第一話 御茶ノ水と水道橋
「ねえ、お母さん。何でここは御茶ノ水って言うの?」
水野舞湖が6歳になった頃、楽器屋のウィンドウショッピングが趣味の母に聞いた。楽器は高いらしく見るだけで良いという母は暇があると舞湖を連れて御茶ノ水まで歩いてくる。家があるのは湯島なので散歩がてらの運動も兼ねているのだろう。
「面白い事に気付くのね。そうねえ、何でだろう?そんな事考えたこともなかったわ。名前には意味があるってお父さんが言ってたよね。きっと昔の人はこの駅の辺りでお茶を飲む時の水を汲んだのよ。井戸でもあったのね、きっと」
子供の好奇心に関心しつつ母は超適当に答えた。子供は当然間に受ける。まだ疑う事を知らない素直な年代です。
「美味しいのかな?」
「そうねえ、きっと美味しいんじゃない?名前が残るくらいだからね」
「そうなんだ。名前が残るってすごいんだ。お母さん、じゃあ水道橋は何で水道橋なの?」
「ええと、そうねえ。神田川の橋の名前………、そんな橋あったっけ?きっと水道の橋があったのよ。水道って水道管ていう管で水を運んでいるのよ」
話を少し変えて誤魔化す母。
「銀色のところを捻ると水が出る」
「そうよ、その水は水道管を通ってお家にくるの。多分昔、空中に水道管があったのね。水道の橋が目に見えたから水道橋」
母は適当な事を言ったのだが、舞湖はそれを信じた。その何気ない会話が舞湖の運命を変えるとは知らずに。
舞湖は9歳になった。母の散歩は続いていて休みは相変わらず御茶ノ水の楽器屋巡りだ。舞湖は少し前に小学校で行った遠足の事を思い出していた。駅前の橋から赤い電車が見えたのだ。あの電車で途中乗り換えて村山貯水池というところまで出掛けたのだ。
「ここは多摩湖って言うんだって」
お友達の芽衣ちゃんが教えてくれた。
「でも先生は村山貯水池って言ってたよ」
「でもそう言うんだよ。おじいちゃんの家が東村山にあって私はここにくるのは2回目なんだ。東村山音頭っていう歌があって、庭さきゃ多摩湖って言ってた(志村けんさんが広めた東村山音頭は少しフレーズは違うが実在します)。うちのおじいちゃんはものすごく物知りなんだよ」
「ふーん。多摩湖かあ。確かに湖みたいだ」
先生が集合をかけたので集まると、村山貯水池の説明が始まった。なんでも東京都民の飲み水の拠点でなんたらかんたら。難しくってわからなかったがふと御茶ノ水を思い出した。
「先生、水って水道から蛇口を捻ると出ますよね。この貯水池の水が繋がってみんなが飲んでるのですか?」
「いい質問だね、水野さん。水の質問だな、水野さんだけに」
誰も笑わない。受けを狙ったのだろうけど最近の子供はこのくらいでは笑わないのだ。ちなみに舞湖は1984年生まれ。今は1993年、巷ではポケベルが流行っていて携帯電話はまだそれほど普及していない。先生ですらまだ携帯電話は持っていないし、そもそもまだ検索という文化がない。その為、今なら簡単にネットで調べられる事が図書館にでも行って一日かけて探さないと調べられない、そんな時代にたまたま遠足で行った貯水池の事などいくら小学校の先生でも詳しく知るわけがない。先生は少し考えてから、
「ええとね。先生も良くは知らないのだけれど、都内の水は今は利根川水系だったと思います。ですのでこの貯水池の水をいつも飲んでるわけではないと思います。先生も子供の頃に社会で習ったのだけど、神田川ってあるでしょ?」
「御茶ノ水のところの川ですよね」
「そうよ。飯田橋、水道橋ときて御茶ノ水を通るあの川だけどあれは、井の頭公園から水が出てるのよね。で、昔の人はそれを飲み水にしていたの」
舞湖以外はみんな絶句している。だってそんなに綺麗な水には見えない。
「でね、人口が増えて水が足らなくなったのよ。確か、江戸時代ね。で、そこで出てくるのが玉川上水!」
話が飛びすぎてみんな絶句している。玉川上水って何?そういえば先生の苗字は玉川だった。
「気づいた?多摩川っていう川があるのは知ってる?」
また話が飛んだ気がした。何の話だっけ?そう思っていたら同級生の鈴木くんが手を上げた。
「はい、先生。立川の親戚の家の側を流れているのが多摩川です」
「そうね。奥多摩の方から川崎の方まで続いている大きな川よ。その多摩川の水を江戸の水不足解決のために江戸まで持ってくために掘った川が玉川上水なの。先生のご先祖様らしいんだけどね」
みんな絶句している。今度はすげえーという気持ちで。
「先生のご先祖様はね、徳川幕府の依頼で江戸時代にすごい工事をして多摩川の水を都内まで流れるようにしたんだって。それで玉川の苗字を貰ったって先生のお爺さんが言ってました。昔は苗字がない人が多かったのは知ってる?」
みんな絶句している。苗字がないという事は下の名前だけで呼ぶのか。そういえばテレビの時代劇では町民は名前で呼ばれていた。
遠足の後、舞湖は神田川と玉川上水の事を図書館へ行って調べた。お友達の芽衣ちゃんも一緒に。芽衣ちゃんは舞湖が水野さんだけに水に興味を持った事が面白くて付き合っていたのです。先生の駄洒落がツボにハマったようです。その時は笑わなかったのですが、後から思い出すと面白くて笑いが止まらなくなったそうです。水の話は調べるとなかなか奥が深いようで図書館へ通い続ける事になっていました。子供の頃に母親に聞いた話が本当だったのに感動しどっぷりハマってしまいました。
そうして舞湖が14歳になる頃には水野舞湖は水の博士と言われるようになりました。とにかく詳しいのです。徳川家康が関八州を治めるように豊臣秀吉に言われて江戸を本拠地にすると決めて。そして幕府を開いて荒川の流れを変えて水運を発達させて。江戸の人口が増えるに連れて飲み水が足りなくなって。新宿西口の高層ビルが元は貯水池だったなんて舞湖が言うから皆信じるけど他の人が言ったら嘘つきだと思われる事でしょう。
そして舞湖はある事をどうしても試したくなっていました。幼き頃の夢でもあった。
<参考>
御茶ノ水の名前の由来ですが、二代将軍徳川秀忠がお茶を飲むのにたまたま今の御茶ノ水駅辺りにあったお寺の井戸から組んだ水(小石川上水だと思われる)を使ったところ、美味しかったと言われたのが起源だそうです。
水道橋は舞湖の母が適当に言ったのがほぼあっていて、木で作った水道管で小石川の水を運んでいたのが起源だそうです。