力が無駄!
「上様のご命令だ。謹んで受けよ」
「説明をいただきたい」
殿と呼ばれた男は籠と一緒に屋敷に入って行った。
舞湖はキョトンとして立ち尽くしている。一緒に来た玉井が機転を効かせてきっかけを作ってくれた。
「片倉様。水野様の計画されている工事に必要な人足が足りていないのです。何かいい案はありませんでしょうか?」
片倉大十郎は玉井を見た。片倉もどうしようかと思っていたところでいい助け船だと感じた。
「玉井殿であったか。伊達家は今普請工事を行なっていない。余力はあるが、国元に皆帰っていてな。大殿がどこまで本気なのかもまだわからん」
それを聞いた川久保信春は、
「片倉様。舞湖の、水野殿の考案された工事のお話を聞いてはいただけませんか?大江戸の未来のために必ず貢献できる素晴らしい物なのです」
「川久保殿。お主の事は倅から聞いている。片倉家としてもなんとかはしてやりたいのだが、伊達としては殿次第でござる」
「御嫡子でございますか?それがしの事をご存知と?」
川久保は徳川の旗本だ。伊達家家老の片倉家と知り合いになった記憶がなかったので不思議に思った。するとその倅が現れた。その姿を見た舞湖は、
「一円玉が6個!違う、穴が空いてるから五円玉だってそれも違うじゃん」
片倉の倅は憲政と言った。立派な服を着ていてその胸のところに銭の刺繍がしてあったのだ。川久保はそれを見て、
「な、なんと。それは真田の六文銭!」
憲政は川久保に向かって膝をついた。主人に対する仕草だ。
「川久保様。お目にかかれて恐悦至極にございます。伊達家家臣、片倉憲政でございます。以後お見知りおきを」
川久保は何が起きたかわからない。
「か、片倉様。何をおっしゃいます。某はただの旗本風情。外様とはいえ大名家の家老職にそのようにされては」
「某の家内は真田村幸の息女にございます。それを武の誉とし、家紋を六文銭にいたしました。真田は武田原神公の家臣。そして川久保様は原神公の弟の直系。某の主筋でございます」
舞湖はまたまたキョトンとしている。舞湖の知識は大河ドラマ程度だが流石に武田原神はわかる。その弟の直系。ふーんて、えええええええ!
武田信玄の弟は川窪家の養子になり、川窪を名乗るようになります。長篠の戦いで亡くなりますがその子孫は川久保を名乗り現代まで血筋は続いています。甲州征伐の後、徳川家に仕えるようになったと言われています。




