3-06 その妹、狂人につき
ゼラクシン過剰症候群――通称ZESとは、様々な特殊能力を発症する奇病である。超人的な能力を恵まれながらも自身の力を暴走させてしまう患者は多く、結局は外界から隔絶された専門病棟で一生を終えるケースも珍しくはない。
そんなZES患者の一人である紡木零韻は、同じくZES患者である双子の妹に命を狙われては返り討ちにしていた。どちらかが死ぬまで続くであろう攻防に終止符を打つため、そろそろ妹をコンクリ詰めにしようかと思い始めていたその矢先、レインは知人の気狂い研究者からある提案をされる。
「君の妹を実験材料にした研究に付き合ってほしいんだ。その代わり、君を彼女から守ると約束するよ」
人の命など羽根より軽いこの病棟で、レインは生き残るための道を模索する。
深夜。誰かが上からのしかかってくるような重みを感じて、眠っていた紡木零韻は目を覚ました。ぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと一度瞬きをする。
「――――」
普段から眠りが浅い彼女の意識は、それだけである程度はっきりした。それから頭を巡らせて、やけに明るい室内を見回す。
月明かりに照らし出された病室は、無機質でありながら妙に幻想的だった。しかし閉めたはずのカーテンがなぜか開け放たれており、銃弾すらも通さぬはずの窓ガラスは無惨にも粉々だ。夜風がひゅうと入り込んできて、レインの頬を撫でていく。
ベッドに寝転んだまま壁掛け時計を確認すれば、今は午前二時を回ったところ。そんな感じに現状を把握し終えてから、ようやくレインは自分にのしかかってきている人物に目を留めた。
「……あなたはまたこんな時間に病室を抜け出して」
「だって、昼間に抜け出したら殺す人数が増えちゃうもの。それってちょっと面倒臭いわ」
ナイフを片手に唇を尖らせる少女。人外じみたその美貌は、しかしレインにとっては鏡を見るのと同じくらい見飽きた顔でもある。
「それで、今夜は何人殺したの」
疑問系ですらないレインの問いかけに、少女はウフッと微笑んだ。
「安心して、二人だけよ」
そう、とレインは相槌を打つ。二人だけ。……まあ、この病院に収容された当初は、一度の脱走で十数名が犠牲になっていた。それを考えると二人という数字は確かに少ないが、そもそも死人が出ている時点でアウトである。
「……眠れないの? レア」
「ええ、お姉様。お姉様が生きている限り、愛したくて愛したくて気が狂いそうになるの」
恍惚とした表情で、レアはうっとりとレインを見つめる。双子の姉に向ける表情ではないと思うが、昔からこの愚妹はレインにこの目を向けてきた。好きで好きでたまらなくて、だからこそ殺したくて仕方ないのだと笑顔でナイフを向けてくる。
しかし、そんな妹に対してレインはどこまでも無関心だった。どれだけ命を狙われようと、奇襲されようと、そんなのはレインの心を揺り動かすものにはなりえない。今までずっとそうだったように、これからも。
「……ねえ、お姉様」
「なに」
「お姉様は、私のことが嫌い?」
ここで嫌いと答えれば、むしろレアは大喜びしただろう。生まれて初めて姉から『感情』を向けられたと、そう思って。
しかしレインの答えは「いいえ」だった。いつも通りの顔で、いつも通りの平坦な口調で。
「嫌いじゃないわ。あなたが何度私を殺しにきても、私があなたを嫌いになる日は永遠にこない」
こうして今夜もレインはレアを絶望させて、顔を歪ませたレアがナイフを振るい、そして。
真っ白だったはずのシーツは、あっという間に真っ赤に染まった。
◆ ◆ ◆
翌朝。レインは研究員から渡された請求書を親の仇のごとく睨みつけていた。なぜ窓を破壊した愚妹にではなく自分に請求書がくるのか。まったくもってふざけている。
真夜中の姉妹対決は、妹を滅多刺しにして地下病棟へと送り返したレインの圧勝で終わっていた。しかしどうせまた懲りずに殺しに来るだろうから、もういっそ妹をコンクリ詰めにでもしようかとレインは半ば本気で考える。問題は、そこまでしても止められなかった場合が怖すぎるということ。
悶々と考えながら、今日もレインは患者専用の食堂でぼっち飯だ。この病棟は比較的『序列』がはっきりしているため、上位者であればまず不用意に絡まれないし声もかけられない。考え事をするにはうってつけの環境である。
ここは国立ZES研究機関附属病院。通称ZES専門病棟だ。
ZESというのは、ゼラクシン過剰症候群(Zeluxin Excess Syndrome)の略称であり、様々な特殊能力を発症するという奇病だった。原因は『ゼラクシン』と呼ばれるホルモンの異常分泌とそれに伴う脳の誤作動だとされているが、正確なメカニズムは未だに解明されてはいない。
最先端のZES研究所に併設されているこの病院では、おもに重度と診断された患者が収容されていた。症状が重くなればなるほど――つまり強力な能力者であればあるほど、自身の力をコントロールできずに暴走することが多いのだ。そのため有事の際には、医者だけではなく研究員も駆けつけて対応できるような体制が整っている。
ちなみにレインの妹である麗亜は、重度を通り越して『末期』の患者だった。末期だと診断されるのは、能力の強さに加えて危険思想の持ち主だと判断された場合に限る。日本においてはレアのほかにもう一人しかいない特殊なケースでもあった。
「よー、レイン。また妹に襲撃されたって聞いたけどマジ?」
「おはようございます、リズ先輩。そうですけどなにか」
「荒んでんなあ……まず目つきがヤバい」
あと少しで食べ終わるというところで、顔なじみの不良がやってきてしまった。人工的な金髪には派手なブルーのメッシュが入っており、リングやらピアスやらブレスレットやらのせいで全体的にジャラついた印象だ。年齢はレインより一つ上の十八歳。極力他人として処理したい不良っぷりなので、レインはさっさと席を立とうとする。しかしあからさまなその態度が悪かったのか、あろうことか不良少女はレインの隣に腰を下ろして続けざまに話しかけてきた。
「そんな急がなくてもいいじゃん。で、一応訊くけどあんたに怪我は?」
「ありません。もういいですか、このあと粉微塵になった窓ガラスの入れ替え工事があるんで」
「立ち会う必要ないやつだろそれ。つーかマジいかれてんなあ、あんたの妹。毎回コンクリート壁をぶち破って地下から出てくんでしょ?」
「ええ。純粋なパワー勝負だとリズ先輩よりもあれのが上じゃないですかね」
リズこと久遠杠葉は、その見た目に似合わず『怪力』の持ち主であった。彼女が本領を発揮するのはまた別の能力なのだが、リズのように複数の能力を併せ持つZES患者は結構多い。
話し込む二人のそばから、ほかの患者たちが戦々恐々と距離を置く。絵に描いたような不良と荒んだ目の美少女という組み合わせはいつだってひどく目立った。だが、そもそも『序列』一桁の時点で遠巻きにされないわけがない。強大な能力者とは、かくも孤独なものである。
「そういやカンナからあんたに伝言。話があるからできるだけ早く第二病棟に顔出せとさ」
「げっ……ついにカンナくんの実験道具にされる日がきたのかも……」
「や、道具じゃなくて助手じゃん? あいつがヒト扱いすんのなんて後にも先にもあんただけだし」
レインが渋い顔をしているうちにリズも朝食を食べ終わり、二人は揃って食堂から出る。年齢的には高校生である二人だが、ZES患者である以上は学校に通う義務もなかった。学びたければ研究員が講師を務める高等学科を受講することも可能だが、レインもリズもその必要性を感じていないため参加の申し込みはしていない。
そんなわけで昼食まで暇な二人は、カンナが待つという第二病棟へと向かうことにした。途中、業者がレインの病室に新しい窓枠を運び込んでいるのを目撃してしまい思わず半眼になる。どうやら窓が粉々になっただけでなく、フレームごと盛大に歪んでいたらしい。
「つーかさ、妹から殺したいほど好かれる心当たりとかないわけ? 要は妹の興味をあんたから逸らせればいいわけだし」
「心当たりならありますよ。本人曰く『双子って遺伝子レベルでおんなじなのよ。最高だわ』とのことです」
死ぬまで解決しない問題だった。さすがのリズもドン引きする。
「好きな理由も殺したい理由も『双子だから』ならお手上げじゃん……あんたもうカンナから離れないほうがいいわ」
「ええまあ、カンナくんの射程圏内にいればレアもそう簡単に近づけませんからね。最悪ミンチになりますし」
ああだこうだと話しながら第二病棟へと続く渡り廊下を抜けて、マシンガンで武装した研究員たちの脇を通り過ぎる。第二病棟の関係者じゃないのに、こうして顔パスできる事実が悲しい。
「んじゃ、あたしはここで。せいぜいコキ使われな」
「嘘でしょ、一緒に来てくれないんですか」
「誰が行くかあんな魔境。あの気狂いとは廊下ですれ違うのすらごめんだし。ま、用事が終わったらあたしの研究室に寄りな。助けはしないけど慰めてはやっから」
そんな薄情なリズに見捨てられ、レインは仕方なく一人で階段を登り始めた。ZES研究の第一人者であるカンナの研究室は、ここの最上階にあるのだ。
黙々と階段を登り、辿り着いたひとつきりの扉の前。来訪者に反応する『鍵』が、忽然とレインの前に提示された。鍵は日替わり。制限時間は十秒。
――三十八年前の四月九日は何曜日?
一度でも間違えた時点でその日は解錠不可となるそれを、今日もレインは一瞬で解いた。これまでの正答率は驚異の十割。もはや合鍵を持っている気分だとげんなりしつつも、レインは中へと足を踏み入れる。
途端、まるで異世界にでも迷い込んだかのような光景が広がった。真っ先に目に飛び込んできたのは、古代言語で書かれた論文に、用途不明な拷問器具、『触るな危険』の文字が躍る謎の薬品と、無造作に置かれたガスマスク……。今がいつで、ここがどこなのか、レインは一瞬だけ曖昧になる。
「やあ、レイン。ご機嫌はいかがかな」
白衣を着た見目麗しい少年が、微笑みながらこちらを振り返った。
彼こそがこの部屋の主で、『序列』第一位の九条冠那。ZES殺しの異名を持つ、十五歳の末期患者である。