3-07 終末のセクステット 〜世界最後の告白を、君に捧ぐ〜
【『極寒の星』
生還者:1/ソロ】
魔王が死に際に放った大魔術により世界のすべてが凍りついてから、幾星霜。
仲間の賢者によって封印されていた〝僕〟は、極寒の星となったこの世界で、たったひとり永い眠りから醒めてしまう。
滅んだ世界に生還した僕は、氷像となってしまったかつての仲間たち――勇者、聖女、将軍、そして恩人の賢者を救うため、様々な場所に赴いて手がかりを求めていた。
古代遺跡に神の遺物、そして魔族の秘宝……ほんのわずかな糸口でも、僕は諦めるわけにはいかなかった。
それがどんなに孤独で苦しい道のりだとしても、前に進み続ける。
あの日、僕は君の夢を叶えたいと願ってしまったから。
世界がこのまま滅び尽くす前に、君に伝えたいことがあるから。
これは僕が君に想いを伝えるため、鼓動を刻み続ける物語。
誰もいなくなった終末の世界で、僕たちは少しずつ心音を重ねてゆく。
夢はある?
僕が〝小さな大賢者〟プレナにそう聞いたのは、まだ世界が滅ぶ前。
魔王討伐パーティを組んだばかりの頃だった。
彼女――プレナはつまらなさそうに答えた。
「夢か……平和な世界で、のんびり過ごすことかのう」
平和に暮らすだけなんて、大賢者にしては平凡な夢だな。
僕はそう思ったが、プレナは焚火を見つめながら儚げな表情を浮かべた。
「戦争、魔物の脅威、そして魔王討伐……王国にとって平穏など夢のまた夢じゃがのう」
「魔王を倒せば平和になるんじゃないの? そのための僕ら勇者パーティでしょ」
「確かに、あやつはいずれ魔王を倒すじゃろう。じゃが一つの争いが終わっても、今度は別の争いが起こり始める。それが人の営みというものよ」
切なげな彼女の言葉を、僕は否定できなかった。
プレナはすでに数百年を生きている長命種だ。見た目こそ幼いが、大賢者として多くの時代を見届けて来た。
まだ十五歳の僕とは、言葉の重みが違いすぎた。
「夢は夢。こうして語るのが関の山じゃよ」
「……なら、僕が世界中の争いを無くしてやるよ」
「おぬしが?」
「うん。プレナより強くなる予定だからさ」
僕が精いっぱい虚勢を張ると、プレナは鼻を鳴らした。
「ふっ、相変わらず生意気なガキじゃのう」
「いつもガキって言うけど、身長はとっくに僕の方が高いから」
「まだわしの方が高いのじゃっ」
頬を膨らませて立ち上がったプレナ。
座っている僕と目線が同じなのに、背伸びでなんとか誤魔化そうとする大賢者。僕が笑うと、すぐに顔を赤くして杖で小突いてくる。
魔術の腕は王国随一だけど、腕力は子ども並みだから痛くも痒くもない。
……この時のプレナは、僕の言葉なんて気にも留めていなかっただろう。
だけど僕は本気だった。
僕は、プレナの夢を叶えてあげたいと本気で思ったのだ。
そして、時は流れ。
僕らは魔王を討ち取った。
しかし魔王が死に際放った大魔術が、この星のすべてを凍りつかせてしまった。
世界は氷河期を迎え、あらゆる生命が鼓動を止めた。
そして僕たち人類もまた、滅んだのだった――
◆◇◆◇◆
「くしゅん!」
くしゃみが、遺跡内に響いた。
その瞬間、幾つもの殺意が僕に向く。
赤い瞳が侵入者の僕を睨みつけた。
気を抜いていたつもりはないけど、慣れても寒いものは寒い。生理現象は止められないのだ。
牙を剝いた狼の魔物たちに、僕は指先を向けて魔術を発動させた。
「『スタン』」
魔物たちは身を震わせて、倒れた。
僕は地面で痙攣する魔物を放置して、そのまま先へと足を進める。
白む息を吐きながら長い通路を抜け、凍っていた罠を踏み越え、かつて踏破した記憶をもとに道を辿っていく。
そうして着いたのは、最奥の宝物殿だ。
その中央の台座に仰々しく飾られていたのは、輝く黒曜石。
「よし、残ってた!」
黒曜石の名は『解呪の輝石』。
あらゆる呪いを解除する秘宝だ。以前ここを訪れたときは、僕らには不要だったから回収しなかったのだ。
僕はそっと輝石を手に取る。
「……あ」
だがその瞬間、粉々に砕け散ってしまった。
僕の手から零れ落ちていく輝石の残骸。
「だめか……」
『解呪の輝石』なら、魔術の影響を免れているかも。
それが薄い可能性なのはわかっていた。やはり他の秘宝と同じく、形は残っていてもすでに朽ちていたようだ。
「……よし。次だ次」
落ち込んでいる場合じゃない。
そう自分に言い聞かせて、踵を返した。
乾いた足音だけが遺跡に響く。
いまだ気絶している魔物たち無視して遺跡を逆走する。もちろん帰り道を間違えたりはしない。
僕はかつて斥候だった。勇者パーティで、罠を見破り正しい道順を見つけるのが仕事だった。
最初は斥候の仕事以外は何もできない世間知らずだったけど、みんなの教えもあって徐々に色んなことができるようになった。
いつも文句を言いつつも、魔術や知恵を教えてくれたプレナ。
剣や礼儀作法を教えてくれた勇者に、医術や料理を教えてくれた聖女、そして武道や学問を教えてくれた将軍。
僕はプレナとだけは四六時中喧嘩していたけど、みんな、素敵な仲間たちだった。
誰一人として失いたくなんてなかった。
いまも、その気持ちは変わらない。
「……ふう。出口だ」
過去を懐かしみながら、外に出る。
眩い光に目がくらむ。
眼前に広がっていたのは、真っ白な氷の景色だった。
繁栄とは程遠い変貌した極寒の星。
人類はもとより生きとし生けるものすべてが滅びた終末の光景だった。
魔力で動く魔物以外、生き残っているのは僕だけだった。
最終決戦で魔王が世界を凍りつかせたあの時。
プレナは、僕に『時の封印』の魔術を掛けた。
そのおかげで僕だけは凍結することなく、魔王城で封印されていた。
それから数千年が経ち、目が覚めたら世界は滅んでいたのだ。
「『オートヒール』『ヒートウィンド』」
数えきれないほどの魔術をプレナに教えてもらっていなければ、僕も目覚めてすぐに死んでいただろう。
遺跡を出た僕は森を駆け抜ける。
かつて魔族領だった危険な森も、いまとなっては見る影もない。
探せば凍りついた魔物はたくさんいるだろうが、軽く蹴るだけで砕けてしまうただの氷像だ。遺跡の外は、魔物ですら生きられない過酷な環境だった。
そのまま魔王城まで戻ってくると、ひとまず城のそばにある湖に足を運んだ。
湖の中央付近、凍った水面にボコボコと穴があいているその場所まで来ると、僕はいつものように魔術を発動させる。
「『インフェルノ』」
すると水面が溶け、死んだ魚が浮かんでくる。
唯一の救いは、水と食料が凍ったまま保存されていることだ。
とはいえ一度溶かしてもすぐに水も魚も凍ってしまうので、すかさず拾い上げる。
魔王城のキッチンに移動し、魚を焼いた。
海底遺跡で取ってきた岩塩を削り、まぶして食べる。
勇者と旅をしていたときに比べればかなり質素な食事だけど、貧民街出身の僕にとっては食べられるだけでも充分だった。もちろん、味は微妙だけど。
腹ごなしを済ませた僕は、廊下を歩く。
誰もいない静寂に満ちた城内。僕の息遣いだけが熱を吐く。
僕は大きな階段の先の、これまた大きな扉を開けて謁見の間に入る。
いまでは、ここが僕の拠点だ。
「ただいまプレナ、みんな」
最終決戦の舞台には、いまだ凍りついた仲間たちの姿があった。
その一番後ろでこっちを向いて微笑んだまま固まっているのは、小さな大賢者プレナ。
いつも小さいとからかっていたけど、僕の中で、プレナほど大きな存在はいなかった。
彼女のすぐそばに座り込む。
いまでは、座っても僕の方が目線は高くなってしまった。
「ごめん、今日もダメだった。けど次こそは必ず……」
彼女の冷たい頬に、そっと手を触れる。
何も言わない氷像となったプレナ。
この小さな唇が発する甲高い声が、ひどく懐かしかった。
また、くだらない喧嘩をしたい。
そしてこの気持ちをちゃんと伝えたい。
僕は、ぐっと拳を握った。
もちろん他の仲間たちも、必ず戻してみせる。
それから凍った仲間たちの向こう側に、いまもなお怒りの表情を浮かべている魔王がいた。
聖剣で胸を貫かれた、すべての元凶が。
とはいえ魔王は魔術を放ったときに息絶えている。
僕が視線を映したのは、その手前にいる一人の少女だ。
「ペルベチカ……」
戦いの最後。
魔王にトドメを刺そうとしたその時、魔王の娘のペルベチカが父を庇うように飛び出してきたのだ。
勇者はペルベチカを傷けることができず、魔王に魔術を使う隙を与えてしまった。
……いや。
みんな同罪だった。魔王を背にしたペルベチカを巻き込んでしまえば僕らでも魔王を止められる状況だったのだ。
だけど躊躇ってしまった。
ペルベチカは対話での和睦を求めていた。戦うことなく両種族の仲を取り持とうと必死だった。僕たちの旅にもついてきて、何年も説得していた。
だけど魔王軍との戦いは国が決めたことだ。僕たち勇者パーティも国の意向には逆らえない。
誰にも憎しみを向けない、優しい魔族の姫。
僕たちは共に旅をした彼女のことを気に入ってしまった。
だからこそ誰も彼女を手にかけることはできなかった。
「……後悔しても、遅いよな」
ペルベチカは悪くない。
魔王を止められなかった罪は、僕たちにある。
きっとこの大罪は死ぬまで贖えないだろう。
けど、だからこそ、僕は諦めない。
勇者に。聖女に。将軍に。そして大賢者に育てられた僕が。
「みんな、待っててくれ」
せめて君たちだけでも戻通りにしてみせる。
そしてプレナ。
種族も年齢も違う僕を、君は受け入れてくれないかもしれないけれど。
いつか君に、僕のこの気持ちを――
ピシリ――パキッ
不意に、氷が割れる音がした。
いままで微塵も感じなかった〝熱〟が生まれる。
僕は、とっさに動いていた。
氷の殻が砕けて倒れこむ彼女を抱える。
「うぅ……?」
まさか……。
僕は呆然と、腕の中の少女を見る。
彼女――ペルベチカは、その綺麗な瞳をぼんやりと潤ませていた。
……ようやく、僕以外が目を覚ましたんだ。
僕は腕の中の彼女のぬくもりに、つい嗚咽を漏らしてしまうのだった。
孤独な終末の世界に、心音が重なった――
【『極寒の星』
生還者:2/デュオラ】