3-25 愛と獣霊と二人の姫
無念を抱いてこの世を去った獣の魂は、獣霊となって蘇る。白髪に深い青の瞳を持つ獣霊は、人々にとって恐怖の対象である。それがこの世界の理だった。
獣霊払いを自称する少年、アルバは、獣霊を狩る者たち――狩人とは少し変わった方法で獣霊を葬り、日々過ごしていた。
そんな「奇妙な」生活を送るアルバは、いつものように一仕事終えたある日、自宅で「奇妙な」二人の少女と邂逅する――。
獣霊と人をめぐる、愛のファンタジー。
獣の魂はしばしば、人の姿をなして顕現する。それがこの世界の理だった。
人の手によって無残に命を奪われた獣が、恨みを抱いて現世に居残るのだ。
決まって白い髪に深い青の瞳を持った、獣の成れの果ての姿。生前の特徴を有する者もいるが、ほとんどは人間と同じ姿をしている。
それなのに人々は、得体が知れない故か、はたまた報復を恐れてか。彼ら彼女らを見て恐怖を抱かずにはいられない。
いつしかその者たちは、畏怖の念を込めて獣霊と呼ばれ始めた。
そして獣霊に対抗するべく、狩人と、狩人を取りまとめる狩人協会が生まれた。
だから獣霊とは元来、恐ろしい存在であり、敵なのだ。
しかしまれに、獣霊に対して親しみを感じる者もいた。
◇
「再度確認しておくが、俺は獣霊払いで、狩人じゃない。だから獣霊を仕留めることはしない」
日中。森の中に通された道を、中年の男と幼さの残る顔つきの少年が歩いていた。
男は銃こそ持っていないが、狩猟にでも出かけるかのような装備をつけていた。一方、少年は黒いズボンに上着と、男に比べて随分軽装だった。
そもそも森に軽装備で来る人が少ない上に、少年はこの近辺では珍しい、黒曜石のような漆黒の髪と、同色の瞳を持っている。明らかに異質な様相だった。
男は先の少年の言葉に、「何度も聞かされたからな、わかっている」とぶっきらぼうに答えた。
「ならいいんだ。たまに聞いていなかったと言って、俺にナイフを握らせてくる奴がいてな」
「俺はそんな腰抜けじゃねえ。覚悟を持ってきている」
「……そうか」
男は自信ありげに声を上げる。少年は冷めた表情で男の言葉を受け流すと、本路からはそれた、草の生い茂った獣道を指さした。
「獣霊は、この先に留め置いている。あとは好きにすればいい」
「おう」
男は少年の言葉を聞き終わるやいなや、道なき道を、草木をかき分け進んでいった。少年は男の後をそっと追う。
しばらく歩いていると、二人の進む方向に、人影が見えてきた。
白く丈の長い服に身を包み、足元まで届くほどの白い髪を持った女が、じっと男の方を見て立ちすくんでいる。
男はその姿を視界に収めると、「ひひっ」と笑みをこぼした。
「お前さんか、俺につきまとっていた獣霊はよぉ」
「……」
女は答えない。
男は女の態度を気にもとめず、一人で声を荒げていた。
「こちとらお前さんのせいでひどい目に合ってんだぜぇ? 家畜はほぼ全滅。作物も荒らされたとなりゃ食い扶持がねえ。生活ができなくなったも同然よ。なあ、どうしてくれるっていうんだ?」
「……」
「答えないか。まあ、いい。しょせん獣のお前らには難しいことだったろうからなぁ」
男は懐から小刀を取り出した。刃渡りの長い、よく研ぎ澄まされた鋭利な刃物。鏡のような表面に男の笑みが、反対の面には女の無表情な顔が映っていた。
ひゅうと風が男と女の間を抜けていく。男は今にも襲いかからんといった気迫を漂わせていた。
パキと誰かが小枝を踏み折る音がする。
それが、皮切りだった。
ドスッと鈍い音を立てて。
少年の手刀が、男の首に放たれた。
「がっ……!?」
男は小刀を落とすと、その場に崩れ落ちる。少年はさっと小刀を拾うと、変わらない冷めた視線を男に送った。
「貴様……何の、つもりだぁ……!」
男は敵意をあらわにして少年を見る。少年の手刀が効いたのか、男が立ち上がることはない。
「俺は獣霊払いとしての務めを果たすだけだ」
「嘘つけ! なら獣霊を――」
「わかってないな」
少年は、はぁとため息をつくと、男と女を交互に見やった。
女は倒れ伏す男をじっと見つめて、表情一つ動かしていない。
「獣霊はどうすれば『払える』と思う?」
「そんなの殺せば」
「違う」
少年の一層冷たくなった声が、男を制す。静かだが、逆らうことを許さない、重量のある響き。それは男が二の句が継げないようにするには十分だった。
「獣霊とは、つまり怨霊だ。怨霊は未練を晴らさない限り居続ける。獣霊だってそうだ。獣霊を払う最適な手段は――その未練を晴らしてやること」
「ど、どういうことだ」
「まあ、手っ取り早く言えば」
少年の瞳が木漏れ日を受けて怪しげに光る。
「仇を殺す、ということだな」
男は声にならないうめき声を上げた。必死に立ち上がろうとするも、少年に上から押さえつけられてしまう。
「おい、そこの獣霊」
少年は手にしていた小刀を、獣霊に向かって放った。放物線を描いて飛んでいった小刀を、女は両手で受け止めた。
「お前の仇だ。討つなら今だぞ」
男は少年の下で、なおもがき続けていた。
男の目から、先ほどまであった敵意は消え失せている。
今、男の瞳は純粋な恐怖で満ちていた。
女は小刀を男に向けながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
少年によって男の首がぐっと持ち上げられ、固定される。
女が男の前に立つ。男の首に小刀がかけられる。
小刀が、ぐっと引かれた。
力を失った男の体が、だらりと地面に横たわった。
少年は男の死を見届けると、おもむろに立ち上がる。図らずも、眼の前で立ちすくんでいる女と向かい合うような形になった。
少年は女の手からそっと小刀を抜き取る。反論も抵抗も、されることはなかった。
「……お前のおかげで、積年の恨みを晴らすことができた。感謝する」
「それはなによりだ」
少年は男に向けていた顔とは打って変わって、朗らかな笑みを浮かべた。
女も少年に釣られるように、ぎこちなく顔を綻ばせる。少年はその姿を見て、一層柔和な表情になった。
女の姿が少しづつ霞んでいく。
現世に未練のなくなった魂が、還ろうとしている。
すると女がゆっくりと口を開いた。
「……最後に、一つだけいいか」
「うん?」
「お前の名は、なんだ」
少年の肩がピクッと揺らすと、己の短い黒髪をクシャッと掴んだ。
「……知りたいか、そんなこと」
「ああ」
少年は少しの間の後、ぼそりと己の名を呟いた。
「……アルバだ」
「そうか、アルバよ。この恩は忘れぬ。いつか縁があれば、返させてもらおう」
そう言い残して獣霊の女は、霧のように消えた。残されたのはアルバと、男の死体のみ。
まるで何事もなかったかのように、森は普段通りの様子を保っている。
少年は女の姿が完全に見えなくなると、踵を返し、男を残してその場を後にした。
◇
「疲れた……」
アルバは自宅への帰路を歩きながら、ボソリと呟く。くぁと大きな欠伸が漏れ、夕暮れ時の街に溶けていった。
アルバが今居るのは、レンガ造りの建物が立ち並ぶ、やや古めかしい田舎街だった。すぐ近くには森があり、豊かな自然を活かした農業や牧畜が盛んな地域でもある。
ここでは昔から狼などの獣による被害が後を絶えず発生していた。ゆえに他の地域よりも獣霊か多く現れ、問題となっている。
獣霊払いを生業にしているアルバにとっては好都合な街だった。
アルバは路地に入ると、暗がりに紛れた戸の前で立ち止まる。
ここが、アルバが長らく拠点にしている家だった。
道路に面しておらず、はっきり言って不便なこの家は、来客もほとんどなく、アルバのような者が住むにはちょうどよかった。
アルバはまた大きな欠伸をすると、肩の力を抜き、家の中に入る。
パチと明かりをつけると、狭い家内が照らされはっきりと姿を現した。
玄関から見て左手にダイニング、左奥にソファと座卓があるのみの、質素なワンルーム。
使い慣れた家具、居慣れた空間。
だが今日は、はっきりと異なっていることがあった。
誰もいないはずの家内に、人の気を感じる。
アルバの背筋に、冷たいものが走った。同時に緩めきっていた緊張を再び研ぎ澄ます。
奥のソファだ。その上で、誰かが寝ている。
この場所から見えないということは、体を丸めているのだろうか?
何であれ、正しく対処しなければこっちが危ない。
アルバは腰に手を回す。そこには常に持ち歩いている護身用のナイフがささっていた。
ナイフを構え、アルバは音を立てぬようにソファへと近づく。徐々に、侵入者の姿が見えてくる。
侵入者は、どうやらソファで眠っているようだった。すぅすぅと寝息が聞こえてくる。その音は二人分。だが眠っているのなら一対二でも問題はなかった。
ついにソファのすぐ後ろにまで迫り、アルバの両目が侵入者を捉える。
そこには、まだ幼い少女たちがいた。
一人目の少女は肩のあたりで雑に切り揃えられた白い髪、もう一方の少女は長いブロンドのサラサラの髪だった。二人とも白いワンピースに身を包み、二人ともそっくりな、整った顔つきをしている。そして見るからに無防備だった。
アルバは少女の頭部に目を向け、愕然とする。
ブロンドヘアの少女の頭からは、狼のような耳が、ひょこんと生えていた。
どうやら彼女はただの人の子ではない、獣霊のようだった。
しかし白髪の少女は、髪色を除けば、獣霊らしい特徴を兼ね備えていない。
アルバはナイフを懐にしまった。
不明点が多すぎて、混乱は深まるばかりだ。
アルバはグシャッと髪を掻き、じっと少女たちを見つめる。
すると物音で気がついたのだろうか、白髪の少女が「うぅん」と声を上げ、ゆっくりと目を開けた。
少女の瞳は海底のような青色に染まっていた。
「あ……」
少女はむくりと起き上がると、アルバの方へ向き直った。
「えと、はじめまして。私はミア、そして彼女はリアです。私たちは双子の姉妹で、この家には狩人の女の人に連れられて来ました」
白髪の少女、ミアはアルバの感じていた疑問をなぞるように、自分たちのことを告げた。





