3-02 〝婚約者殺し〟と呼ばれた皇女が、幸福になるまで。
アルレンブル帝国の第一皇女フェリシアは、婚約者が次々と死んでしまったことから〝婚約者殺しの皇女〟と呼ばれていた。
そんな彼女は北の蛮族と呼ばれるラウリネ大公国の君主、フロールにひとめぼれされる。
なぜ妹ではなく自分が選ばれたのか、という疑問を抱きつつ、北の大地で過ごすうちに自己肯定感を得て、そして、夫であるラウリネ大公の真意を知る。
暖かな日差しの下に設置された四阿に三人、アルレンブル帝国の皇帝、ホセの娘であるフェリシアとカルミナの姉妹と、二人の家庭教師であるユミル夫人がいた。
フェリシアは銀糸のようなまっすぐの髪に、ほんのり大人びた顔つきをしている一方で、カルミナは姉よりも豊満な体つきにもかかわらず、あどけなさが残っていた。
「さすがの腕前でございますわね、カルミナ様」
褒められた第二皇女、カルミナはフンと鼻を鳴らし、紅茶を啜る。
カルミナは、すでに職人のような文様まで刺繍ができるぐらいの腕前である。
「フェリシア様はもう、そろそろおやめになったほうがよろしいのでは」
「もう少しだけ」
一方、姉のフェリシアは、あまりこういった作業は得意ではなく、指先についた赤い傷跡がそれを物語っている。
「お姉さま。得意なことで勝負なさったほうが良いのでは」
自分よりできない姉をあざ笑うカルミナの言葉を、ユミル夫人が窘めるが、彼女は聞き入れなかった。
それどころか。
「そんなことをしたって無駄じゃない。だって、お姉さまは〝婚約者殺し〟なんだから」
「カルミナ様!」
〝婚約者殺しの皇女〟
それは、彼女と婚約した男は、次々と不審な死を遂げるという事実からつけられた蔑称だ。
最初の婚約者は帝国騎士団の騎士であったが、皇都の見回り中に川で溺死。
二人目はさる伯爵だったが、ある舞踏会中に毒物が入った飲み物を服してしまい、中毒死。
三人目は安全を期して皇族の中から選ばれたが、遊学中に火遊びを楽しんだ挙句、腹上死。
そして四人目は、とくに三人目のことがあったため、身辺に問題がない隣国の公爵が選ばれたが、皇都に来る途中、まだ顔合わせも済ませていないのに、馬上から転落して死んでしまったのだ。
こういった経緯から、彼女への縁談はさっぱり来なくなった。
そしてまた、妹のカルミナへも縁談はめっきり減ってしまったことは言うまでもない。
だから、彼女が姉を恨むのは必然で、加えて自分よりも劣っている姉を見下すまでに時間はかからなかった。
「いいのよ、ユミル夫人。私は恨まれて当然なのだから」
何度となくさまざまな人から、フェリシアは言われなれている。だからもう、その心無い言葉にいちいち傷つかなかくなったのだが。
「よくありません。今の話を、そのまま陛下に伝えさせていただきますね」
ユミル夫人は許せなかったようだ。
彼女の気迫に、フェリシアのほうが黙りこんでしまった。
その日の夜。
いつもと同じように、皇帝一家が一堂に会していた……のだが。
「〝北の蛮族〟なんて、嫌ですわ」
「しかし、お前に行ってもらわないと困るんだよ」
「どうしてですか!?」
赤子のように叫ぶのは、カルミナ。豊かな金色の髪を揺らしながら、叫ぶ姿は、まるで幼子のようだった。
帝国のはるか北方に位置するラウリネ大公国の君主、フロールが大公就任のあいさつにやってくる、という話は聞いていた。
が、どうやらその顔合わせの場で『皇女のどちらかをもらい受けたい』と、二人の父親である皇帝・ホセに宣ったという。
「あの男は『今後の友好関係を築いていきたい』。そう言ったんだ。その意味はわかるよな」
皇帝としての言葉に、黙りこむカルミナ。
ラウリネ大公はまだ後ろ盾もなく、大公としての経験値も浅いから、この機会に帝国を縁を結んでおきたい。
その続きの言葉にフェリシアもまた、気づいていた。
〝婚約者殺し〟の姉では役に立たない、と。
けれども、いまだけは落ちこむよりもホッとする感情が込みあげてきたフェリシア。
長く住み慣れた土地を離れ、遠い地で過ごすのは心もとないから。
その後、泣きじゃくる妹を説き伏せたのは、ほかでもない兄、アドリアンだった。
彼には弱いカルミナだから、渋々それを受け入れたのだが、自室へ戻るときにもフェリシアのほうを睨んでいったぐらい、すごく嫌だったのだろう。
自分が進んで名乗りを上げることができない悔しさと、〝婚約者殺し〟だから行かなくて済んだことに対する安堵感。
複雑な感情を抱いたまま、自室のベランダの外に出て、夜風に当たることにした。
夏が過ぎ、少しひんやりとした夜風がショールをくすぐる。
いつまで自分はここにいられるのだろうか。
それとも、永遠にここに閉じこめられるのか。
不安に駆られて夜空を見上げると、満天の星空が広がっている。掴めないはずなのに、どうしても掴んでみたくなったフェリシアは、ベランダの手すりから身を乗りだしてしまった。
「しまっ……」
助けを求める声を出す間もなく、落下していく身体。
宮殿の三階に位置する自室から落下する、ということは。
これで妹にもいい縁談が来るはず、そう思って、目を閉じたのだが。
「まるで雪の妖精だな」
黒髪に黒い異国の服装。
まるで物語に出てくる死神みたいで、本当に自分が死者の国に行ったのかと思ったが、正面から伝わってくる熱から、そうではないようだ、とフェリシアはのんびりと考えてしまった。
しかし、見慣れない顔に、この国のものではない服装と、研ぎ澄まされたジュニパーベリーの香り。
そして遠方からの客人という情報。
その二つの情報から、思い当たる人物がいた。
「〝北の蛮族〟?」
「知っていたのか」
うっかりと蔑称を口にしてしまったが、もう遅い。
この抱きしめられている手で、首を絞められるか。それとも腰に下げている剣で、首を切られるか。
しかし、男はニヤリと笑っただけで、彼女に危害を加えるつもりもないらしい。
「噂を知っているはずなのに、怖がらないというのは、なかなかの度胸だな」
耳元で聞こえる低音は、むしろフェリシアを面白がっているようだった。
「これ以上、年頃のお嬢さんがここにいては、変な噂が立ってしまうな」
優しく彼女を地面に立たせた後、男は、ドレスの裾に着いた埃を払う。
そのしぐさはまるで手馴れているかのようだったが、不思議と嫌な気分にならなかったフェリシアだった。
「ちょうどお迎えが来たようだ」
ちょうどそのとき、背後から複数の足音が聞こえてきた。
どうやら彼女が落ちたのに気づき、侍女たちが心配して迎えに来てくれたようだ。
「では、よい夜を」
髪を一房取り、恭しく口づける男。
はじめて会った、見知らぬ男にも関わらず、その仕草に不思議と嫌悪感を抱かなかったフェリシアであった。
翌日の夜、ラウリネ大公の一行との晩餐会が開かれており、皇帝の娘である二人も同席していた。
あとから皇帝とその子ども三人が入場したのだが、もっとも上座に座っていた客人と目が合ったフェリシアは、おもわず目を見開いてしまった。
昨晩、自分を助けてくれた貴人だと気づいてしまったから。しかし、相手は彼女に反応することはなかった。
裾にかけて色が濃くなる青色のドレスを着ているフェリシアと、春の訪れを表したような可憐なピンク色のドレス姿のカルミナは皇帝、そして皇太子の隣に座った。
妹が嫁ぐこと思うと、これでよかったのだと思う反面、なんだか寂しくも感じてしまう。
食事がひととおり終わったところで、皇帝が姿勢を正すと、その場の空気ががらりと変わった。
「こんなところで申し訳ない、大公。昨日の話だが」
「それについてですが、アドリアン皇子の隣にいる彼女の降嫁を願いたいのですが」
しかし、皇帝の話を途中で遮ったフロールの言葉に、喋っていた本人のみならず、その場にいた一同は非礼だとか咎めることもできず、ただ固まってしまった。
もちろん、アドリアンの隣にいたフェリシアもまた。